みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

諏訪 神宿る神域 そのニ  

前回に引き続き諏訪地域に古くから伝わる信仰と神を降ろす役割をした一族について御案内致します。前回は諏訪地域の極めて特殊な環境をプレートやフォッサマグナの位置から簡単にお伝え致しました。今回はミシャグジ様の信仰についての話です。

諏訪に伝わるミシャグジ様の信仰は縄文時代から継続する大自然を崇拝する信仰となります。御神体は無く、ミシャグジ様の降臨する霊石や古木を依代として祀る信仰なのです。此のミシャグジ信仰は諏訪を発端に東日本地域や一部近畿地域にも見受けられますが、民俗学の権威である柳田國男氏は『信州の諏訪がミシャグジ様信仰の根源である。賽の神であり、境界の神である』として更には『大和民族が日本に来る前の先住民による信仰』と著書に著しております。どの様な先住民であったのかは、今回の話とは乖離しますので省きます。

またミシャグジ様の読み方に対する当て字は郷土史家の今井野菊様によると二百を超えるとされております。私の自宅の有る東京都町田市相原町の横には神奈川県相模原市が有り、其処には『おしゃもじ様』と呼ばれる石の祠が存在し、地域住民に親しまれております。『オシャモジ様』は変わり過ぎだろ(笑)と感じられると思いますが、本当にオシャモジ様なのです。町田街道八王子バイパスが交わる相原と言う名の信号から高尾山が有る高尾方面に向かうと左方に石川県金沢市出身の店主が営むラーメンの名店『武蔵堂』が有り、其の裏手を少し行った辺りに有るのです。ミシャグジ様の『ミ』は敬う為の『ミ』ですので敬語を取ると『シャグジ』様になり、途轍もなく多い表記となるのです。此の事は文字なの無い時代から祀られている事を現しております。

綺麗な祠が有ります。町田街道を数キロ町田駅方面に戻ると諏訪神社が鎮座しており、娘のお宮参りや刀剣購入時の祓いを行って貰いました。
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私は20年ほど前から此の謎の神を辿る事が半ばライフワークの様になっており、読んだ書籍は軽く40冊を超え、諏訪に訪問する事三十余度となっておりますが、核心には触れるどころか遠くに行ってしまう様な感じを抱いております。故に現在で理解している事のみを御案内させて頂きます。

まず諏訪信仰の中核にあったのは国土を護るミシャグジ様であると考えております。またミシャグジ様と直接関わる一族が諏訪では重要な役目を果たしておりました。其の一族はミシャグジ様を降ろしたり、ミシャグジ様の声を聴く事が出来るとされた守矢(洩矢)一族です。諏訪信仰全般や諏訪神党につきましては私の拙いブログで書き表す事は絶対に不可能な膨大な内容なのです。

守矢一族の祖神である洩矢大臣を祀る洩矢神社です。   Wikiより
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宝治3年に記された『諏訪信重解状』には武甕雷神と国譲りの戦いで敗れた出雲族建御名方神が諏訪の地に逃れて来た時に、守矢一族の祖神である洩矢大臣と合戦となって洩矢大臣が屈服したと伝わっております。よって諏訪大社上下四社の祭神は建御名方神と后神様の八坂刀売神とされているのです。戦いに勝った建御名方神の子孫が諏訪一族であります。しかし諏訪信仰の形態として神事などの諸行事はミシャグジ様を降ろせる神長官守矢一族が実質的に仕切っておりました。

※ 洩矢一族について
初代洩矢神→二代目洩宅神→三代目千鹿頭神→児玉彦命→八櫛ノ神→美射津彦神......27代で物部守屋の次男である物部武麿を養子に入れております。武麿君は蘇我馬子聖徳太子連合軍に打たれた父である物部守屋の亡骸と共に洩矢一族を頼ったとされております。此の丁未の乱(ていびのらん)と言われている戦いは飛鳥時代(587年)に起こった大乱でした。仏教を推した蘇我氏厩戸皇子連合軍に古来からの神道を推した物部氏が敗れた形です。

物部守屋 物部氏の祖神は饒速日命です。饒速日命は十種神宝(とくさのかんだから)を天から授かって天磐船(あまのいわふね)にて地上に降臨している神です。大連であった物部守屋は矢に当たって没したと言われておりますが、死人も生き返らす力を持つと言われている十種神宝の一つの『道返玉』は祖神から物部一族の手に渡っていなかったと言う事かも知れません。  Wikiより
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今回の話と直接関係は有りませんが、蘇我氏物部氏によるの崇仏廃仏論争は両家とも1世代前まで遡ります。キッカケとなった事は百済聖明王から日本の欽明天皇に送られた善光寺如来像でした。其のキッカケである善光寺如来像が同じ信濃善光寺に有り、一方で守屋山の頂上付近に物部守屋を祀った物部守屋神社が有ります。展望として美ヶ原高原が前を遮って善光寺平は直接見えないものの、同じ信州においても山一つ超えると文化圏の違うと言う事を強く感じます。

蘇我馬子です。Wikiより
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守矢一族が神長官として諏訪信仰の主体となっていた一つ例を紹介致します。現在の上社前宮近辺で執り行われていた御室神事と言う重要な神事が有りました。半地下式の土室が造られ、現人神(あらひとがみ)の大祝や神長官以下の神官が冬の期間参篭して祈りを捧げるのです。旧暦12月22日に御室入りして、翌年3月中旬寅日に御室が撤去されるまで土室の中で過ごしたそうです。冬籠りが終わって大祝が御室から出て来たところで御頭祭と言うお祭りが有り、氏子などの関係者は元より皆で鹿の肉を食べ、守矢一族の能力者が座している皆にミシャグジ様を下ろしたと言われております。他の神事にも重要な事は必ず守矢一族の呪者がミシャグジ様を降ろして初まり、終わるとミシャグジ様を上げるのです。此の事を考えても神長官守矢一族の諏訪信仰に占める存在の大きさが分かると思います。

因みに守矢一族は現在でも残っております。第78代当主は守屋早苗さんと言う方です。ご興味ある方は是非お調べください。色々な神事に携わる有名な方であります。

昨年秋に訪れた守矢家資料館です。先に紹介した御頭祭などに捧げた鹿の首の剥製などが展示されております。かつては他の獣肉の高盛りや岩魚なども捧げられたと伝わります。
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守矢資料館に展示されている兎の串刺しと鹿の脳みそのあえ物です。私は20回以上訪問しているので興味の有る古文書の方を見ておりましたが、娘達と行った時には非常に嫌な顔をしておりました。しかし可哀想などと思ってはいけません! 縄文の神々に捧げる大切な供物であり、獣達も人が食べる事で成仏するのです。
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御頭御社宮司総本社(おんとうみしゃぐじそうほんしゃ)の拝殿です。此の拝殿の下にはミシャグジ様が降りる石棒が埋まっていると資料館の方が仰っておりました。拝殿の後ろは守屋山となります。何回も参拝してますが、時として何回か守屋山中伏から清らかな風が吹き下ろして体を突き抜けて行く様な錯覚を覚えます。此の小さい簡素な拝殿は神様長官洩矢一族が日々祈りを捧げる為のものです。今回のシリーズでお話したい事は特殊能力を持った守矢一族が守り抜いてきた神聖な土地と物なのです。
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さてひとまず守矢一族の話は此処までとして各地に伝わるミシャグジ様の信仰をお伝え致します。まずは諏訪から70kmほど離れている場所で見つかった巨大な縄文構造物です。此処は長野県内におきましても殆ど知る人はおりません(恐らく殆どの人は興味が無いかも知れません 笑)。
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北沢川の大石棒(きたざわがわのだいせきぼう)です。諏訪の縄文文化と直結している国宝縄文のビーナスで有名な尖石遺跡からも同じ形の石棒が見つかっており、全国的に大きさは違えど同じ形態の石棒が発掘されております。此の日本最大の石棒は私が三重県に来る前にシーズンになると必ず毎週末に釣りに出かけていた長野県佐久穂町で発見された石棒です。縄文時代に周辺一帯で産出された佐久石を加工して作られた石棒と解明されてます。鉄の道具のない時代に作られた巨大なモニュメントであり、昭和59年に佐久穂町指定文化財に指定されました。全長223cmで直径が25cmも有ります。実際に何を造形としているかは見ての通りですが、大らかに子孫繁栄を願ったものかも知れません。石棒は広い地域で発掘されておりますが、東日本に多く、西日本は比較的少ない傾向に有ります。

此方も小さいけど縄文時代の石棒です。Wikiより
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石棒の最も古い物は千葉県大綱白里市の遺跡から出土した約24,000年前のものです。実にシュメール文明より更に16,000年も前となります。石棒では有りませんが、鹿児島県耳取遺跡からは約24,000年前の地層から日本最古の石製ビーナス像が発見されております。

更に話はズレますが、類人猿でも打製石器は造るので打製石器の時代は特定出来ません。ところが磨製石器は指の構造の違いで人以外には作成出来ないのです。実は其の磨製石器の世界最古の物は日本で見つかっております。1963年に相沢忠洋さんと言う民間の研究家が群馬県岩宿遺跡から35,000年前の磨製石器を発見しているのです。また現物が存在する世界最古の土器は青森県の大平山本I遺跡から出土した16,300年前の縄文土器なのです。何にしても日本は本当に世界最古の国かも知れません。縄文の人々や出雲族大和民族に至るまで、其の出自に対して確信に近い推測が行われておりますが、此のブログでは割愛させて頂きます。

かなり脱線致しました....話をミシャグジ様信仰に戻します。

東京にも石神井と言う地域があります。私の学生時代に住んでいた陸上部の寮は西武新宿線の田無と言う駅に有りました。田無から西武線本川越方面に数駅行くと上石神井と言う駅が有り、当地で霊石が見つかった事でミシャグジ様の降りる石であるとされて信仰の対象になったと言われております。

石神井神社です。練馬区石神井町に鎮座しており、地名の元となった神域です。石棒を祀っている事からミシャグジ信仰である事が分かります。
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ご存知の様に縄文時代には天照大神をはじめとした天津神はおりません、つまり天津神が日本に到来するズッと前の神様がミシャグジ様なのです。諏訪大社天津神を祀る様々な神社より数段古い信仰を持つ理由が此処に有ります。恐らくは最後までお米の文化を否定して縄文から継続する独自の文化を持続した地域であったと思う次第です。

まだまだ有りますが、この辺りで今週は止めておきます。