みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

犬の散歩と歴史探索

我が家の愚息であるヤマトです。f:id:rcenci:20200126144827j:plain男の子で去勢手術をしておらず柴犬なのに現在体重15.4kgの立派な体格をしており、掛り付け動物病院の先生は少しビビっております。私には何か有っても従順でありますが、散歩時に他の犬と対面すると牙を剥き出して威嚇致します。そんな時は口の中に手を突っ込みますと、何時もの柔和なヤマトの表情となります。先生は噛み付いたりしませんか? と聞いてまいりますが我が家に来た時から現在の9才まで一度もございません。しかし、咄嗟の動きは俊敏で先祖が獲物を追っていたままの野生を垣間見れる時もございます。何時もは長女が散歩に行くのですが、本日は私が散歩の当番と成りましたのでヤマトを連れて向かいました。目指すは地域の氏神である諏訪神社の境外地に鎮座する古からの御神宝を見にまいりました。


蚕種石と言い、地域に伝わる御神宝です。f:id:rcenci:20200126144858j:plain案内文によると神武東征のみぎりに抜群の功績を建てた天種子命(アマノタネコノミコト)の功にあやかる為に他の命達が山石を清めて奉斎したとの内容が書かれております。天種子命と言えば中富氏の祖神であり、忌部氏と一緒に朝廷の神事を司り、大化の改新の立役者である鎌足を排出し、後々に大きな勢力となる藤原氏につながります。地域の方々が大事にされて来た理由が何となく理解出来ます。

案内板です。f:id:rcenci:20200126144922j:plain私が最初に蚕種石を慧眼した時は一般の方の自宅のお庭に道から見える形で安置されておりました。現在の様な状態にするには地元の皆様が大事に奉斎しているからですね。

近くには此の石に因んだ公園も存在致します。f:id:rcenci:20200126144943j:plain

渓流解禁に向けての仕掛け作り その2

解禁に向けての仕掛け作りを進めております。私の仕掛けは浮玉と仲間内で呼ばれているフライフィッシングでいう処のインジケータの様な役割をする目印を使用しているのが特徴です。

此れが浮玉ですf:id:rcenci:20200121070409j:plain

社会人となった頃に釣宿で有名な木曽の旅館山水さんに初めてお世話に成り、浮玉が市販されている事を知りました。其れ迄は桐の木やタラの木で自作しており、根掛かりすると、そのままロストするのが悲しかったのですが、その後は製造している某有名老舗釣具店より直接購入したり、山水さんに行った時に買い付けておりました。ところが10年程前だと思いますが急に製造中止と成ったのです。昔の様に桐の木で自作致しましたが、発泡スチロール材とは使い心地が違いました。其処で様々な材料を見つけて試行錯誤を繰り返し、3年目に何とか納得のいく物が出来ました。某老舗釣具店では『鮎兵衛目印の丸』と言う商品名で販売されておりました。

浮玉は上下色を変えて装着致します。真ん中に通っているビニール管に糸を通して、上下をヨウジの先端を切ったもので固定致します。取り付けるのは0.3号以上のラインが好ましく、細糸を使う時は下にハリスを取り付けますが、私は極端な細糸は腕が悪くて使えません。風が強い時は2つとも沈めて流しますが、重りが軽い為に根掛かりするはずの無い仕掛けが止まった時が魚が咥えた時です。ヘチ際のボサ下を流す時や堰堤などの反転流が多いポイントは水中の浮玉がブイの役割をして魚の前まで餌を届けてくれます。また竿先で吊るす釣りでは無いので軽い仕掛けは根掛かりせずチャラを流れ、自分の竿の影で魚が逃げない利点がございます。最近急に目が老眼の呈を示し始めましたが、此の目印は360°どの方向からでも良く見えるので朝マズメのギリギリ見える時のチャンスを逃がしません。f:id:rcenci:20200121070901j:plain

大分上に位置確認の為の毛糸目印を取り付けます。これも沈める時がございますので沈みやすい様に上下に伸びる様に結び、下の部分は結目近辺にてカットしております。f:id:rcenci:20200121070732j:plain

添え糸8の字結びチチワ 鮎釣り名人の古川トンボさんの本で学んだのですが、チチワを作る時に添え糸を交えて8の字結びを行います。添え糸が緩衝材の役割をして此処からの高切れは絶対起こりません。f:id:rcenci:20200121070835j:plain

釣り師は其々己が創意工夫を凝らした仕掛けを使用していると思われます。どんな工夫された仕掛けを使おうが足場や水量及び流速、或いは獲物の大きさなど避けきれない事項によるラインブレイクは偶発的に起こり得る事は、致し方無い事だと考えます。
私も30年以上信州の川を巡り、お会いした釣り師の諸先輩より釣りに関する様々の秘訣を教えて頂きました。驚く様な内容も有って大変参考に成りましたが、話の根底には釣りを通して故郷の川と山に対して強く畏敬の念をお持ちであった事が印象に残っております。20代の頃を思い起こしてみると、周囲に先輩釣り師が数多く居た気がいたします。現在は自分が反対の立場となっておりますので次世代に恩返しを行いたいのですが、最近は若い釣り師どころか地元の子供すら釣り場におらず寂しい限りです。

渓流解禁に向けての仕掛け作り その1

若い頃は待ちに待った千曲川解禁の2月16日以降の休日に勇んで出陣しておりましたが、最近は3月1日の木曽川解禁からの出動です。釣り仲間もとっくに齢50を遥かに超えて無理しなく成ってまいりました。個人的に若い頃の事を思えば馬鹿丸出しですが、解禁に信州白馬松川上流部の沢目掛けて雪中行軍する事1時間半でようやく辿り着き、川を見たら一面氷の川で釣りに成らず引き返した事や木曽で雪庇を踏み倒して荒神橋下の本流に首まで水没したり、恥ずかしい思い出は枚挙に暇が有りません。

解禁は深めのトロ瀬や落ち込みを釣るので、極稀に大物が出る場合も有る事を考慮し、トラディショナルな太めのラインを使います。ずっと同じラインを使用しておりますので各号数の限界値が長年の感覚である程度分かります。

ダイヤフィッシングのフロストン鮎を長年使用しております 最近パッケージが変わりましたf:id:rcenci:20200119165200j:plain

父親の仕掛けを真似てロングライン使用時は4m、短いラインは一ヒロの長さで統一して、ポイントに合わせ適宜天井糸を使います。また仕掛け巻きは鬼印のソフト仕掛け巻きを使用しております。生産中止となった物も有り、販売店を探して買い溜め致しました。

鬼印仕掛け巻き 浮玉を収納出来る唯一仕掛け巻きですf:id:rcenci:20200119165229j:plain

糸を巻く時にヨウジを一本挟むだけで糸癖が付きにくくなりますf:id:rcenci:20200119165250j:plain 

ナイロン糸なので風邪を引かない様に乾燥剤を入れたマチ付きのビニールパックに並べて携帯致します

小さな封の出来るビニールパックは雨の日でも安心!f:id:rcenci:20200119165338j:plain

乾燥剤の周囲を袋が破れない様に丸くカット致しますf:id:rcenci:20200119165403j:plain

携帯時はさらに大きなビニールパックで二重に致しますf:id:rcenci:20200119165435j:plain

フロロカーボンラインを使えば此処までやる必要は有りませんが、一部の結び方を除いて結び目の強度が弱い事とナイロンの微妙な伸びに慣れてしまっているので仕方有りません。長年やってまいりましたが、仕掛けの強度は竿の固さとラインの強さと針の強度のバランスですね!良いと思われる最高のバランスを知るには、竿とラインと針を数種類使い、針のフトコロの開きも考慮して試行錯誤しないと分からないと思います。私の場合は年間せいぜい25日位の出漁なので其の都度考えてアレコレ試して納得行くまで時間が掛かってしまいます。然し其のやっと見つけた最高のバランスも肝心の竿が部品交換不能となる迄が有効期限です。そして再度理想とするバランスを求めて最初の段階である竿探しが始まるのです。仕掛け作りと保管に気を付ける理由と致しましては、釣り場で未知なる良型が来た時に後悔しない様なコンディションを保つ為です。私が仕掛け作りを始めると娘たちが『もう、そんな時期なんだ』と季節を感じるとの事で、父親として少し申し訳無く思った宵の口でした。

その2に続きます

雪見酒

金曜日の仕事終了間際、急にお酒が呑みたくなり、一部に声掛けするのも不公平と感じてしまい『本日予定の無い宣言』をした役職員を連れて最寄りの居酒屋さんに向かいました。最近の居酒屋は全国津々浦々のお酒を用意しているので、其の土地を想いながら頂けるのは有り難い事です。一時間半程皆で楽しい時間を過ごして帰宅致しましたが、少々酒量に物足りなさを感じた次第でありました。

一夜明けて土曜日は雪降りと成りました。信州人は雪なんて当たり前の事ですが、人生の半分以上を東京で過ごしている私には望郷の念を抱かせる雪です。有り難い事に今日は何も有りません!其処で休日の特権である昼間からの雪見酒と相成りました。お酒も好きなら酒器も好きで六古窯の酒器を順番に使ったり、父の使用していた磁器の酒器を気分に合わせて使用しております。

丹波焼の赤土部釉です 鉄分の強い化粧土を器面に塗り独特の赤茶色を呈する技法です私は燗酒を頂く時に使いますf:id:rcenci:20200118214812j:plain

お気に入りの酒器で頂くお酒は格別です。娘二人もアルバイトに行きましたので、もう一本頂く事に致しました。しかし一本が二本、二本が三本....となる事は自明の理であります。

父の使用していた京焼の酒器です 写真では分かり難いのですが能面の白の様な深い白であり、外の雪景色に合わせました 肴は山牛蒡の漬物ですf:id:rcenci:20200118214834j:plain

松城焼のお皿です 肴にと思って焼いた塩鯖の切り身を乗せてしまうと此の独特の青色が見えなく成りますので乗せる前に写した次第ですf:id:rcenci:20200118214926j:plain 

本など読みながら頂いていると、あっという間に時間は過ぎてしまい、佐久茂田井の名酒である御園竹(ミソノタケ)の一升瓶に残された酒量も減りましたので『おつもり』と致しました。更科に居た時は雪など特段なんとも思いませんでしたが、雪は良いものだとお酒で熱った顔に心地よい冷気を覚えて感じた次第です。

解禁前の禁断症状

本日は渓友と渓流小物の買出しに20年来通っている釣具店に行きました。取り敢えず解禁も間近となり、50歳まであと2ヶ月の私ですが渓流解禁前はドキドキが止まりません! 困ったものです。向かったのは東京都あきる野市にある岡野釣具店です。本日は江東区から先輩が一人、横浜市から先輩が一人の三人です。岡野さんの店は、あきる野市に移る前の店に偶然立ち寄った御縁で当渓友会全ての会員が此の店を使っております。親切丁寧な対応で品揃えも多く、正に『プロショップ』です。あ〜だ! こ〜だ! 云いながら釣具を通して今年の釣りシーンを仲間と予想するのは楽しい時間です。年間に使うラインやガン玉など消耗品をまとめて購入致しました。

東京都あきる野市にある岡野釣具店f:id:rcenci:20200111174926j:plain

釣具店の後は八王子ラーメンの名店『みんみん』に立ち寄ってから帰るのが通例となっております。此処のラーメンは新入社員の時から美味しく頂いており、28年間お世話になっておりますが何時食べても美味しいのです。八王子ラーメンは八王子市子安町にあった『初富士』さんが初めてラーメンの薬味に玉ねぎを入れ、薄い脂の乗った醤油味の麺に合わせて完成させたラーメンが元祖です。醤油味のキリッとした味に円やかな油が絡み、刻んだ玉ねぎの辛さとの相性が抜群です。最近は???と思う八王子ラーメンを出す店舗も増えておりますが、楢原町の『みんみん』、台町の『でうら』さんや大和田町の『おがわ屋』さんなど昔ながらの味を継承している名店がオススメです。私が最初に食べに行っていた頃にラーメンを作っていた親方から次の世代に変わっておりますが、親から子へ移っても味が変わらないのは本当に凄い事だと思います。因みに元祖の『初富士』さんも中野上町で息子さんが店を継続しております。

写真撮り忘れました! ウィキに有った八王子ラーメンf:id:rcenci:20200111174952j:plain 

話は戻りますが、ウェーダーやウェーディングシューズ、防寒着などは今からチェックしないと現場で万が一もございます。35年以上の釣り経験で物凄い失敗を何度もやりました。千曲川解禁の時に居倉集落の本流でマイナス12°の外気温の中で川に入りましたらウェーダーから勢いよく水が侵入して足の指が凍り付きそうになった事も苦い記憶として覚えております。そうならない様に準備万端で備えたいと思います。

数十年の間、私と雪の渓を共にした戦友とも思える魚籠とタモです タモ網は破損したので7回程張り換えておりますf:id:rcenci:20200111175010j:plain

タモの柄にある割れ目と節の跡ですf:id:rcenci:20200111175036j:plain
娘が見つけて思わず笑ったのですが『無事カエル』マークが有ります

魏石八面大王

信州の古代を考察すると日本一長い流程を誇る千曲川の最源流にある川上村に海の神である住吉大神を祀る住吉神社犀川流域では綺麗な山々を望める安曇野に安曇族の祖神である穂高見命を祀る穂高神社が鎮座されたり、山なのに何故か海の神様がお祀りされております。そんな中でも今回は友人の多く住う安曇野にまつわる話をご紹介致します。友人のお身内から聞いた話は本当に興味深い話ばかりでした。

魏石八面大王(ぎしきはちめんだいおう)は信州安曇野に伝わる伝説上の人物(鬼)です。安曇野に観光などで訪れた方は『大王ワサビ農場』に立ち寄った方が大半であると思われますが、綺麗な流水がわさび田を潤す光景の中に、魏石八面大王の胴体をお祀りしている大王神社がある事に気が付いた方は極少数だと思われます。他の説では『義死鬼』つまり『義』の為に死んだ鬼とも表現されております。

Wikipediaより 大王ワサビ農場内にある大王神社f:id:rcenci:20200107165733j:plain

様々な説が伝わっておりますが、歴史は常に勝利者が創るのもので、此の話も御多分に漏れず勝利者側の物語が通説です。田畑を荒らし、盗みを働くなどの悪さをした魏石八面大王を征夷大将軍である坂上田村麻呂が軍を率いてやっつけました。強い抵抗を見せた魏石八面大王の復活を恐れて五体を切断し別々の場所に埋めたとされてます。仁科濫觴紀など私も様々な文献を見ましたが、大王が唯の悪党として記されている場合と虐げられた人々の為に立ち上がった場合の二面性が有ります。歴史は常に勝利者側から見た流れである事は理解しておりますが、大王ワサビ農場内にある大王神社の説明書の文面からは、魏石八面大王が地域から慕われている情景が偲ばれて信州人の心に染みます。

大王が戦った背景として、まず大和朝廷の支配体制強化がございます。延暦16年(797年)に坂上田村麻呂征夷大将軍に任じられると蝦夷征討は厳しさを増しました。蝦夷とは現在の山形県宮城県中部以北を指し、朝廷による征討は7世紀中頃より行われました。信濃は都から北へ向かう丁度中間の位置に当たる事と、当時における信濃は馬の大産地でも有り、数有る御牧から軍馬を調達する為に朝廷軍が駐留する事が多かったと思われます。その都度に朝廷軍は土地の人へ兵糧などの貢物を要求し、土地の人々は非常に苦しんで疲弊しておりました。

そんな環境の中で土地に根付いていた力の有る人物達が義憤にかられて当時最強朝廷軍に刃向かったのです。魏石八面大王軍は地の利を生かして何回か朝廷軍を撃退したとの伝説です。然し多勢に無勢で最後には山鳥の十三節の羽で作られた矢に当たり、力尽きました。当時において鬼は復活すると信じられており、大王は五体をバラバラにされて別々な場所に埋められたといわれております。埋められたと場所全ては書面の都合で明記致しませんが、胴体は大王ワサビ農場の近くに埋められました。時代を経て大水で流されたので今の大王ワサビ農場主が農場内に大王神社としてお祀りしたと伝わります。魏石八面大王の首は松本市筑摩に鎮座する筑摩神社に埋められ、現在は飯塚と呼ばれ残っております。

Wikipediaより 魏石八面大王の首が埋められたとされる筑摩神社f:id:rcenci:20200107165750j:plain

安曇族が移り住んだ地域は多岐に渡り、渥美半島や熱海など様々有りますが、安曇野に移り住んだ安曇氏は穂高神社を建立して一族の祖神である穂高見命や綿津見命を祀りました。此処を本拠とした安曇族の規模が伺えます。魏石八面大王には安曇族と共に逃げた『筑紫の磐井』の末裔の血が流れていたのでしょうか? 現在の北九州安曇郡から起こり、志賀島を本拠としていた安曇氏は『磐井の乱』に加担し朝廷から追われ日本列島を漂流し各地に移住致しました。安曇野に移住した安曇族は筑紫(福岡県八女市が本拠 八女=八面?)の磐井の末裔八面大王と共に戦って敗れ、朝廷側に滅ぼされる事を恐れて安曇族である事を黙して過ごしたのか? 1,200年前の事なので今となっては想像の域を超えませんね。

追伸
穂高温泉郷の一角に八面大王足湯なるものが有ります。魏石八面大王のモニュメントを見ながら穂高温泉を気軽に楽しめる施設です。近くに行ったら立ち寄ってみるのも一興ですよ。

火除けのお札

我が家が代々使用している火伏せのお札をご紹介致します。実は私も今回始めて訪問させて頂いたのですが、授与して頂ける場所は信州浅野にある古刹の寶蔵院です。元々は千曲川の漁師が漁をしている時に真言が記された木片が流れ着ついて、それを祀ったのが始まりであるとの御住職の話しです。現在は曹洞宗となっておりますが元々は真言宗であったとの事でした。

信州寶蔵院の火伏せ護符f:id:rcenci:20200103082135j:plain

この火伏せのお札は効力が有って、祖母から聞いた話だと、今住んでいる家は違いますが、祖父が建てた大きな家の横に古い家が有り、その古い家が火事になった時の事。炎が竜巻となっていたとの祖母の話なので現代で言う火炎旋風です。違う家にも延焼の被害をもたらせたのですが、我が家は寶蔵院の火伏せ護符が屋根の上で舞っていて被害は全く無かったとの話です。私が高校生の頃に真面目で気丈な祖母が語ってくれました。

寶蔵院本堂(ほうぞういんほんどう)f:id:rcenci:20200103082200j:plain
防火大日如来と刻まれた石塔ですf:id:rcenci:20200103082223j:plain

本堂の横に不思議な石像が並んでおります。10体の歴史を感じさせる石仏で有り、真ん中の石仏だけ大きく造られてます。横の説明書を見たら長野市の指定民俗資料の十王像であると書かれております。
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地獄の10人の王様ですf:id:rcenci:20200103082322j:plain
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十王教とは中国から来た思想ですが、中国に伝わった仏教と道教と混って出来たもので、日本には平安末期に伝わりました。有名な王では皆さんが知っている冥界のドンである閻魔大王がおります。あの世とこの世よ堺である中陰と言う場所に行くと、人が死んでから四十九日で十人の王に審判を受けるので、其の王に生前からお祈りを捧げていると、いざ自分が対面した時に救われると伝わります。三途の川の渡し賃や杖などを入れるのは此の道中を少しでも楽に辿り着ける様にと棺にいれるのです。私は10人並んでいる像は初めて慧眼致しました。

閻魔大王 Wikipediaより こんなのに出会ったら怖い処の話ではないですf:id:rcenci:20200103082425j:plain 

因みに小野篁(おののたかむら)という平安初期の公卿は、現在も京都府東山区小松町にある冥府通いの井戸から冥界に赴き、閻魔大王の補佐をしていたと伝わります。小野篁の孫の小野道風は和様書道の基礎を築いた人物で花札などに出ておりますが、柳にカエルが飛ぶ絵で有名です。

私は祖母から嘘をついたら『閻魔さまにベロ抜かれるぞ』と注意されて育った世代だけに、私も手を合わせました。