本文の前に
この度の能登を中心とした大地震で尊い命を亡くされた方々のご冥福を祈ると共に、被災された方々の一日も速い安寧を赤心からお祈り申し上げます。個人的に私の恩師親子も被災しており、心配で仕方有りません。特に高齢のお母さんの御体調が心配です。
本文に入ります。
前々回に書いた通り、饒速日命の妃神は長髄彦の妹である三炊屋媛 (ミカシキヤヒメ)になります。二神の御子神さまは宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)と言います。
持田大輔氏の描いた宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)てす。何とも勇ましく凛々しい益荒男に描かれてますね。宇摩志麻遅命はイワレビコの一族と共に進む事を決めておりました。
実は此の宇摩志麻遅命こそ古代豪族の頂点を極め、武士(モノノフ)の語源となった物部氏の先祖となります。故に物部氏は天孫である饒速日命の血と、勇猛だった長髄彦の妹の血を引き継いでいるのです。天皇家にとっては始祖からお仕えしていた氏族になりますね。物部連氏(モノノべムラジウジ)のその後はかなり長くなるので次回以降にご案内致します。
さて十種神宝の話ですが、此の記号の様なモノが現在のところ一般的に知り得るものです。本当に此れしか伝わっていないのです。恐らくは授かった時から宝物は箱に納められ、以後は誰も見た事が無いと思われます。知っているのは天照大神のみですね。
持田大輔氏の描いた最高神の天照大神です。持田大輔氏の描いた絵はどれも素晴らしい筆で感じ入っております。
此方は功有った者に陛下より送られる勲一等瑞鳳章です。此方の意匠は饒速日命と宇摩志麻遅命がイワレビコに奉った十種神宝に由来しているデザインと言われております。最高の勲章を三種の神器では無く、十種神宝を意匠に用いている事に深い意味を感じますね。
カムヤマトイワレビコより始まった大王(オオキミ)家では天津御祖(アマツミオヤ)から授かった三種の神器と十種神宝などを宮中にお祀りしておりましたが、其の霊威は凄まじく、第十代崇神天皇の時に勅命によって布都御魂剣と十種神宝を大和國郡山にある石上邑(イソノカミ村)に移したと伝わります。石上神宮は其の時に創建されました。伊勢神宮が次の垂仁天皇の時代に創建されましたので、何と石上神宮は伊勢神宮より古いという事になります。因みに崇神天皇は天照大神(八咫鏡)と倭大國魂神も其の神威の強さを畏れ、宮の外で祀る事にしたと有ります。此れには深い訳が有りますが、長文となり過ぎ、此処では省きます。
有名な『七支刀)も石上神宮に保管されております。
さて崇神天皇により宮中から出され、石上神宮に治められた十種神宝の説明に入りますが、古来から十種神宝には『国家の盛衰や死人も生き返らせる霊力が備わっている』とされております。物部守屋が丁未の乱で滅び、物部の古神道も現在は正確に伝える者はおりませんが、物部連氏の本拠地である石上神宮には脈々と古の祝詞が多く伝わっております。其の中でも今回お話するのは『布瑠の言』と言います。
物部連氏最後の棟梁である物部守屋です。現在は諏訪の守屋山で安らかに眠っております。何故信州の諏訪が出てくるのかは次回以降ご案内致しますね。
詳しくは話せませんが、21年ほど前に私の近しい友人が実際に十種神宝の霊威のおかげで不治の病が癒えました。神職が仕えている神社や『撫で紙』と言われるもの朱色で書いてあった文字を当事者の家族から聞きましたが、乏しい私の知識では全く理解不能でした。其れも正確な記憶が2枚分程しかなかったので辞書で調べたところ、其の朱色の文字は十種神宝の名前だと分かったのです。まだスマホも持っていない時代でしたので何冊か本を買って調べたりしておりましたら、其の事が饒速日命が神武天皇に奉った御神宝だったと分かり驚きました。此のシリーズを始めたのも此の古神道の古い言伝えをご案内したかった事もごさいます。饒速日命自体が一般的には知られておらず、話が長くなる事と変な誤解を受ける可能性も有るのでブログに綴ろうか迷っていたのが正直なところです。因みに申し上げますと、私はスピチュアルの世界とは全く無縁な男なのです。神仏は崇敬こそすれ、頼るものでは無いといという吉川英治好きな父の教えなのです。
以下は十種神宝の名です。正式には天璽瑞宝十種(あまつしるしみずたからとくさ)と『先代旧事本紀』に明記されており、誰も見た事が無いので記号のようなもので伝わっております。
沖津鏡(おきつかがみ)
辺津鏡(へつかがみ)
八握剣(やつかのつるぎ)
生玉(いくたま)
足玉(たるたま)
死返玉(まかるかへしのたま)
道返玉(ちかへしのたま)
蛇比礼(へびのひれ)
蜂比礼(はちのひれ)
品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)
沖津鏡(おきつかがみ)は如何なる時でも遠くを写せる鏡であり、高い場所に置く鏡。
辺津鏡(へつかがみ)は近くに置き、人の内面までも映しだす鏡。
八握剣(やつかのつるぎ)は国内や組織の中の邪気を打ち払い安定をもたらす霊力を秘める剣。
生玉(いくたま)を手にすると全ての生き物が生きながらえる事が出来る玉。
足玉(たるたま)は五体満足となる霊力を持つ。
死返玉(まかるかへしのたま)は死者を甦らせる霊力を持つ。
道返玉(ちかへしのたま)は、間違った事を正道に戻す霊力を持ちます。
蛇比礼(へびのひれ)は蛇から身を守る霊力を持ちます。
蜂比礼(はちのひれ)は毒虫から身を守る霊力を持ちます。
品々物之比礼(くさぐさのもののひれ)はあらゆる邪気を祓い清める霊力を持ちます。
比礼(ヒレ)ってなんだろう?と思われる方が大半だと思いますので日本服飾史さんのHPから引用させて頂きました。ストールの長いヤツとお考え下さい。
饒速日命は此の十種神宝を携えて天磐船に乗って河内国河上哮ヶ峯に降臨致しました。此の神宝こそ古神道最大の秘宝なのです。饒速日命の子である宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)は十種神宝を使って神武天皇の長寿を願う鎮魂祭を行ったと言われております。十種神宝には布瑠御魂大神が宿っております。鎮魂祭はイワレビコの御霊を鎮め、凡ゆる災難を取り除き長寿と国家の安泰を願う祭祀なのです。其れは『布瑠部神言』として伝わっております。『布瑠』とは『振る』に通じ、文字通りユラユラと振るわせる事だと伝わります。
以下が『布瑠の言』となります。
一 二 三 四 五 六 七 八 九 十
ひ ふ み よ い む な や ここのたり
布瑠部 由良由良止 布瑠部
ふるべ ゆらゆらと ふるべ
此の『布瑠の言』は現在も石上神宮に伝わる祝詞の一つです。『言』は『事』につながり、現代で言う言霊となります。元々の大和言葉は一語一義と言って一文字づつに意味が有ると言います。しかし此の『布瑠の言』だけは別格の霊威を持っているのです。宮中では十種神宝の霊威を持って鎮魂の祭司を行い、天皇の御霊を鎮め、国家の安泰を願う祭祀が行われていると聞いております。
ひふみ....は十種神宝を現しており、其の神宝をユラユラ揺らして『布瑠の言』を唱えると死者も蘇り、国家の盛衰も左右すると言われているのです。天津神々の秘術と行っても過言では有りませんね。話が大分スピリチャル系になってしまって申し訳ありませんが、此れは全くスピリチャルでとは無関係です。『布瑠の言』は自らの魂を活性化させる効用が高いと聞きます。
石上神宮の御祈祷の風景です。石上神宮のHPより
以下は先に綴った知人の病が治った話の続きです。知人とは大学で同じ釜の飯を食べた仲です。神職が祈祷を行った後に、友人の父君が神職の方から聞いた話しを、後にお見舞いに伺った私に教えくれました。分かり易く要約すると次のようになります。
恐らくは誰もが肯定出来る話だと思いますが、何か日常の些細な出来事などのうち、此れは余り良い行いではないなと思う事が有ったり、自分なりに良い事したと思う事が有ると思います。此の気持ちは生きると言う本能のみで行動する生物は持ち合わせておりません。
良心が痛むという話しがよくありますが、其の良心を『仮に』内在する神としましたら、良心が痛むのは内在する神が、其の行為を否定しているからであるとの事です。逆に良い事をすると内なる神は大喜びとなり、其の神を内在する本人が光り輝き元気になります。悪いと思う事を繰り返すと、其のうち悪いと思わなくなります、其れは何時の間にか内なる神が居なくなっている事だそうです。鎮魂は内在する神の御霊を鎮め神にお元気になって頂く事と仰っていたそうです。実に興味深い話ですね!
次回は物部連氏の話を致します。