みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

木曽川 最終釣行

今週は土曜日の昼過ぎから更級で用事が有りました。朝一は釣りが出来そうな時間が残されております。身内も7名ほど集まるので必ず7匹は釣らなければ成りません。

秋らしい山々です。
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ところが期末の疲れが有って、仮眠の時間を取り過ぎてしまい、起きたのは6時半でした。慌てて起きて川に降り立つと誰も居ませんし、意外と釣れます。イワナの川ですが20cm以上が7匹、ほぼ1時間で釣れました。朝は冷えますので丁度良かったのか分かりませんね。
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不思議なもので、釣る気持ちが満々の朝には見えない景色が目に入ります。
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キノコも出ております。ジコボをビニール袋に一つだけ頂きました。
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早速魚の処理を済ませ、南宮神社に一年の御礼に行きました。天然素材の柿渋で何回も塗られた本殿は美しく、一段と神々しく感じます。

後ろの滝も水量が復活しており、龍神さまの住まう池に注いでおります。
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旭の滝下の神池の守神である龍神さまです。此の神社の氏子さん達は本当に凄いと思います。
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嘉永6年(1853年)に野上川上流から水を引き、農業用水として南宮神社さまの裏に有る岩山に隧道を穿ちました。嘉永年紀に行われた一大難工事だったと思います。ところが昭和初期には何らかの原因で水が止まり、再度復活したのは平成25年になってからでした。信心が薄れている昨今には極めて珍しい氏子さん達の努力です。因みに此の年は小田原大地震小田原城は大破し、ペリー提督が黒船艦隊を率いて浦賀沖に来訪した激動の年で有り、此処から時代は大きく動いたのです。

神域は掟通りに太鼓橋を左から右に流れております。本殿を柿渋で仕上げた事も木曽川上流に自然の塗料以外は使いたく無いと言う神主さんの切なる願いからだとの事でした。
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南宮神社の氏神さまと氏子の皆様に改めて感謝致します。神主さまの御気持ちは、私も1人の渓流釣り師として見習いたい素晴らしい御配慮だと思います。来年の木曽も素晴らしい渓魚が群れ泳ぐ事を祈願した次第です。