みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

最終釣行 木曽のイワナ釣り

先週は台風接近の中を更科から松阪まで戻りましたが、途中の車窓からは木曽川が良く見えました。思わず木曽福島で降りたくなる衝動を抑えながら窓に張り付いて外を食い入る様に睨んでいる姿を思い返すと、さぞかし滑稽であったと思われます。今期も最終釣行となりますが、三連休初日に木曽に行ってまいました。当日は天気予報通りの雨降り釣行となりました。

雨に濡れた柿の実が熟して赤くなってます。
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冷たい雨が容赦なく降ってますが関係有りません!カッパを着込んで山に入りました。禁漁間際ですので雨にもかかわらず釣り人の車が所々に駐車されておりました。

コレが今回入る川へ続く入渓路の小道です。
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ススキの綿毛もすっかり有りません。
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誰も居ませんでしたので、熊さんが此方に気がつく様に爆竹を一束鳴らして支流に向かいました。普段は火事の恐れが有るのでやりませんが、今日は雨が降っているので山火事の心配も有りません。

川を少し遡行すると此の落ち込みが有ります。
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雨足が強く撮影出来ませんでしたが、此処では9寸を筆頭に4匹出ました。濡れたブッシュを掻き分けて上を目指します。

此のポイントは岩の奥に沢山溜まっておりました。
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今日は10匹までのキープを目指してましたが、有難い事に此のポイントで目的を達成出来ました。雨で食いが経ったのか分かりませんが、まだ200mくらいしか進んでおりません。しかし此れ以上釣っても食べきれませんので納竿です。
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川で魚の処理を済ませ、カッパに付いた落ち葉などを水流で流して今年の渓流釣りを終えました。此の時期特有のメスの卵は醤油と日本酒を混ぜてある漬け汁が入っている持参のタッパーに入れて明日の朝ご飯に食べます!焼いたイワナも旨いのですが、コレは釣り師のみ知る絶品の味なのです。熱々のご飯に黄金色のイクラが乗っている感じです。此の話をすると何時も思い出すのが秋山郷の師匠の家で食べさせて貰ったイワナの胃袋の串焼きです。師匠の奥様曰く胃袋を綺麗に洗って塩揉みして串に幾つも刺して焼いたモノでした。何となく焼肉のミノに似ており、歯応えが有って実に美味でした。因みに意気地が無い私はやった事が有りません(笑)。

車に戻りって濡れた衣服を着替えてから川に掛かる橋に向かい、橋桁に盛り塩と紙コップに御神酒を入れたモノを供えて納竿の儀式を行いました。今年も怪我なく無事に漁期を終えた事を龍神さまに感謝申し上げた次第です。そして帰り道に有るアケビの自生している場所に行ってみました。

此の場所のアケビは少し早いみたいです。
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なんだか渓流シーズンが終わると何時も一抹の寂しさを覚えます。だんだん肌寒くなってまいりましたので車に戻り松阪までの帰路につきました。

告別式と法事の合間のキノコ採り

母親は中山道六十九次にある江戸から数えて二十六番目の宿場で有る芦田宿周辺の生まれであり、家の近くに地元では有名な笠取峠が有ります。峠沿いの松並み木は県の指定天然記念物となっており、賑わった当時の風情が感じられる私の好きな場所のひとつとなっております。

以前より叔父の三回忌による帰郷を予定しておりましたが、急に親戚の叔母が他界してしまい、ひと足はやく忌引を取って帰郷い致しました。小さい頃から親しくしていた叔母ちゃんだけに、色々な思い出を頂いた事を告別式で御礼申し上げた次第です。告別式が終わり火葬場に行って骨を拾いましたが、何度やっても身内が骨になるのは切ないモノでした。次に控えるは母方の叔父の法事です。出発は明日のお昼頃だったので、更級の山々に早生のキノコを取りに行きました。
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雨が降っておらずキノコシーズンには少し早い時期ですが、今回は比較的に早い一本シメジやアミタケが狙いです。9月の山は気持ちが良く、勇んで入山致しましたが最初の場所は毒キノコも出ておらずスッカラカンでした。

今回は80歳の母とのキノコ取りです。なんとか良いモノを取って母を喜ばしたい一心で山神さまに参拝しました。参拝した樋知大神社は霊峰聖山麓に鎮座する古社であり、水神さまである弥都波能売命をお祀りしております。

樋知大神社の参道です。杉の巨木に囲まれて荘厳な神域なのです。
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参拝を終えて次に向かった山に分け入ると、目の前にいきなり一本シメジの素晴らしいヤツが出ているてまは有りませんか!思わず声を上げて母を呼び、親子で大喜びです。

凛々しい容姿に感無量です。
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所々に良い一本シメジが出てました!
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3本まとめて自生している株もございます。
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山神さまに導かれた此のポイントは大当たりでした。
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一本シメジは柄がカチカチで硬いのが特徴です。少しでも柔らかいのは毒キノコなのです。
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面白いように取れました。
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正式な名称はウラベニホテイシメジです。
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茹でて牛肉と炒めたら美味いのです。
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この時期の更級では珍しい大収穫で合計15本の一本シメジと多くのアミタケが取れました。渓流釣りの魚もキノコ採りのキノコも全て山神さまからの授かりモノですので有難い事だと親子で感謝した次第です。週末に雨でも降れば更級のキノコも立派に育って地元の方々を喜こばせる事だと思います。また離れて暮らしている私としては、母とキノコ採りに行けた事も心から有難く思いました。

加賀の友人からの頂き物

石川県金沢市に住む釣友よりの頂き物をご紹介したいと思います。其の釣友は20年を越す知己で刀剣などの文化もこよなく愛し、地元の白山白姫神社を信仰する私より大分年上の大先輩です。

かなり前に私の作った渓流釣りの餌箱を進呈した事があるのですが、未だに大事に使って頂いており、見る度に有難く思っておりました。其の釣友とある時に漆塗りの話になり、金沢には有名な金沢漆器をはじめ、近隣に様々な漆器の名産地が有りますので、私もつい個人的に興味のある事を話したのです。

其の内容は蒔絵の技法の一つである『闇蒔絵』、またの名を『黒蒔絵』の事でした。私が以前にある刀屋を訪れた時に肥前刀の拵えとして陳列されていた脇差の鞘は黒漆で仕上げられておりましたが、角度を変えて見た時に其の鞘の表面に見た事も無い黒い高蒔絵(高く盛り上げられた蒔絵紋様)で桜の花が施されていたのです。一見すると通常の黒の呂色塗(濡れた様な美しい黒色)なのですが、光の加減で美しい高蒔絵が浮んで来るのです。

闇蒔絵が浮かび上がってる状態。
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光の加減を変えるとただの黒漆に見えます。
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刀屋の店主に此の鞘塗は何んて言う塗りなのか質問してみると、店主は『最近は余り見ないけど、闇蒔絵と言います』と教えてくれました。 

其の時に感じた事は心の深奥に響く武人達の『慎しさ』でした。

折角の蒔絵を通常の黒地に金などの華美な蒔絵では無く、さり気なく同色の黒い高蒔絵を鞘にあしらう事で周囲に見えない配慮とでも申しましょうか、此の闇蒔絵と言う技法の実に日本人らしい気質を言葉に表現出来ない事がもどかしいのですが、とにかく其の塗りに感じられる品位の高さに改めて日本人の素晴らしさを発見した気分だったのです。

家に帰って調べてみると、漆を塗ってから炭の粉を蒔き、乾いたら磨いて更に塗っては炭粉を蒔く事の繰り返しで紋様の箇所を平地より高く形成していく高蒔絵と同じ技法らしいのですが、通常の金粉や銀粉では無く炭粉を使うと、細かい紋様の線が周りの色と同化し、職人が常より難しい制作行程を踏んでいる事は間違い有りません。

友人に話した事の内容はザッとこんな内容なのですが、何と金沢の釣友は此の闇蒔絵を地元で有名な山中塗の名店である能作さん(創業240年)に餌箱製作と併せて発註したのです。

能作さまの漆器取り扱い注意書きです。
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そして釣友は出来上がった品を私に譲ってくれました。この時は何気なく話した事が友人に多大な負担を強いてしまったと深く反省致しました。其の黒漆闇蒔絵渓流餌入れが此方です。
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流石に名店の職人が製作した品だけあって、素晴らしい出来です。コレを頂いた時は驚いた事は言うまでも有りませんが、余りに恐れ多くて、どうしようも無くて困りました。しかし腹割った付き合いをして来た釣友が私の為に誂えてくれた品なので最大限の敬意を払って頂いた次第です。

後日、今回の頂き物に対し返礼の品として釣友に渡した物は、同じ石川県の陶芸家である内田幸生先生の酒呑でした。
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縁起の良いと思われる末広がりの形状。
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内側はキラっと光る夜空の星の様な景色が出てました。
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内田先生の陶歴です。
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頂いた名品と釣り合うかどうかは分かりませんが、此の盃で金沢の四季を愛でながら名酒を楽しんで頂けたらと考えた次第です。しかし目下のところ一番の悩みが此の餌入れを実際に使うかどうかなのです(笑)。

夏草や兵どもが夢の跡

題名にした句は御存知のように松尾芭蕉が奥州平泉で詠んだ名句です。奥州藤原氏三代の栄華の終焉と義経の死に思い意を馳せて詠んだと伝わります。

今回は高校時代に通っていた道沿いから少し入った場所に有った古い城跡について、改めて今夏に訪ねた時に感じた事と城の由来をご案内させて頂きます。私は故郷近隣の史跡に興味を持ったのは故郷を離れてからでした。

長野市指定遺跡である横田城跡の立看板です。
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土塁の上に小さい祠が2つ有ります。
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赤い鳥居が建てられおり、地元の方々が大事にしている事が伺えます。
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少し横田城について説明させて頂きます。此の城は信濃の歴史好きにとって有名な城跡ですが、築城主も天守構造も不明で築城時期についても平安時代末期ではないがと言う推測しか現在では分かっておりません。しかし横田城を合戦時に用いた人物については様々な文献が残ります。古くは木曽次郎源義仲公が平家方の越後守だった城長茂(じょうながもち)と横田河原で合戦に及び、義仲軍の囮作戦で見事に勝利を納めた闘いがございました。其の横田河原の戦い折に城長茂が本陣を置いた場所が此の横田城です。当時の城長茂軍は9千とも2万とも言われておりますが、其の大軍が入るからには相当な規模な城だったのだと思われます。此の時代に平城は珍しいのですが、山城と違って守りが弱い代わりに二重または三重の堀を有しおり、正に大規模な環濠式の平城だったと言われております。

現在でも貴重な環濠集落として水路が残っております。
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更に詳しく話すと環濠集落とは周囲に水路を巡らせた集落で有り、空堀を巡らせた場合には濠が壕に変わり『環壕』として区別されます。
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その後は応永7年に信濃国最大の合戦でもある大塔合戦(おおとうがっせん)が起こりました。此れは室町幕府に任命された信濃守護である小笠原長秀が傍若無人な政策を行った事に対して信濃における殆ど全ての国人衆が一斉に反守護に回って戦った大戦です。此の時に長秀が一時横田城に入った経緯があります。その後の長秀は凌ぎきれずに守りが堅い塩田城まで逃れたのです。その撤退時にも友軍と離れてしまい、その後に友軍は壊滅してしまいました。因みに此の戦で大敗した小笠原長秀は信濃国守護を罷免されて信濃は群雄割拠が続くのです。

信濃国人衆は結束し大文字一揆として戦いました。
この旗は当時使用された軍旗です。独立独歩の矜持を有し時勢に絶対靡かない信濃国武将達の勇ましい戦いが繰り広げられた合戦です。『一揆』と言うと百姓一揆を連想させますが、元々は志を同じくする共同体と言う意味なのです。八十二文化財団のHPより
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更に時代が下り第四次川中島合戦の話です。啄木鳥戦法が謙信公によって見破られ、劣勢になった武田本陣に上杉軍が迫りました。本陣を急襲した一団には上杉謙信公本人が居たと伝わります。更に謙信公は床几に座ったいた信玄公に襲い掛かりました。此の上杉謙信公と武田信玄公の一騎討ちの時に武田方横目衆筆頭の原大隈守虎吉が主人の危機に際し、側に立てられた信玄公の槍を掴み、今まさに斬り込んでくる謙信公に渾身の一突を入れたのです。しかし原大隈守の突き入れた槍先は的を外れてしまいました。そこで返す槍で謙信公を強かに打ち据えようとしたのですが、今度も外れて槍先は馬に当り、驚いた馬は狂乱上米となりました。此れには流石の毘沙門天の生まれ変わりである謙信公も引くしか無かったのです。こうして信玄公は辛くも窮地を逃れたと言う逸話が有ります。

川中島古戦場史跡公園にある執念の石と言われている物です。
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何でも信玄公を窮地から救った原大隈守虎吉が、敵湘である謙信公を打ち損じた悔しさで岩に一突き入れたと伝わります。正に『一念岩をも徹す』の故事通りの話ですね。

大岩を見事に貫通しております。穴の空いた部分を拡大してみると、槍の形状の一つである平三角に成っております。
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説明書きです。
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コレは家に伝わる浮世絵版画ですが、一番右のアフロヘアの御仁が原大隈守虎です。子孫は徳川に仕えて現在の東京都八王子市千人町に住し、千人同心頭として活躍されました。前置きが長くなりましたが、此の原大隈守虎吉が合戦の最中に籠ったのも横田城なのです。
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現在の横田城跡は周りには民家が立ち並び往時の面影は有りません。土塁の上の祠の前に立ち、アブラゼミがミンミン鳴く汗ばむ陽気の中で、足下を流れる微風に下草が揺れておりました。私がその時に感じたのが有名な芭蕉の一句だったのです。一つひとつの史実を伝えようと私の歴史探索に付き合ってくれていた娘に話し始めましたら、そんな昔の話など何処吹く風と言う感じでしたのでやめました(笑)。今後の未来は絶対分からないのだから、自らの方向性を知るには先人の生き方に習うしか無いと言っていた亡父の言葉を思い出しながら横田城を後に致しました。

木曽川 アマゴ釣り 不思議な夢

最近は朝方の暑さが少しだけ和らいで来ました。ホームグランドである木曽川上流では、渓魚達が少しづつ秋に向けて動いている時期ではないかと考えて釣りに出かけました。

季節的な事も有りますが、今回は大物一発勝負では無く、塩焼きサイズで良いのでアマゴの数釣りを目的と致しました。

木曽では桔梗が綺麗に咲いて迎えてくれております。
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何処に入るか迷いましたが『曇りはヒラキとトロ瀬』のセオリー通りのポイントを選び、実釣を開始しました。食い込みの良い様に細めのミミズを選んでる投入すると直ぐに小気味良いアタリが出て、少し顎がシャクれた雄アマゴが釣れました。

ここは大きい支流の上流部です。浅いように見えますが、以外と水深がある緩いトロ瀬のポイントです。
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どつやら釣り場がしばらく釣られていなかったみたいで、ほぼ全ての筋にアマゴがついております。

白泡が立つ流れ込みで9寸が出てくれました。
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楽しませて頂きました。コレだけ有れば来週の半ばまでの夕ご飯の惣菜は買う必要が有りません。
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小沢で魚の処理を済ませてから、車中で昨夜作った昆布オニギリを頂き、くつろいでおりますと窓から入り込む爽やかな高原の空気が実に心地よく、いつの間にか深い眠りに入ってしまいました。 

今回の此の仮眠中に不思議な夢を見たのです。白い着物を着ている小さい子供二人が寝ている私の前に出て来て、何やら耳元で囁いているのです。そして其のうちの1人が私の左手の人差し指を握ってニコっと笑いました。そこで夢が覚めたのですが清らかな子供の瞳が印象的な不思議な夢でした。時間は15時間を過ぎたばなりでしたが、空模様は怪しくて今にも雨が降りそうです。

私の経験上ですが、得てして此のような状況のマズメ時は釣れます。マズメ時(釣りには朝と夕方のゴーデンタイムが存在します)迄持つのは帰路を思うと無理なので、今から1時間だけ試してみる事と致しました。

先程の入渓地点から直ぐ下流にある此の流れにミミズを投入すると、引ったくる様なアタリで良いアマゴが釣れて来ました。
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あっという間に5つも綺麗なアマゴが釣れてくれました。コレで本当に夕食の買い物を1週間行わなくても平気になりました。
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今日はたまたまアマゴの活性が高い日だったとは思いますが、木曽川水系の河川の凄さを感じました。木曽川龍神様に感謝して拝礼した次第です。

さて後半のアマゴの処理を行っていた時の話です。私は何時も魚の処理に小河川から水を引いている水路を使わせて頂いているのですが、其の水路の左右には丈の短い雑草がごさいます。其処に腰掛けて水路に両足を入れて魚の処理を行うのですが、座ろうと左手を雑草の中についた時に、ガサっと草の下の何かが動きました。咄嗟に左手を引いた時に、今まさにマムシが私の人差し指に咬みつこうとしていたのです。大口を開けた太い実に立派なマムシ君でした。

間一髪です! 危うくマムシの毒牙にやられる寸前でした。長く渓流釣りをしておりますが始めての経験です。其の時にフッと昼の夢を思い出しました。白い服を着た愛らしい子供が私の左手の人差し指を握った夢です。夢の中の子供達は木曽の神さまの御使いだったのでしょうか? 汗ばむ中で、しばらく呆然としておりましたが、改めて帽子を取って木曽の水神様に御礼申し上げました。山に分け入る渓流釣りをしていると年に何回か不思議な事が起こります。何か清い気持ちになりながらアマゴをクーラーに入れて松阪市までの帰路につきました。

趣味の話 郷土の陶器 松代焼 其の2

郷中の8月15日に長野市信州新町ジンギスカン街道沿いにある『むさしやジンギスカンに 』に家族で向かいました。信州では何処のスーパーにも袋入りの『むさしやジンギスカン』が売っております。味付ジンギスカングランプリと言う豪の羊肉生産者団体が主催した催しもので『むさしや』の『特製生タレ羊肉ロース』が70品を越す商品の中で総合3位、尚且つ『オージー.ラム賞』も受賞した凄い実績を持ちます。独特のタレは生姜、ニンニク、信州林檎などの摺ったものを醤油ベースに漬け込んだもので、どちらかというとクセのある羊肉と相まって素晴らしい味になっております。私は子供の頃から『むさしや』の袋入りジンギスカンを食べて育ちましたので、今風に表現するとソウルフードに該当すると思います。

味付け肉だけでは無く、生肉を焼いて特性タレに付けて食べるのも絶品です。むさしやさんのホームページより
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信州人にはお馴染みの商品です。 味付ジンギスカングランプリのHPより
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此処から本題に入りますが『むさしや』さんから長野市方面に国道19号を下り、右に折れて山の中に入ったところに山布施と呼ばれる風光明媚な集落が有ります。そして山布施には松代焼の窯元である『唐木田陶園』さんが有るのです。松代焼は真田藩の御用窯として焼かれておりましたが、瀬戸などの安価な焼物が出回ると、衰退していきました。そして閉窯と共に松代焼の技法は失伝してしまったのです。

時代を経て長野市の中学高で美術教師をされていた唐木田又三氏が残されていた松代焼の陶片より独自の研究を重ね、昭和38年に松代焼の技術復元に成功されました。20年も務めた美術教師の職を辞して未知の世界に飛び込むには相当な決断が必要だったと想像致します。松代焼の他にも青磁に高い技術力を見せ、晩年には独自の寂焼(さびやき)にも取り組まれました。時代超えて復元された松代焼は、現代に生きる私ごときにも、郷土の誇りを教えてくれている焼物なのです。

信州新街はこんな感じで犀川沿いに集落が連なる地域であり、何となくですが木曽に似ております。長野市地域おこし協力隊のHPより
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そんな大自然の中にポツンっと工房を構えるのが『唐木田陶園』さんです。
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私が訪問した当日は息子さんの伊三夫さんが対応してくれました。  唐木田陶んのHPより
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中に入らせて頂くと、父上である又三さんの展覧会に出品した物凄い作品や再現した松代焼、当代である伊三夫さんのトルコブルー釉の作品などが展示され、何れも素晴らしい作品ばがりで見入ってしまいました。故又三氏の奥様にも対応頂き、色々教えて頂きました。

伊三夫氏のトルコブルー釉の作品です。多治見の人間国宝である加藤卓男先生の青釉にも少し似ておりますが、伊三夫氏の『青』は近くに流れる犀川の水面の様に器の表面を流れており、躍動感に溢れております。
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目にも眩しい鮮やかな青です。銅を釉薬に混入すると仰っておりました。
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此方は松代焼の作品です。唐木田窯の松代焼は山萩の花の様な鮮やかな紅色が出る事が特徴です。此の紅色は他の松代焼には見出す事が出来ません。
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この花入は唐木田陶園のホームページに紹介されている物です。此の透き通る様な淡い青に黄色い無数の小さい落ち葉が流れている様な景色は信州の大河が流れ下る景色に良く見られる光景です。
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コチラが今回購入した松代焼とトルコブルー釉の作品です。
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トルコブルーの急須は、お茶好きな母親に買いました。
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何とも言えない発色が魅力です。此の色を観た母はとっても驚いておりました。
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コチラは自分用に買いました。お酒が4合以上入るとの事です。
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此の大徳利の発色も実に見事な紅色が出ております。
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茶碗も買ってしまいました。此の茶碗で頂く一服はどのような味わいでしょうか。
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茶碗を横から写したモノです。
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これは私が所蔵している唐木田又三氏による青磁の酒器です。
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氷裂貫入が激しく入った作品です。
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釉薬を重ねて厚く塗り、焼成した後に冷える速度の違いから貫入(ヒビ)が発生します。これが窯の中に器を置く位置によって温度がバラバラに成ると、ヒビが一箇所に集まったりしてしまうです。私の想像ですが、刀剣の焼入れと同じで火入れの温度管理がとても難しい作品だと考えます。重なる貫入が氷の様な紋様を描く事から氷裂貫入とも言います。

写真が下手なので伝わり難いのですが、何層も重なっているのが分かりますでしょうか?
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共箱の蓋に又三氏が記した銘がございます。少し青みかかっているのは保管場所が悪くて湿気によって真田紐の色が共箱に移ってしまっている為です。
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伊三夫氏には江戸時代から継続する松代焼の土を採取する場所や、其の土に混ぜる為の土を種類や採取場所の事など貴重な話を色々教えて貰いました。何れの事項も無学な私には驚くべき内容でした。

当代の伊三夫氏は、お子さんがおられず、弟子も居ないとの事でした。唐木田又三氏から引き継いだ優れた技術は継承されない事になります。一人のファンとしては大変寂しく思う次第です。伊三夫氏に是非自らが良いと強く感じた名品を次回に買わせて欲しい旨を伝えて唐木田陶園さんを後に致しました。  

唐木田又三氏 唐木田陶園さんのHPより
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※ 陶芸家 故唐木田又三氏の来歴について 
大正15年に生まれる
昭和26年 東京芸術大学工芸科を中退
昭和27年 長野市の中学にて美術教師をしながら
     陶芸の道を目指す。
昭和38年 長野市松代町に開窯し、
      途絶えていた松代焼を研究して
      復元に成功する。
昭和42年 名古屋工業技術試験所窯業研修生。
昭和47年 教職を退いて長野市篠ノ井
      登窯を築窯し本格的な作陶に入る。
      青磁造りにも非凡な才を見せる。
昭和55年〜平成7年
      日本工芸会正会員。
      著書 『無ソノフシギナシクミ』
      や『石ころの笑い』などを出版
      する。
      寂焼と言う新境地に入る。
平成24年 没する。

又三氏が青磁の研究に取り組んでいる時に記した日記が有り、其処に苦悩の記録が残されていると言います。『厳正な形は力だ それは非常で非人間的だ 力や生命の根源をそこに感ずる』と言う記録があると以前に知りました。此の事については、名品を見る度に何となくですが感じておりました。此れは山野の美しい景色とは別であり、上野の国立博物館で古い太刀を見た時や国宝の井戸茶碗などを見た時に感じた事でした。

常に独自の哲学的思考の観点から作品の制作に取り組んできた郷土の偉大な陶芸家が残した焼物を、今回一人でも多くの人に知ってほしく思った次第です。

夏休み 千曲川でイワナ釣り 渇水と恵の雨

久しぶりに千曲川水系にまいりました。意地悪なもので雨が降らなくて超渇水が続いていたみたいです。ところが有難い事に朝方に少し雨が降ってくれました。水嵩が増える迄とはいきませんが、千曲川龍神さまが降らして頂いた雨だと思います。

小鬼百合が綺麗に咲いておりました。
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小さい頃に祖母から鬼百合と小鬼百合の違いを教えて貰い、『小鬼』と言う響きが愛らしくて好きでした。因みに茎に焦茶のムカゴが出来ているのが鬼百合で、ムカゴが無いのが小鬼百合です。

今回は減水と言う事も有り小沢に入る事に致しました。昨年までは千曲川に通っておりましたのでポイントは知っております。しかし川に入ると今回は減水でポイントの体をなしておりません。しかし岩の隙間から何とか2匹のイワナを引き出しました。

8寸5分の良いイワナでした。
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普段より20cmくらい水量が減って撮りますが、釣れたのは此のポイントです。手前の石の中に目印が引き込まれました。
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こちらはヘラブナの様に背張です。こんな体で岩の隙間に居るなよと思った次第です。
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この後は上流に行くほど水は細くなってしまい、小ヤマメを釣っては放しを繰り返しておりましたが、リリースした小ヤマメが浮いてしまい、止む無く魚籠に入れたのを契機に退渓しました。

少し車を走らせて昨年までは通い詰めた杣添川の中流部に向かいました。空がにわかに曇ったかと思うと、水神さまの御利益である雨が降ってまいりました。車での移動時に有難い恵みの雨が降が降ったのです。ワイパーを15分ほど使うくらいの雨でした。 

昨年撮影した杣添川中流へ通じる道です。石長比売(いわながひめ)が鎮護する八ヶ岳が懐かしいですが、昨日は思いっきり曇になって見えませんでした。
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現地に到着すると雨が止みました。奇跡にも近い偶然に思わず天に向かって御礼申し上げた次第です。川に降りてみるとチョッピリだけ濁りが入ってます。早速餌を投入すると、心地よいアタリが出てくれました! 私の餌を咥えてくれた魚は見事な尺上のイワナでした。オマケに直ぐ上の淵でも塩焼きサイズが3匹出てくれました。なんと落ち込み2つの遡行距離5mです。此の時は携帯を車に忘れてしまい、釣り上げたばかりの画像がない事をお詫び致します。

自己制限匹数を数え間違えて超えてしまった事と恵みの雨の恩恵に甘え過ぎては失礼に当たると考えて竿を仕舞う事に致しました。

車に戻って携帯を取り出し、さっそく白っぽくなる前に杣添川のイワナを撮影致しましたf:id:rcenci:20220813191745j:image

南牧村千曲川沿いに有る湊神社の水神さまである岡象女命(ミヅハノメノミコト)に拝礼し御礼申し上げました。

この後は母親の実家である蓼科町に向かいました。久しぶりに身内が集まっての食事会の為です。また本家の叔母ちゃんが望月にある川西赤十字病院に入院しているので、皆で病院に行ってリモートお見舞いを致しました。実を申しますと、この川西赤十字病院は私の生まれた病院です。今回の行ったリモートお見舞いは実に恐れ入った仕組みでした。

一通り終わって更級に帰り、夕ご飯を食べている時に蓼科の親戚からお裾分けしたイワナの塩焼きの写真が送られてまいりました。

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山野に囲まれた信濃において、川魚は貴重品でした。ここまでキレイに食べて貰ったらイワナも、リリースしたら浮いてしまった18cmのヤマメも本望だと思う次第です。どうやらヤマメは骨まで食べてしまったみたいです。こう見ると渓流釣りは身内の団欒にも一役買っておりますね。