みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

浦島太郎図鍔の考察

今週は木曽に釣りに行く予定でしたが会社の人事異動が発令されて私の転勤が告げられました。釣りどころでは有りません! 来週1週間の引き継ぎ期間を持って松阪の営業所を去る事になり、急な引越し作業となりました。私は頻繁な手入れの為に松阪市の借り上げ社宅に刀剣類を持ち込んでおりましたが、此ればかりは引越し業者に頼むわけにはまいりません。従って今週は車に刀剣類14点や他の美術品を載せて町田市の家に帰ってまいりました。長女に手伝って貰って車から家に搬入し、改めて然るべく場所に其々を仕舞う時にフッと一つの鍔に目が行きました。私が父から受け継いだ大脇差の鍔です。一部朽ち込みも有る鉄鍔ですが、面白い意匠なのでご紹介致します。
 
浦島太郎図四つ木瓜鍔です。
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此方は表側となります。波の煌めく様を金の点象嵌で表現し、浦島太郎さんの顔を肉彫して銀の色絵で表しております。老人になってしまっても何故か楽しげな浦島太郎さんの顔は拡大すると眼球まで確り表現された凝った造りです。上部の中心より左方には相輪に金の色絵を施した塔の様なものが潮流の影に見えます。

相輪とは此れです。Wikiより
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鍔の裏です。海の中なので珊瑚が彫られております。これだけで海の中と思えるのですから凄い表現技法ですね!
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此の鍔が装着されていた脇差は此方です。ゴリっとしており、匂い口が締って良く切れそうな感覚を受けます。
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此の脇差の外装(拵え)はボロボロでした。そんな中で鍔に施されている図柄が当時とても気になったのです。20年以上前の話ですが、鍔の意匠である浦島太郎について色々調べた事が有りました。よくよく調べてみると諸説は有りますが、我々が知っている御伽話とはまるで違う内容だったのです。其処で其の
内容について少し触れさせて頂きます。

浦島太郎  Wikiより
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まず浦島太郎は水江之浦嶋児(みずのえのうらのしまこ)と言います。水江とは丹後市辺りに存在した入江だったと言われております。浦島太郎は亀を助けましたが、亀は亀甲紋を神紋とする出雲の神様に(出雲大神宮 京都府亀岡市)仕える巫女さんなのです。其の巫女さんが悪い奴らに乱暴され操を奪われてしまいました。嶋児(浦島太郎)は悪い奴らを追い払いました。操を奪われた巫女は二度と巫女には戻れません。そこで嶋児(浦島太郎)は此の巫女を哀れに思い、ならばワシの妻となれとなだめて結婚したのです。さっきまで乱暴されていた女性に自分の奥さんになれと言い放ったのですから凄い話しです。

京都にある宇良神社です。Wikiより 
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  日本書紀にも登場する水江之浦嶋児は西暦825年に淳和天皇(第53代の天皇)により筒川大明神の神号を送られました。其の時の勅使は何と有名な小野篁です。水江之浦嶋児(浦島太郎)は此方の神社に筒川大明神として祀られております。

出雲族の村に先に戻った巫女の話を聞いた村の人々は多いに嶋児を歓待しました。でも村の人々は何故か女性ばかりだったのです。実は此の時に出雲族の勇者達は巫女を襲った連中の村に攻め入って村の人々を皆殺しにしていたのです。暫く経って嶋児は一旦家に帰ります。そこで嶋児が見たものは皆殺しにされた自分の村の惨状だったのです.... 。

嶋児に玉手箱を開けるなと言ったのは、此の秘密を漏らすなと言う事だったかどうかまでは分かりませんが、伝承と全く違う内容に驚くばかりでした。此の話は色々な歴史家の先生方により、様々な解釈が成されておりますが、私の師匠にあたる方は此の様に解釈されておりました。  

色々な御伽話にも裏には色々な真実が有る様に、会社の人事にも人知れず色々な意味が有るのだろうと考えました。ただ命を賭して多人数の暴漢から婦女子を救い、ましてや成り行きとはいえ目の前で乱暴された女性を己の妻とし、嫁を貰った喜びを家に伝えようとしたら、嫁の一族に村ごと殲滅させらていた不憫な『義』の漢に対し、後の天皇が神号を授けて神として祀った事を思いますと、私も今後は如何なる事になろうと襟を正して進もうと慌ただしい最中に改めて思った次第です。