みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

趣味の話  刀装具と諸々

昼と朝の気温変化が激しい時期と成りました。この時期は刀の手入れを何度かに分けて行います。メガネを使用されている方が寒い場所から暖かい部屋に入った時にメガネが曇る現象と同じで刀も気温の変化にはとても敏感です。白く曇るのは微細な水滴が刀身に付いて其処に光が当たり白く見えるのですが、刀の最大の敵は錆ですので刀身に水滴がつくなんて事は言語道断なのです。しかし良くしたたもので朴の木で造られている白鞘は湿気のない時期には硬く締まり、刀の鯉口の隙間から外気が入らなくなる仕組みとなっております。朝方に暖房の入っていない部屋で少し厚着をして本日も数口手入れを致しましたが全て鯉口が硬くて抜き難い状態でした。刀の手入れをした後に鉄鍔を幾つか空拭きしていておりましたら久しく蓋を開けていない刀装具の桐箱が長櫃の奥に幾つか有りました。高価な物ではありませんが此処に何点か紹介してみようと考えた次第です。

草花図笄(クサバナズコウガイ)
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材質は山道具(ヤマガネ)と言う素材で良く刀装具に使われた素材です。山銅とは精錬技術の悪かった時代に不純物を多く含んだ銅の事をさします。山銅に対して純度の高い物を素銅(スアカ)と呼びます。日本における銅の産出は初期こそ輸入しておりまさたが、秀吉公の時代から江戸初期までの期間において多くの銅山の開発が進み世界的にもトップクラスの生産量を誇っていたと伝わります。此の笄は定寸である21cmより少し長い22cmなので少しだけ時代は上がるのかな〜(ウソデス)と考えております。

紋は魚子地に力強い草木の図を高彫りしてあります。
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笄を初めて見る方は耳掻きの様に見えますが、実際に此の耳掻きの部分はツマミの役割だったと父から聞きました。笄の主なる使い道は結髪道具です。分かり易い例として相撲の優勝力士が最後の取り組みを終えて支度部屋に戻り、乱れた大銀杏を床山さんに結い直して貰っている場面をテレビでご覧になった方も少なくないと思います。床山さんは結髪道具に髷棒という細い棒状の道具を使っておりますが、恐らく当時は髪を掻き上げたりする場面に使用された物だと思います。

目貫(メヌキ)
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恥ずかしい話ですが不勉強で此の目貫の意匠は何だか分かりません! 素材は赤銅という銅に少量の金を混ぜた合金です。金や銀の色絵が施されております。先祖が使った脇差に付いていた目貫であると聞いておりますが細かい彫りが施されております。

裏行です。時代の上る目貫はもう少し薄めの作り込みですね!
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目貫を拡大してみました。
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雲龍に古の武人が乗り勾玉の様な物を両手に捧げております。武将の顔の大きさは1mm有るか無いかです!曲玉を捧げ持って竜に乗るなんて一体何の物語でしょうか? 履いている太刀は直刀なので平安時代迄の物語だと思うのですが....いくら考えてみても思い付きません。

もう片方も拡大してみました。
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頭巾を被り顎髭を生やした武人が馬を駆けている最中に急に止めて振り返っている様子です。最初は上賀茂神社で行われている『比べ馬』の図かと思いましたが片方の武人は龍に乗っておりますので明らかに違いますね!此方の彫りも細密で馬の蹄も1mm程で凹凸が表現されております。江戸時代の職人は此の意匠で何を表現したかったのか知りたいのですが知る術がありません。

薩摩鍔
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お多福形の薩摩鍔です。左にある穴にコヨリを通して栗形と結んで『無闇に刀を抜かない』戒めとしていたとされております。咄嗟の時には鞘ごと抜いて戦える様に栗形がさるすべりと表現される小さな物であったとされております。鞘ごと戦うので薩摩拵えはとってもゴツいのです! また鍔はわりと小さめの物が多いのですが理由は示現流には受け太刀が無いからです! 

変わり切羽
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切羽とは鍔の上下にはめ込む装具で衝撃緩衝材の役割をしております。居合をされる方はよく知っておられますが刀の部品で目釘の次に消耗頻度が高い部品が切羽なのです。刀身への衝撃や納刀時の衝撃から縁金物や鍔を守る役割もしている大事なパーツです。構造は銅地の表に金着せと言って真鍮のカバーを付ける二重構造となっており上と下では切羽の大きさが違います。
裏です。大きい方も着せておりますね!
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上の切羽はこんな感じで取り付けます。
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申し訳有りませんがズクが無くて此の拵えの鍔を探さずに違う鍔を付けた為に笄櫃孔と小柄櫃孔の位置より切羽が出ちゃっております。
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また写真の切羽は装着した時に側面が凹凸になる様な意匠が施されており、差した時に映える様に作られたと思われます。


鹿角刀掛け
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我が家に伝わる刀掛けの一つで材質は鹿の角です。ほぼ左右対称の形で角が伸びており、逆ハの字の形状では無く樽の様な中央部分が膨らむ様に据えられております。
台座の意匠
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欅の台座の前に常磐木の様な彫りが施されております。私は彫刻の事は良くわかりませんが此の彫りが無かったら今よりも少し此の刀掛けが寂しく感じられます。刀掛けとしては直接関係無いかもしれませんが鹿角は我々渓流釣り師に取って水難除けのお守りとして有名です。鹿について他にも縁起の良い考え方がございます。江戸時代には主家より縁を貰っている事を『禄を食む』と言われておりましたが『禄』は『鹿』に通じる事から財運のお守りともされておりました。まだ有ります。また武将の真田左衛門佐信繁や徳川四天王の本田中務大輔平八郎も兜に鹿角の意匠を施しておりました様に鹿の角は戦勝のお守りともされていたと伝わります。戦勝の御守りと財運を切り開く御守りならば此れ程刀掛けに適した素材は有りませんね! 

脈絡のない紹介となってしまいキリが無いのでこの辺りで止めておきます。コロナ禍で休日は家に留まる時間が多く、押し入れの長持に入っている小さい刀装具などの桐箱を色々整理してみようと思って蓋を開け一部を紹介致しました。年末にかけ鍔、小柄、笄、目貫など種類ごとに分けて収納しておこうと思い立った次第です。