みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

捕鳥部について

申し訳有りません。2月2日にアップした記事に対して注釈を入れるのを失念しておりました。捕鳥部万(トトリベノヨロズ) の出自についての話です。

 

捕鳥部の始祖は天湯河板挙(アマノユカワタ)と言う豪族です。垂仁天皇の皇子である誉津別皇子(ホムツワケノミコ)は30歳になり鬚が生えても物を喋らずに子供のように泣いてばかりいたと言われております。ところが誉津別皇子が鵠(クグヒ)を見て『あれは何だ?』と言葉を発したそうです。垂仁天皇は皇子が初めて言葉を喋る事が出来たと大変喜びました。

 

そして天湯河板挙に鵠(クグヒ)を捕まえるように勅命を発したのです。天湯河板挙は出雲まで追いかけて捕獲しました。その後。天湯河板挙は捕獲した鵠(クグヒ)を垂仁天皇に献上したのです。

 

誉津別皇子は其の鵠(クグヒ)と戯れていると、やがて言葉を話す事が出来るようになりました。此れに感謝した垂仁天皇は天湯河板挙に姓(カバネ)を与えられました。こうして天湯河板挙は鳥取部を名乗ったのです。捕鳥部万(トトリベノヨロズ) は此の一族であると言われております。

 

宍道湖の白鳥です。昔から動物セラピーは有ったのですね。山陰中央情報デジタルさまより
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因みに鵠(クグヒ)とは白鳥の古名となり、現在でも鵠沼とかに其の名残がありますね。