みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

夏の思い出 国宝仁科神明宮 1

今回は今年の8月に家族で訪れた国宝仁科神明宮をご案内致します。此の社は信濃国仁科の地に鎮座する日本最古の神明造りの社殿を持つ古い社で有り、国宝に指定されております。

皇祖神として二千年を大きく超える歴史を持つ伊勢神宮の荘園(御厨)であった仁科の地に対し、地域の鎮護の為に勧請されたと伝わります。

創建年代は定かでは有りません。一説には紀元前後とも言われております。最近は特に恋愛成就及び縁結びに御利益が有るとされておりまして、女性の参拝客が多いみたいです。

仁科神明宮は内容として一回では中々ご案内が難しいので何回かに分けてご案内致します。私の足が釘付けとなったのは、特別拝観料を献納して入った厳重に管理されている宝物館でした。

また仁科の地には古文献が残されており、崇神天皇から千年もの歴史を書き記した仁科濫觴記(にしならんしょうき)なるものが伝わっており、個人的にも今後の課題の土地なのです。何十年掛かるか分かりませんが、記してある地を訪問して自分なりに研究してみたいと考えております。

仁科神明宮の看板です。
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信州は創建も分からない古社が多く存在します。周辺には縄文からのシャーマンである洩矢一族が取り仕切った諏訪大社、天岩戸開き神話に出てくる岩戸を手力男命が運んで隠したと伝わる戸隠神社古墳時代に筑紫(福岡県の東部)で起こった『磐井の乱』により、安曇族が八女の大王を伴って海を渡り川を遡って落ちのびて安住の地に辿り着き、自らの祖神である大綿津見神を祀った穂高神社(奥社は上高地にある明神池)など、神話の時代からの神社ばかりなのです。信濃国は正に『神州』なのです。

今回案内させて頂く仁科神明宮ですが、そんな古社のうちの一つとなります。日本各地に有る神明宮とは天照大神を奉祀する社の事です。仁科神明宮には『日本最古の神明造り』である建物が有り、千年に渡って二十年に一度の式年遷宮が行われて来ました。

神明造りとは白木で造る社殿形式の事です。元々は縄文時代の高床式住居が原型となっております。他にも出雲大社の大社造や住吉大社の住吉造が有名ですね。

 Wikiより
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神明造りの建物だけでは無く、長野県指定天然記念物に指定されている仁科神明宮の社叢(しゃそう)は圧巻です。私もお参りに行って感じた事ですが、日の神様なので限りなく『陽』で有り、凛とした荘厳な空気でした。社叢とは鎮守の森など広い意味で神域の事を言います。

入って直ぐ左に杉の巨木が有ります。真ん中の巨木は何らかの原因で根元しか残されておりませんが、私が今まで見た杉の巨木の中でも群を抜いた巨木でした。
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此の話は神職の方から聞いた話ですが、神社に杉や檜や欅が多くございます。此れは言霊となっております。杉は『災難が過ぎる』の『スギ』、欅は『もののけをの化を焼いて浄化する』の『ケヤキ』、檜は『日の神様の天照大神の木.日の木』です。つまり神域に入るだけで浄化作用が有るとの事です。

社叢に有る巨木は、全容を撮影するのは難しいですが、高さも相当なものです。
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仁科神明宮に行くには更級の自宅から山を幾つも超えて行かないと辿りつきません。また東京や名古屋方面からは長野道に入り、安曇野インナーで降り、白馬方面に30分ほどの場所に鎮座しております。

Googleより
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神明宮の有る仁科の森を下りて高瀬川を越えた向こう側は、日本の屋根と言われている北アルプスです。物凄いロケーションなのです。

次に続きます。