2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧
義仲公は法住寺合戦後の戦後処理を藤原基房と一緒に進めておりました。如何なる理由があろうと院に弓引いた義仲公は益々孤立し、付き従った将兵は離散し、数万の義仲軍は約一千騎にまで減っておりました。義仲公は院を伴い北陸道に向かうつもりでしたが、そ…
義仲公は追い詰められておりました。時代や背景 は全く異なりますが現代で言うとアメリカに煽られてウクライナに侵攻したのロシアの様です。後白河院は頼朝公に対して義仲公と和平を結ぶ様にお願い致しましたが、頼朝公から撥ねつけられております。オマケに…
冒頭に11年前の東日本大震災で尊い命を無くされた方とご家族に哀悼の意を捧げます。 頼朝公は後白河院が発した寿永2年10月の宣旨により東海道と東山道の支配権を得ました。これにより御家人達に分配していた所領が公的に認められた事になると同時に官軍とし…
義仲公が出た都では治安がますます悪く成りました。飢饉明けと言う事もあり東海道、東山道、北陸道から届けられる筈の年貢が不貞の輩によって略奪されて都には届き難い状況でした。其処で後白河院は先に鎌倉に居ながら征夷大将軍に任じた頼朝公に上洛を促し…