みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

夏の思い出 国宝仁科神明宮  4

今回も仁科神明宮宝物館所蔵の品を御紹介させて頂きます。まずは残りの刀剣類からとなります。

載せ忘れましたが、神域を囲む山々は郷土環境保全地域に指定されております。
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面白いものに地元の大庄屋を務めていた西澤家からの奉納された短刀が有りました。西澤家は江戸初期に近くの野口村庄屋(名主)を務め、文政2年から維新まで大町組5ヶ村を束ねる大庄屋役を勤めたいた経緯がごさいます。凡そ庄屋さんは元々有力な武家が勤めております。西澤家の古文章などは有形文化財に一括指定されております。

此方が西澤家から寄贈された短刀です。白鞘に安永と年号が記してあります。刀身が少しだけ見えますが、かなり重ね(厚さ)が有り、身幅が比較的狭い『鎧通し』のをうな短刀でした。鎧通しと甲冑武者が組み打ちに使う武器です。
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また時代は南北朝時代どころではない奉納刀剣もごさいます。仁科神明宮の近くに『おしゃごじさま』と言う神さまを祀る社が有り、此処には円墳が存在しております。かつての発掘調査で多くの出土品と一緒に1,500年以上前のものと思われる古墳時代の鉄剣が出土し、神明宮に奉納されておりました。

茎から刀身の半分程の写真になります。私は刀鍛冶が刀を造る工程を何度も見て来たので、一言で説明する言葉が見つかりません。原料の砂鉄を還元するには大量の炭が必要であり、送風機が必要になります。風を送るのは恐らく獣の皮を縫い合わせた風船の様な物を作ったのか?風の拭き口は焼物で作ったのか?また焼き入れに伴う水船などは?....果たしてどの様に造られたものなのか摩訶不思議です。実際に古刀(室町期まで)の製造方法は失伝しており、現代の分析力を持っても解明されてありません。
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1,500年前に此の長さの鉄剣を造る技術は私の妄想を限りなく掻き立てます。見つかった場所は『おしゃごじさま』からと説明書には有ります。

鉄剣が長がくて一枚では治りませんでした。物打ち部分から鋒にかけての写真です。
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説明書きです。
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鉄剣が出土した『おしゃごじさま』は、明らかに諏訪の洩矢一族が縄文時代から奉斎している『ミシャグジ』さまと同じ縄文の神様ですね。『オ』や『ミ』は敬称であり、『シャグジ』や『シャゴジ』などが名称となります。日本の民俗学者である柳田國男先生は、『呼称が正確に伝わってないと言う事は、日本人が共通の言語を使う前の時代における神である』と著書に書がれておりました。


出土品にはもう一つ諏訪大社に関係するものが有りました。其れは薙鎌(なぎかま)です。諏訪大社では御柱を山から切り出した後に此の薙鎌を打ち込み神とするものです。他にも御神木に打ち付ける場合も有るそうです。

左上の方は全て薙鎌と言う諏訪信仰のものです。横に置かれている下から2番目は恐らくやり方だと思います。二つ上には槍鉋と思える物も有りました。
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薙鎌は此の様にして木に打ち込みます。全国郷土史連合さまのHPより
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最後にご紹介させて頂くのは『御正体』です。御正体とは別名で懸仏(かけぼとけ)と言い、概ね10世紀〜明治期まで日本で信仰されていた神と仏を同一視した神仏習合(しんぶつしゅうごう)の証です。

此方が御正体です。皇祖神の天照大神なのに大日如来の意匠がごさいます。いろんな造り込みの御正体が保管されておりますが、此方は木枠に予め制作した銅の薄板を取り付けたモノです。理由として当時は銅の産出量が非常に少なかったからだと思います。(注1)
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例えば那須与一が、波に揺れる小舟の竹竿の上に手挟んだ扇を射抜いた時に『南無八幡大菩薩』と唱えて矢を放ったと有りますが、現在の感覚で思うと、八幡さまと菩薩さまは本来違う宗教の話しです。素戔嗚尊を牛頭天皇と言うのもそうですし、天照大神大日如来と同一視した事も神仏習合の一例となりますね。

牛頭天皇です。
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仏教公伝(伝来では無く公に伝わったと言う意味)は西暦538年(諸説有り)です。そして仏教を日本人は受け入れたのです。理由は縄文時代から描き属する先祖崇拝が根っこに有っとも言われております。また当時最先端の様々な技術や医薬品などを日本にもたらす目論見も有だったと思います。新しく入って来た仏教を古来からの神と結び付けて融合した形態が神仏習合です。

現在の様な神社とお寺とが別れている歴史の方が神仏習合の歴史よりずっと浅い事を横に居た
娘に説明しましたら.『ふ〜ん』で終わってしまいました(笑)。

貴重な御正体は16面有りましたが、そのうち5つの御正体が重要文化財に指定されているみたいです。今後の研究の為の資料とさせて頂きました。

後は白馬の鰻屋さんに直行しました。途中でアイスが食べたいと下の娘が言い出して、仁科三湖の一つである青木水海の売店でソフトクリームを頂く事になりました。
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目的の鰻屋さんは国道148号線を進み、白馬駅を目印に八方尾根スキー場に向かって進み、多くの土産物さんが建ち並ぶ通りの一番下に有る老舗の名店です。

鰻屋さんの名前は『こいや』さんです。正式には川魚専門のお料理屋さんなのです。落ち着いた店構えの店て鯉のあらいや様々な川魚料理が味わえます。値段も良心的で観光地に有る店とは思えません。家族には一日中私の趣味に付き合って貰った御礼をさせて頂いた次第です。
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注1
日本は一時期に銅を輸出品にする程に生産量が増えました。『和銅』と言う元号(708〜715年)も有ったくらいです。有名な和同開珎が造られた時期ですね。