みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

大東亜戦争の遺構 松代大本営跡 2

今週も引き続き松代大本営のご案内です。今回は遺構の中について分かる範囲で綴りたいと思います。象山神社のパーキングの車を置き、象山地下壕までは徒歩で7分〜8分くらいの距離です。

道路はかつて武家屋敷も点在した由緒正しい道です。向かって右側の水路(神田川)には鯉が群れ泳ぎ、城下町の風情を残してとおります。

途中に山寺常山邸が有りました。地元では結構知られているお武家さんです。立派な庭は建物も含めて無料で見学出来ます。庭は小さい小宇宙で有り、森羅万象を現していると言いますが、本当にそう感じさせる空間でした。
f:id:rcenci:20231125140016j:image

やがて左に象山地下壕の小さい看板が出て来たら川を渡って直ぐのところに受付が有ります。無料で見学できますが、何処から来たのかと人数の質問を受けます。備え付けの黄色いヘルメットを庇って地下壕の入り口に向かう手順となります。

これが入り口です。野生動物が入らない様に鉄の柵が有ります。
f:id:rcenci:20231125140035j:image

入って直ぐは此の通路です。他と違い少し狭くて低い造りなので、頭をぶつけない様に(最近個人的に経験済み済み)との配慮が成されており、屋根部にもガード素材が付いております。私の想像ですが万が一敵が侵入したばあいに備え、一回曲がっており、その後も少しだけ狭い方が対処し易いからでしょうか。
f:id:rcenci:20231125140052j:image

いよいよ本格的な地下壕です。湿度が高い独特の空気が感じられました。前にも説明致しましたが、周囲は10t爆弾にも耐え得る岩石なのです。火成岩の石英閃緑岩やヒン岩で出来ていると聞きました。硬さを表すものにモース硬度という尺度があります。一般的な鉄のモース硬度が4に対し、石英閃緑岩の石英単体としては何と7です。恐ろしく硬い事がご理解頂けると思います。
f:id:rcenci:20231125140106j:image

更に凄いのは寸法が統一されているのです。図に書くとこんな感じです。幅が4m、高さが真ん中部分が2.7m、左右の高さが2mに統一されております。硬い岩石をここまで正確に掘り進んだこですね。NPO法人松代大本営平和記念館さまのHPより
f:id:rcenci:20231125140124j:image

中に造られていた部屋はこんな感じです。戦後に良からぬ奴らに破却されるのを避ける為に事前に壊したみたいです。NPO法人松代大本営平和記念館さまのHPより
f:id:rcenci:20231125140142j:image

我が義弟が見ている看板は坑道に残された鑿岩機のロッド(鑿岩機に付ける鉄の棒)の説明書きです。
f:id:rcenci:20231125140208j:image

抜けなくなってしまったのか分かりませんが、当時のものが残されております。
f:id:rcenci:20231125140220j:image

資料館においてある鑿岩機とロッドです。これで孔を開けてダイナマイトで爆破して掘り進んだと聞きました。火薬は当時の状況を考えると貴重だっと思われます。NPO法人松代大本営平和記念館さまのHPより
f:id:rcenci:20231125140247j:image

写此方は鑿岩機を動かすエアーコンプレッサーです。NPO法人松代大本営平和記念館さまのHPより
f:id:rcenci:20231125140554j:image

此方はNPO法人松代大本営平和記念館さまが、当時の様子を再現した分かり易い図です。此のズリと呼ばれる掘削で出る岩石廃棄物の運搬と処理が一番人力が必要な部分ですね。ズリは他の地域に運搬され、埋め立てなどに有効利用されたと説明を受けました。
f:id:rcenci:20231125140608j:image

色々な横穴があります。
f:id:rcenci:20231125140641j:image
折り返し地点です。
f:id:rcenci:20231125140657j:image

当時の電線を繋ぐ木材部分らしいです。NPO法人松代大本営平和記念館さまのHPより
f:id:rcenci:20231125140740j:image

此方は立ち入り禁止ですが、天皇陛下が入る予定であった舞鶴山の地下壕入り口です。
f:id:rcenci:20231125141058j:image
此方には地上部分が有ります。建物も簡単な攻撃には耐えうる壁材を使用していると聞きました。
f:id:rcenci:20231125141113j:image

天皇陛下御座所として造られた特別な部屋です。松代地震観測所さまのHPより
f:id:rcenci:20231125141126j:image

因みに此の建物は現在気象庁松代地震観測所として使われております。もちろん一般の方は入れません。私も入り口までしか行けませんでした。
f:id:rcenci:20231125141135j:image

入り口と地上部分はこんな感じの配置となっております。陛下の御入りになる施設だけに細心の注意を払って造られたものと思います。
f:id:rcenci:20231125141159j:image

まだまだ多くのご紹介を行いたいのですが、此のくらいでやめておきます。当時の皆様の命懸けの努力に日本人の一人として感謝した次第です。また落盤事故などで不幸にも尊い命を失くされた方々へ心から哀悼の意を表します。誰が悪いとは決して特定出来るものでは有りませんね。

戦争に突入してしまったの事には色々な理由と出来事が有りましたが、日本は日本人特有の生真面目さまが災いしました。日本には止むに止まれぬ事情が有ったのです。ただ日本国が悪いと決めつけめいるのは、戦後に数多く出た敗戦利得者達と敗戦利得国によって歪められた戦後教育の影響です。

背景として今までヨーロッパ諸国は世界の陸地の約8割を植民地化し、500年もの長い間に植民地化された国々の人々を豚や馬と同じように酷使してまいりました。彼等は植民地の人間に対して下等な生き物と決めつけ、白人に飼育されるのは当然だと公言しておりました。『ご飯の不味い国人』の女王は結局一言も其の事について正式に詫びないまま他界しましたね。

植民地の人々は食べる物も動物の飼料に近い物しか支給されず、強制労働をさせられました。そして著しく人口を減らして行ったのです。
f:id:rcenci:20231125141220j:image

そんな中で日本は当時数少ない黄色人種が治める独立国家で有り、白人の大国であるロシアにも打ち勝っていたのです。彼等は侍の末裔達の強さを恐れて一目置いておりました。

日本は1919年に発足した国際連盟常任理事国として参加し『人種の平等』を連盟憲章に入れる提案をしました。日本が提出した案は素晴らしい提案だと16ヵ国中11ヵ国が賛同したのです。

国際連盟パリ講和会議を開催した場所です。繰り返して申し訳有りませんが、記念すべき此の会議で日本の全権大使は『人種の平等』を国際連盟憲章に載せる事を提案したのです。私は一人の日本人として誇りに思います。     Wikiより
f:id:rcenci:20231125141235j:image

ところが、アメリカ大統領の発言で採用は見送りになり、残ったのは西欧諸国の日本に対する『この国は潰さなければならない』という警戒感です。理由は植民地の人にも人権を認めると、実質的に植民地を放棄しないといけないからです。そんな理由で日本は彼等に敵国と見なされ、彼等の首魁である『ご飯が不味い国』と『先住民族を根絶やしにした国』が牙を剥いてきたのです。そうして彼等は『原油』と『リン』の日本に対する輸出を停止してまいりました。こうして我々の生きる道を断とうとした相手に侍
の末裔である日本は正々堂々と挑んだのです。当時同盟国であったドイツに滅ぼされたオランダが支配していたインドネシアパレンバンに有った油田を借り受けたのは、そんな経緯の後でした。油田から本国へ油を運ぶタンカーの安全な航路(シーレーン)を確保する必要が有ったのです。

パレンバンは此処です。
f:id:rcenci:20231125141250j:image

『ご飯の不味い国』は当時世界最強のプリンスオブウェールズと言う巨大戦艦を送って来たのを日本が撃退したのがマレー沖海戦です。『原住民を根絶やしにした国』は人の良いカメハメハ大王の末裔を騙してハワイを我が物とし、天然の要害である真珠湾に日本を滅ぼすだけの艦隊を集結させてました。コレ以後は長くなるので端折りますが、本当の巨悪は何処なのか容易に想像が可能かと思います。

ハワイ王国最後の王であったリリウオカラニ女王です。
f:id:rcenci:20231125141322j:image
清廉潔白な王であったと伝わります。女王は日本を訪れて我々を日本に組み込んでほしいと要望されましたが、当時日本は明治維新が終わったばかりの混乱期であった為に女王の望みは叶わなかったのです。そして女王は『原住民皆殺し国』に国土を奪われました。有色人種の唯一の希望が大日本帝国だったのです。何が『リメンバーパールハーバーじゃ』と心から思うのです。こんな事は昨今の歪んだ教科書に1ミリも載っておりません。

今回は象山地下壕のみを紹介するつもりが、後半は長い話になってしまいました。特に周囲から煙硝の匂いが立ち込めて来た昨今ですので、日本人が自ら日本の文化を無くす様な行動及び言動は慎み、今後の日本の立ち位置を考え、自分はどう行動すべきか考え直す時期に差し掛かっていると強く思う次第です。