みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

年老いた名刀

今週末は会社の全ての責任者が集まる大会議が有りました。その後は子会社の親分衆も含めた慰労会が行われ、更に其の後は直前に出た大人事異動に伴う地区の歓送迎会が行われました。当然ですが大量のお酒を飲んでしまい、ヘロヘロで町田の自宅まで戻り、とても釣りどころでは有りませんでした。

其の様な訳で今回は今年一月に東京国立博物館に『三日月宗近』を見に行った時の話を致します。三日月宗近とは世の中に伝わる天下五剣の内の一口です。此れ等は刀剣千年の歴史の中で特に優れた物であり、品格及び霊格が極めて高く、何よりも其の出自に伝説を持ちます。

此方が三日月宗近です。千年以上経過した鉄の輝きは見る者に何かを語りかけてくる様です。
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天下五剣について少しだけご案内致します。刀剣は武器ですが、武器の前に神器でも有ります。特に出来の良いモノは実戦には使用せず、御神刀として、また家の守刀として後世に伝えてまいりました。

童子切安綱』  源頼光丹波大江山に住み着いた酒呑童子と言う鬼を切った太刀です。伯耆の大原に住んだ安綱の作。国宝指定、東京国立博物館蔵。
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『鬼丸国綱』 北条頼期を毎夜苦しめた鬼を切った太刀。名工であ粟田口六兄弟の末弟である粟田口口綱の作。現在は皇室の御物(ぎょぶつ)です。
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大典太光世足利尊氏の佩刀。筑後國三池の光世の作刀。国宝指定。豊臣秀吉から前田家へ伝来。現在は前田育英会が所蔵してます。

『数珠丸恒次』古備前の左近将監恒次の作。日蓮が信者から送られて以来、自らの守刀としていた太刀。柄に数珠を巻き付け破邪顕正の太刀としていたところから数珠丸の名が付いた。重要文化財指定。兵庫県本興寺像。

いずれの太刀も天下五剣と呼ばれるに相応しい名品ばかりなのは御理解頂けると思います。

さて本題の三日月宗近ですが、京都三条の宗近の作刀です。室町将軍家に伝わった名刀の一つであり、その後は天下人の豊臣秀吉の正妻である高台院の持ち物となり、高台院が没した後は徳川秀忠に送られ、その後徳川家の所蔵となりました。明治期になってから徳川家から流出したものを旧中島飛行機の社長であった中島喜代一氏の持ち物となり、その後は実業家であり工学者である渡邉三郎氏に伝わり、息子の誠一郎氏から東京国立博物館へ寄贈されたのです。
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刀身は大分研ぎ減りしております。状態を例えるなら、枯れた老婆の状態なのです。しかし其の枯れた姿は、腰反りから小切先までのシルエットが、そこはかとなく美しく、当時における平安貴族達の雅を感じさせます。

説明書です。
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三日月の名は焼き刃のすぐ上に『うちのけ』と呼ばれる独特の働きから来ております。具体的には刃文の上に弧状のごく短い焼きが幾つも入っております。弧状の小さい焼き刃は、まるで三日月の様にも見える事から三日月宗近命名されたのです。

写真で『うちのけ』を撮影するの事は難しく、お伝え出来るか分かりませんが、焼き刃の上に三日月状に弧を描いている焼き刃がうちのけです。
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此の『うちのけ』が上から下まで現れております。
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名刀を見ると本当に心が落ち着きます。宗近が作刀した刀剣で他に有名なものは、牛若丸が鞍馬寺で修行を行い、いざ奥州へ向かう際に授けられた短刀の『今剣』がございます。三日月宗近のうちのけを見ながら思いは平安後期に金売吉次の案内で奥州藤原氏を頼る旅に出た牛若に思いを馳せ、更に松永久秀に責められ、沢山の名刀を畳に刺して戦った室町幕府13代将軍の足利義輝の無念まで思いを馳せました。

三日月宗近の前で立ち止まる事2時間に、次女と比べて気の長い長女も流石に業を煮やし、『お腹減った〜』の三連発です。

仕方なく、一旦外に出て、敷地内に有るホテルオークラが運営している『レストランゆりの木』に向かいました。

私の場合、色々迷う時は何時も此れです。
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最後に珍しいものを一つご紹介致します。滅多に見る事の出来ない代物で有り、二回目は此方に釘付けでした。

鳳輦(ほうれん)です。簡単に言うと天皇陛下行幸時にお乗りになる乗り物です。東京国立博物館明治19年から昭和22年まで宮内省の管轄で有り、帝国博物館と言われておりました。恐らくは、其の時代に払い下げ渡されたものだと思います。説明書きには江戸時代の作だと有りました。
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