みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

諏訪 神宿る神域 その四 最終回

諏訪には七石、七木という霊石や霊木が存在致します。七木については私も参拝のついでに何回か見て回りました。見事な巨木と其の伝説に唸りながら楽しく巡らせて頂きました。

昨年の7月初旬の話ですが、単身赴任先である三重県松阪市の借り上げ社宅で食事をしながら、1ヶ月後に来るであろう夏季休暇の予定をアレやコレやと考えておりました。今度の夏休みは娘達と更級に帰りたいし、涼しい諏訪で諏訪七石を回ってから、帰り道に松本へ寄って名物の山賊焼き定食でも食べようかな....と考えたのです。早速地元の詳しい友人に電話し、七石は何処から回ったら良いのか尋ねました。

私と友人は小学校入学以来の付き合いであり、私の歴史の先生の様な存在で、小さい頃は一緒に化石探しをした仲です。現在友人は某国立大学文化人類学の教授となっております。そんな友人に七石巡りのおすすめパターンを聞きました。

話が一区切りついたにもかかわらず、友人は『ところでな...お前は諏訪贔屓だから話すが....』と切り出し、七石のなかで一際巨大な磐座の話を私にしてくれました。其の大きい磐座の名は小袋石(おふくろいし)と言い、またの名を船つなぎ石とも言われているとの事でした。此の小袋石は守屋山の中腹に鎮座しており、道路には何の案内板も無いとの事だったのです。次第に興味を持っていった私は、詳しく終えてくれと頼んだのです。

そして友人は小袋石の神秘性を話し始めました。其れ程長い時間話した覚えは無かったのですが、話を聞き終わって電話を切った時に通話時間が2時間22分だった事を記憶しております。話が終わると、何と恐ろしい場所にあるんだ....と言う気持ちと、是非此の目で見てみたいと思う気持ちが半々であり、実際に訪問したのは3カ月経過した昨年の11月だったのです。

まず友人の話を確認する為に木曽釣行の帰り道に大鹿村中央構造線博物館を訪問し、色々話を聞きながら確認したところ、友人の話と見事に一致しており、いよいよの諏訪行きとなったのです。前の3週間分は全て此の話の前に諏訪の地形的特性と日本中に広がる諏訪信仰を御案内しようと思って綴りました。以下は其の小袋石を訪問したの時の話しとなります。

神域の入り口に此の色あせた説明書が有ります。全く目立たず訪問した時は森と同化しておりました。守屋山は其の名前の通り、頂上付近に物部守屋を祀っている神社が存在致します。従って諏訪の信仰の根源は守屋山自体では有りません。要の洩矢一族が祈りを捧げて来たのはミシャグジ様が降臨する小袋石その物なのです。
f:id:rcenci:20230318100237j:image

案内板から先に進むと通常の神社と同じ様に進行方向の左から右に流れる小川が有り、其処で不浄を落として奥に進みます。そして其の先を少し上がると大きめの石の祠が有りました。

磯並社です。太古には諏訪湖畔から少し登った所に鎮座していたと思われます。春に行われる諏訪大社上社の春祭り最後に磯並神事と言うお祭りが執り行われていると聞きました。
f:id:rcenci:20230318100251j:image

二つ目は瀬神社です。『瀬』ですので水の神様をお祀りしていると思われます。水神様と言うと罔象女神(みずはのめのかみ)か、大祓えの神でもある瀬織津姫(せおりつひめ)でしょうか、確か金沢市瀬織津姫神社がありますが詳細は分かりません。
f:id:rcenci:20230318100301j:image

三つ目は穂股社です。『穂』は穂高岳の穂を連想します。恐らく山神様だと思いますが、詳しい事は今の段階では調べておりません。
f:id:rcenci:20230318100313j:image

四つ目が玉尾社です。『玉』と有りますが、私の拙い知識では八尺瓊勾玉をつくった玉祖命しか知りません。日頃からの不勉強を反省致しました。友人に聞いておけば良かったと後悔が尽きませんでした。
f:id:rcenci:20230318100638j:image

そして玉尾社の横に鎮座している巨大な磐座が此の小袋石(おふくろいし)です。まずは其の大きさと神々しさに圧倒されました。最初に友人から小袋石の事を聞いた時は『そんな事って本当に有るのか?』と思わず聞き返したのです。実際に此の目で視てから納得しようと思っての旅路でした。
f:id:rcenci:20230318100328j:image

裏から撮影した小袋石です。ちょう真上から日が差しているところを撮影出来ました。此方側には友人の言った通り、石を切り出した箇所が見て取れます。
f:id:rcenci:20230318100721j:image

其れでは此の小袋石が何故に諏訪信仰の根源になったかを御案内させて頂きます。其れは此の小袋石が鎮座している場所は驚くべき事に中央構造線の真上で有り、石の真下でユーラシアプレートと太平洋プレートがガッチリ攻めぎ合い、更に後ろからフィリピン海プレートが横槍を突く様に突っ込んで来て、両プレートの力が均衡している真下に潜り込むと言う世界的にも他に類を見ない三接点のど真ん中の上に鎮座てしいるのです! 

小袋石の真下のプレート境界が分かりやすい図です。フィリピン海プレートが天狗の鼻の様に伸びてます。つくば産業技術総合研究所 地質調査総合センター様より
f:id:rcenci:20230318100825j:image

小袋石が鎮座している場所が如何に有り得ない場所であるか、更に分かり易くする為に下手くそな手書き図を書いてみました。ホントニヘタデゴメンナサイ
f:id:rcenci:20230318100836j:image

小袋石の直ぐ上には九州まで続く中央構造線が走っており、下方向にもクッキリと中央構造線が走っております。尚且つ下方向の溝には小袋石の真下を水源とした湧水が流れております。小袋石の裏から山の上に視線を向けた時に此の大地の割れ目を見た時は正直申しましてゾッと致しました。
f:id:rcenci:20230318100925j:image

小袋石の下方でフィリピン海プレートが潜り込んでいる場所です。此処を覗いた時には余りにも凄い場所に来ている事に対して背筋に冷や水を流し込んだ感覚になりました。
f:id:rcenci:20230318100935j:image

此処に鎮座している小袋石さまは日本列島がバラバラになるのを悠久の時を超えて現在でも護っているのです。いつの時代から此の巨石が此処に有るのかは分かりませんが、此の場所に鎮座しているのは天意以外の何モノでも有りません。正しく洩矢一族が継続して奉斎して来た日本の要石とも言える国土の霊石なのです。実際に現地に赴いて間近で見た時は、世界的にも類を見ない此の場所に対して強烈な恐ろしさを感じました。

しかし....よくよく考えてみると小袋石は何千年もの長い期間において日本列島の要の地点を護って来たのです。もし此の霊石が無かったら日本列島は幾つかに別れて四散してしまっていたかも知れないのです。そう思うと恐ろしさは消え去りました。代わりに神そのものと感じられる小袋石に対して感謝の気持ちのみが込み上げてまいりました。小袋石は洩矢一族だけで無く、森羅万象....つまり日本国に生きとし生けるもの全てが感謝すべき存在であると感じたのです。

此の神域には昨年の秋が深まった頃に仲間4人で出かけました。神域に入った途端に仲間の1人が急な眩暈と頭痛に襲われたのです。辺りは急に冷たい小雨が降り出して波乱の予感が有りましたが、磯並社に参拝したら友人の頭痛が治りました。明らかに其れ迄とは違う凛とした空気に私も体の変化を感じておりましたが、連なる社(やしろ)を参拝する毎に違和感は消えて行ったのです。うまく表現出来ませんが、体の中身が一旦無くなってから順次新しくなって行く様な....とでも申しましようか、とにかく不思議な感覚でした。

帰りの段取りとなりましたので、皆で小袋石に対して最敬礼の拝礼を行ってから下山したのです。神域の結界でもある小沢のせせらぎを渡る時には一筋の光が空から我々の前を照らしました。四人とも荘厳な周囲の空気にしばし足を止め、後ろに鎮座している小袋石を振り返りました。そして皆が心から感謝の念を持って諏訪を後にしたのです。

此方は諏訪地域の画像です。往時の諏訪湖は水量が豊富で山際まで水があったと言われております。Wikiより
f:id:rcenci:20230318101115j:image

小袋石は縄文一万年の都である諏訪を見下ろせる守屋山中腹に鎮座し、同時に日本列島を鎮護して来た神そのものであると、参拝から時が経過する毎に強く感じております。以下はあくまで個人的な私感ですが、諏訪の古族である洩矢一族が祈りを捧げていたミシャグジ様を民俗学者である柳田國男氏が境界の神と言っていたのは此の事かも知れないとも思う様にも成りました。これ以上の結界は世の中に有りません。

最後に諏訪大社のある茅野市の縄文遺跡で出土した国宝2点と八ヶ岳の反対側の山梨で出土した土器を一つご紹介して『諏訪 神宿る神域』を終わりたいと思います。だいぶ私感が混ざってしまい、読み難い内容となった事をお詫び致します。

『国宝 縄文のビーナス土偶は全て女性の像です。驚くべき事に粘土に雲母が練り込まれておりキラキラと光るのです。そして耳にはピアスの穴まで有るのです。雲母が小さくキラっと光る土偶なんて約5000年前の諏訪縄文人は凄いセンスですね。お臍の穴が体内深くまで伸びており、臨月の女性を形作ったと言われてます。八ヶ岳山麓で出土する土偶は皆同じ様な顔の造形が特徴です。茅野市棚畑遺跡出土
f:id:rcenci:20230318101002j:image

此方は参考の為に載せますが、諏訪から一つ山を超えた山梨県から出土した物で同じ八ヶ岳山麓になります。土器に付いている顔が縄文のビーナスにそっくりなのです。此れは出産土器と言う珍しい土器で胴の部分から赤ちゃんが顔を出しております。 北杜市津金御所前遺跡出土 山梨県のWEBサイトより
f:id:rcenci:20230318101013j:image

『国宝 仮面の女神』此方は渦巻き模様や袈裟懸けの様な斜めの紋様の服を着ております。此れだけでも諏訪縄文人が装飾を施した服を着ていた事が分かります。能楽師の父親が話しておりましたが、どこの国でも面を付ける役柄は人以外の者を指すと言っておりました。約4000年前の人ならぬ者とは何でしょうか、其れは死者です。実際に発掘された時に土偶内部に死者の身体の一部が入っており、恐らくは再生を望んだ物だと考えます。此の時期あたりから世界の気温は激変し気候変動が激しくなりました。
           茅野市中ッ原遺跡出土
f:id:rcenci:20230318101028j:image