みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

去り行く日

此のブログを始めて『去り行く日』を綴るのは3回目となります。先週お伝えしたとおり、2年ほどお世話に成った松阪の営業所を去る事となりました。お客様をはじめ管理職及び社員の皆様には本当にお世話になりました。直向きに職務に向かう真摯な姿勢は脳裏に確りと残っております。皆様のご恩は忘れません。

濃厚な時間を一緒に過ごした管理職一同と記念撮影致しました。
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松阪は敬愛する本居宣長先生の出生地であり、隣の伊勢には天照大神が鎮座する神宮が有り、一帯は正しく聖地でした。此の2年間はコロナ禍でしたが、地域の皆様の温かい御心に触れる事が出来、貴重な経験となりました。

本居宣長先生です。地元の豪商である小津一族の出身であり、古事記伝を著した空前絶後国学者です。当時読解不可能だった古事記を『係り結び』と言う法則を発見する事により解析に成功した大成者なのです。
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松坂市のシンボルの驛鈴です。元々は律令制で駅馬を利用する時に携行した身分証の役割をした鈴であり、鈴好きな本居宣長先生の縁の品で有り、松坂駅に巨大なモニュメントがございます。
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月曜日から金曜日まで、お客様の引き継ぎをミッチリ行い、管理職による歓送迎会、三重県の所長達による歓送迎会、営業者の歓送迎会を終えてクタクタになりましたが、仲間達の優しい心遣いが身に沁みました。

管理職一同から頂いた松本市に有る『こたき』が製作した糸魚川翡翠の勾玉です。勾玉はお腹の胎児をあらわしているとされており、同じ遺伝子の魂の形を現しております。私は此の勾玉に今後は離れて仕事をしていておりましても『志』は同じであり続ける事を誓った次第です。

『こたき』さんのホームページより
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因みに翡翠は光を通す性質が有ります。
『こたき』さんのホームページより  
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翡翠の硬玉は硬玉と軟玉に分かれており、軟玉は世界で比較的多く産出されますが、硬玉の産出は日本の糸魚川市が圧倒的であります。日本では縄文時代中期の古墳から出土しており、魏志倭人伝にも日本から送られた翡翠の明記がございます。奈良時代になって仏教公伝が行われ、その後の乙巳の変蘇我氏が滅ぶと同時に産出地の秘密も失われてしまいました。乙巳の変から約1300年が経過した昭和初期となって日本の糸魚川市が進出元である事が判明し、平成28年に『国石』に認定された経験がございます。

今回仲間達に高い買い物をさせてしまいました。そして管理職の皆様に心から感謝の念を抱きながら、令和5年6月16午後23時に松坂を後に致しました。次の勤務地は港町横浜ですが、約20年ぶりの帰還となります。

Wikiより