みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

諏訪 神宿る神域 その三

諏訪大明神のご利益には色々な側面があります。ザッと頭に浮かんだものを挙げてみます。まず製鉄の神(南宮大神)、戦神(いくさがみ 時には日本第一大軍神とも)、農耕の神、水害や風除けの神(風の祝 薙鎌信仰)、狩猟の神、漁業の神、水の神、海の神、恋愛成就の神、建御名方神の后神である八坂刀売神が13柱もの御子神さまを産んだ事から子宝の神など実に多種多様なのです。諏訪は弥生(出雲)族や大和の神々が日本に降臨するずっと前の時代から日本に住んでいた先住民による神と融合し、実に複雑な構図になっているのです。今まで色々な神社に参拝致しましたが、これ程古くて複雑な信仰は他に知りません。

薙鎌打ち神事。白馬村の横に小谷村(おたりむら)と言う千国街道沿いの小さな村がございますが、此の小谷村には古い諏訪神社が鎮座しております。総本社の諏訪大社は7年に1度行われる御柱祭り(木落とし)の前年に末社に対して薙鎌と言う神器を配ります。形は鶏のトサカのような不思議な形をしてます。『薙』が『凪ぐ』に通じ、風除けの神の側面や厄を薙ぎ祓うと言う意味があるのです。私の知る範囲では作風が2通りあります。写真は中日新聞より
f:id:rcenci:20230311152546j:image

此の薙鎌は何かに似てますね。山から切り出す御柱は薙釜が打ち込まれて始めて神木となります。分社した諏訪神社は御神木に薙鎌を打ち込む事により神籬(ひもろぎ)として神を降ろすのです。写真は中日新聞より
f:id:rcenci:20230311152602j:image

此方の扁額(へんがく)には諏訪南宮大神と揮毫されております。南宮とは製鉄の神を司る社の事です。元々八ヶ岳系の山々は古来から鉄分の多い山でした。鉄器伝来の前から行われていた古い製鉄技法が諏訪には存在するのですが、其処に出雲族建御名方神が来た事で弥生の製鉄技術が加算されたのです。諏訪大社本宮宝物館所蔵
f:id:rcenci:20230311152640j:image

諏訪大社に古くから伝わる神器の鉄鐸で『さなぎの鈴』と言われている御神宝です。誓約(うけい)の時に鳴らす特別な神鈴と伝わります。神事においても全体が和紙に包まれており、其の姿がサナギの繭のようであるところからの呼び名だと思います。周囲の人々が直接見る事も叶わなかったと言われております。諏訪大社本宮宝物館所蔵
f:id:rcenci:20230311152645j:image

此方が太古の製鉄の鍵となる褐鉄鉱(リモナイト)です。古墳時代後期に小規模な炉で砂鉄による製鉄が始められ、やがて規模を大きくして行った経緯が常の話ですが、その数千年前に諏訪では製鉄が行われていたのです。褐鉄鉱とは水辺の湖沼鉄成分が固まった物です。
f:id:rcenci:20230311152720j:image

万葉集における信濃国の枕詞が『みすゞ刈る』ですが、此れは『真菰刈る』に通じ、河原や湿地帯に生い茂る葦の根元付近に土壌に存在する鉄バクテリアが付着し、潮汐力(ちょうせきりょく)の関係で付着くる部位がズレて、やがては空洞を有する形に成長します。此れが鈴石と呼ばれる褐鉄鉱の事なのです。

此れが鉄バクテリアです。『誰がこんな所に油を捨てたんだ〜』と怒りたくなるくらい水に浮いている油の様に見えます。Wikiより 
f:id:rcenci:20230311152737j:image

此の褐鉄鉱から海綿鉄が造れます。そして海綿鉄を熱して鍛造する事によって不純物を除去して鉄製品となるのです。此の製鉄に携わる真菰を刈る作業が信濃国の枕詞である『みすゞかる』となったと言われております。

さて話を戻します。
武甕雷神との戦いで敗れた建御名方神が一族を引き連れて諏訪の地に逃れて来た事、其の時に守矢一族の祖神である洩矢大臣と戦いになって洩矢神大臣が屈服した事は前回お話し致しました。国譲りにおいて武甕雷に負けた建御名方神は出雲から日本海を北上して逃れ、自らの母が女王を務めていた越の国の表玄関に相当する糸魚川から姫川沿いに上流に向かい、長野から小県(ちいさがた)を通って諏訪に入ったと考える研究者が多くおります。理由として、其の道筋に多くの伝説を持つ神社が有るからです。

糸魚川市の道路沿いに立つ奴奈川姫と幼き建御名方神です。
f:id:rcenci:20230311152807j:image

越国とは新潟県糸魚川市周辺にに本拠を持ち、越前、加賀、能登は勿論ですが遠くは山形辺りまでを支配していた翡翠を産出する越大国でした(越国は大化の改新前の呼称)。越前、越後や上越及び下越などの呼称が有るのは越国の名残りなのです。此の国の女王が奴奈川姫であり、姫と大国主命の間に生まれた御子神さまが建御名方神なのです。

信濃町黒姫山です。奴奈川姫の別名を黒姫と言いました。実に優しい形をされておられます。   Wikiより
f:id:rcenci:20230311152816j:image

此方は建御名方神を追い詰めた天津神最強の武甕雷神です。鹿島神宮春日大社の神様です。伊邪那美命が死んだ原因を作った軻遇突智命を怒った伊弉諾尊命が天之尾羽張と言う剣を用いて首を刎ねてしまいました。其の時に剣から滴り落ちる血から生まれた神です。日本古来の平和な縄文人とは一線を画す恐ろしき日本神話です。
f:id:rcenci:20230311152826j:image

此方は成人した建御名方神です。
f:id:rcenci:20230311152832j:image

妻科神社です。
f:id:rcenci:20230311152904j:image
伝説によると敗れた建御名方神は逃亡の最中に現在の善光寺付近に達しましたが、建御雷軍に迫られて応戦しました。其の時に妻である八坂刀売(やさかとめ)の神を少し離れた裾花川を遡った場所に避難させたと言われております。其の場所が現在の妻科神社一帯であります。祭神は后神の八坂刀売神です。此の戦いで負傷した建御名方神は更に千曲川を遡り、上田市生島足島神社で生島の神と足島の神に米粥を献じて祈りを捧げ、戦傷の養生をした後に諏訪の地に来たと伝わります。生島足島神社には御籠祭として其の古事が伝わっております。

生島足島神社です。大八洲之霊と表現されている国土の神様で日本の中央に鎮座しております。神池に浮かぶ朱塗りの社殿はおそらく信濃国随一の美しさですので近くに行かれたら是非お立ち寄り下さい。生島足島神社には現在でも宮中から祭祀料が下賜されている程に皇室との繋がりが深い神社です。
f:id:rcenci:20230311152921j:image

諏訪に建御名方神が辿り付いた後の話ですが、先住民族であった守矢大臣と間で争いになり、戦いは建御名方が勝ちました。しかし互いに利害関係が一致したかどうかは分かりませんが、以後は共に諏訪の地を治めて行ったのです。諏訪入り縄文から継続する守矢一族を味方に付けた建御名方を武甕雷神は滅ぼせなかったのです。建御名方神は諏訪から出ない約束をしたと伝わります。

やがて建御名方神は自分の代わりに数え年で8歳になる子供を現人神(あらひとがみ)とし、自らは違う世に移りました。其の現人神にミシャグジ様を降ろす役割を担っていたのが守矢一族でありました。守矢一族は神長官と言う重要な役職を累代に渡って務めたのです。

諏訪大社上社前宮
f:id:rcenci:20230311152939j:image
初期にはミシャグジ様をお祀りしておりましたが、出雲族建御名方神が后神である八坂刀売神と一族を引き連れて諏訪に来た事により、両神様が住む神殿となった場所です。裏に回ると瑞垣に囲まれた2本の藤の木が有りますが、此の場所が両神の陵墓となっております。上社前宮は様々な神事が執り行われる諏訪大社四社の中では別格な神域となります。

ここ迄3回ほどで諏訪の極めて特殊な地形と構造の事、諏訪における縄文からのミシャグジ様信仰と神を降ろす守矢一族の事、諏訪の信仰と建御名方神と守矢一族の融合などを話してまいりました。今回は諏訪の地形と信仰の話なので余り触れませんでしたが、諏訪は信仰と関係なく2万年以上も前から人が住んおりました。高天原にお住まいになる天津の神々より、天津の神々に国を譲った出雲の神々より更に一万年以上も古い土地なのです。『縄文1万年の都』と表現する研修者がお見えですが、正真正銘の縄文の都だったのです。余りにも縄文色が強くて日本列島に稲作文化が進んでも、最後まで稲作を拒んだ土地が諏訪だったのです。

とかく建御名方神が諏訪に来た以後の事だけがクローズアップされておりますが、諏訪では既に1万年前頃には黒曜石を採掘して交易をする様な大規模な集落が存在し、更に驚くべきは列島を超えた交通インフラの中心地としての機能を有していた場所なのです。実は国内はおろかエジプト文明やシュメール文明よりもずっと古い文明を持つ土地なのです。加えて今から7300年前のアカホヤ火山の超巨大噴火で西日本は人が住めなくなってしまい、其れ以降は東へと人が流れて来た経緯があります。

アカホヤ火山の大噴火は火山灰がこんなに広範囲に広かったと言われております。九州南部のシラス大地は此の噴火で大量の火砕流が流れた事が起因しております。Wikiより
f:id:rcenci:20230311152958j:image

縄文時代は日本の首都が信濃の諏訪で有り、少し時代が降って青森県の三内丸山なのです。そして其の諏訪における縄文人の中で一番のキーマンはシャーマンである守矢一族なのです。次回は其の守矢一族が気の遠くなる様な長い期間に渡って祭祀を行って来た諏訪信仰の大根源をご紹介致します。

守矢一族の家紋です。
f:id:rcenci:20230311153009j:image