みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

木曽川 イワナとアマゴ釣り アマゴが食べたい

今回の釣行は2週間空いての木曽釣行と成りました。町田に住んでいた時は連チャンで2種間空ける事はシーズン中は考えられませんでしたが、やはり金曜日の夜に松阪から木曽迄の3時間半を越す強行軍はかなりの覚悟が必要です。 梅雨は大物シーズンですが、今日…

鉄鍔に込められた祈り 2

今回は友人が保有する鉄鍔に込められた『祈り』についてご案内したいと思います。前回の鉄鍔の祈りもそうですが、決して新興宗教かブレによる宗教的な勧誘ではございません(笑)。元々鍔は拳を護ったり、刀身と柄とのバランスを取ったり、刀の操作時に手が滑…

身体の休養と内側のリセット

今週は火曜日に近くの店舗に転勤して来た30年来の同期入社である友との懇親、木曜日にお客様の接待(2次会で逆に接待を受けちゃう)、金曜日は部下9人の表彰式出席に伴う小宴と3回の午前様となった事により自宅静養と致しました。 いずれの宴も楽しい時間で有…

木曽川 アマゴとイワナ釣り アヤメの香り

本日の木曽は暑くも無く、寒くも無く、ずっと佇んでいたく成る様な過ごしやすい気候でした。爽やかな風が川の水面をかすめ、微かに野辺に咲く花々の香りを私の鼻腔に運んでくれておりまして居心地が良いのです。本日は釣友3人と待ち合わせての木曽釣行でした…

鉄鍔に込められた祈り

本編に入る前に昨日は日露戦争の日本海海戦に於いて旗艦三笠に乗艦した東郷平八郎元帥率いる連合艦隊が、秋山兄弟の次男である秋山真之発案の丁字戦法を用いて当時世界最強ロシアバルチック艦隊に真っ向から立ち向かって見事に此れを撃破し、我々の祖国を護…

木曽川 イワナとアマゴ釣り 龍神様の御導き

先週は釣り方を忘れたのかな?と思える程に本流でアタリが取れませんでした。支流の魚も綺麗で好きですが、やはり本流の太い魚の顔が見たくて今週も三重県松阪市から木曽へ車を走らせました。念の為に申し上げますが三重県内にも名だたる名渓は存在します。…

木曽川 アマゴとイワナ釣り 課題多し

昨年10月に東京町田市より三重県の松坂市へ転勤し、其の時にスタッドレスタイヤを持参しなかった為に春先の釣りは取り止めておりました。諸々の事情も含めて五月の連休明けから始めようと考えておりましたが、やっと今週末に今期始めての木曽川釣行日となり…

更級への帰郷2 老舗の鰻屋と鎌倉時代の名刀

長野県でも新潟県に近いところ位置する場所に飯山市と言う場所がございます。本日は其の飯山市にある有名な鰻屋さんに鰻を食べに行く事が、朝ごはん後の御前会議で決定致しました。飯山市はかつて上杉謙信公が信濃への足掛かりとした交通の要所であり飯山城…

更級への帰郷 父の残した品々

連休の後半に帰郷する事になりました。信州の春はとても美しく、水彩絵の具のような淡く柔らかい色に染まる山々が迎えてくれます。更級を流れる悠久の千曲川には河原に菜の花を小さくした様な西洋ヤマガラシが黄色い花を咲かせており、5月の爽やかな風に其の…

趣味の萩焼

趣味が多過ぎるのも困ったものですが、家族の影響を強く受けた趣味は50歳を2つ過ぎた今でも続いております。まず祖父が刀剣商でしたので様々な品が家に存在し多分過ぎる程に影響を受けました。また祖父は大の川魚好きであり、私が夏の夕方に毛鉤で魚を釣り…

友人の一刀 大隅守広光

今週は友人が所有する幕末期に打たれた短刀をご紹介します。合戦などで甲冑や当世具足を纏って戦うのでは無く、素肌で切り合う事を想定されて刀が打たれた時代の短刀です。ご存知の通り応仁の乱以降約150余年にも及ぶ長い動乱の世が終焉し元和偃武となりまし…

注文打ちの準備スタート

まだ先の事になると思いますが、考え方に好感が持てる若い刀匠に一腰の刀を注文しようと考えております。刀には其の時代により呼称が存在し、上古刀(直刀)、古刀、新刀、新々刀、現代刀と区別されております。一般に上古刀とは古墳から出土する直刀の事を言…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 最終回

義仲公のシリーズは今回が最後となります。旭将軍源義仲公は近江は粟津ヶ原で今井兼平と共に最後を迎えてしまいました。しかし義仲公の嫡子である清水冠者源義高が頼朝公に預けっぱなしになっております。また最後の地である近江粟津ヶ原には義仲公供養の塚…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 22

※ 巴との別れと義仲公の最後 連続の激戦に疲れ果て、たった5騎で駒を進めていた義仲公でしたが、此処で一つの決断を致しました。義仲公が子供の頃より共に暮らし、旗挙げの後に数々の激戦をくぐり抜けた巴だけでも逃がそうとしたのです。義仲公は『お前は女…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 21

義仲公は法住寺合戦後の戦後処理を藤原基房と一緒に進めておりました。如何なる理由があろうと院に弓引いた義仲公は益々孤立し、付き従った将兵は離散し、数万の義仲軍は約一千騎にまで減っておりました。義仲公は院を伴い北陸道に向かうつもりでしたが、そ…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 20

義仲公は追い詰められておりました。時代や背景 は全く異なりますが現代で言うとアメリカに煽られてウクライナに侵攻したのロシアの様です。後白河院は頼朝公に対して義仲公と和平を結ぶ様にお願い致しましたが、頼朝公から撥ねつけられております。オマケに…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 19

冒頭に11年前の東日本大震災で尊い命を無くされた方とご家族に哀悼の意を捧げます。 頼朝公は後白河院が発した寿永2年10月の宣旨により東海道と東山道の支配権を得ました。これにより御家人達に分配していた所領が公的に認められた事になると同時に官軍とし…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 18

義仲公が出た都では治安がますます悪く成りました。飢饉明けと言う事もあり東海道、東山道、北陸道から届けられる筈の年貢が不貞の輩によって略奪されて都には届き難い状況でした。其処で後白河院は先に鎌倉に居ながら征夷大将軍に任じた頼朝公に上洛を促し…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 17

義仲公は左馬頭になると同時に後白河院より旭将軍という院宣を受けました。また義仲公は拝領した大国の越後は恐れ多いと願い出た為に他の領地を賜ったのです。義仲公との格差に行家叔父は憤慨しておりました。そして院からの任官の使いを門前払いした事は前…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 16

平家が都落ちして行く一部始終を義仲公はただ見守っておりました。横田河原の戦いは援軍を要請されて戦いに挑み、北陸での連戦は平家が義仲討伐軍を差し向けた為に此れに応じて世の中を変える為に戦ったのです。そして義仲公は鞍馬から比叡山に逃げこんでい…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 15

※ 義仲公の入京 義仲公の入京の前に平家が都を捨てる決定打となったのは延暦寺が義仲公の味方に付いた事である事は前回にご案内致しました。この約定を知らない平家公達は此の後も延暦寺に願書送っております。天台座主の明雲は平家からの願書の表に歌を一首…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 14

※ 比叡山延暦寺を味方につける 今週は地味なのですが義仲公が今日の都に上るに際して決定打とも言える同盟を組む事に成功した経緯をご案内致します。倶利伽羅の戦いなどの派手な内容では無く、物凄く文章映えしない内容なので恐らくは『鎌倉殿の13人』でも絶…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 13

※ 志保山の戦い 倶利伽羅峠の戦いに空前絶後の大勝利を治めた義仲公の元に急を要する一報が入って参りました。それは志保山に向かった源行家率いる源氏軍が平家軍に攻め立てられて敗色濃厚と言う内容でした。其処で義仲公は自ら2万の軍を率いて志保山に向か…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 番外編

一旦義仲公の物語とは外れますが、源平合戦という全国的な大戦で武勇の誉を受けた武将が合戦の後に過ごした半生を御紹介致します。倶利伽羅峠の合戦後に活躍した武将も含めて日本人なら誰でも知ってる有名な方々について御案内しようと思います。以下に御案…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 12

※ 倶利伽羅峠の戦い 義仲公は埴生に於いて兵を指揮するうち、森の中に神気を溢れる社伝を見い出しました。其処で越中の住人である池田次郎忠康を呼び、何の神をお祀りしているのか尋ねたところ、忠康は『八幡大菩薩を祀り 埴生八幡と称す』と答えたと埴生護…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 11

※ 盤若野の戦い 今井兼平と越中軍は固い決意の元に親不知を超えて神通川を渡り平盛俊が通るであろう場所に相手の行動を先読みして向かいました。今回の兼平隊には北陸武士団も加わっていたので、兼平隊の先読みには土地に明るい北陸諸将の進言が有った事は想…

更級の年の瀬

オミクロン株の事は心配でしたが、感染対策を万全にして娘2人と東京駅で待ち合わせして更級に帰郷致しました。松阪から近鉄特急で名古屋まで行き、名古屋から新幹線で東京駅に行って娘達と待ち合わせ致しました。娘2人と会うのも3ヶ月ぶりでした。そして新幹…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 10

※ 北陸での戦い平家の軍は北陸道に進軍している途中に民家だけでは飽き足らず、公家及び寺社の荘園から多くの物を税として略奪しておりました。踏み荒らされた荘園を管理する公家からは平家の棟梁である平宗盛に大クレームが入りましたが、宗盛は軍規を正す…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 9

北陸の諸将と出会い、勇将である宮崎太郎を介して『北陸の宮』と巡り会った義仲公は越後国府に有りました。其処に同じ源氏の頼朝公が率いる10万の大軍が迫っております。先週もご案内致しましたが、この頃の義仲公は頼朝公との戦いを避けるために依田城から…

信濃の英雄 旭将軍木曽義仲公 8

北陸への進軍物語の都合上により此処で少し頼朝公の話をしないといけません。頼朝公は横田河原の戦いの少し前に行われた富士川の戦いで勝利した後、平家を追い討ちせずに自分の地盤を固める為に一旦鎌倉へ戻ります。此処が政治の天才である頼朝公の少し違う…