みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

郷里の偉人 人間国宝の刀鍛冶

先週の日曜日に時間を持て余していたので、刀の手入れを一気に全て行いました。手入れと言っても刀身の古い油を抜ぐってから新しい油を塗るだけの事です。不思議なのですが、まず顔を洗って衣服を正してからでないと白鞘から刀身を抜けないモノなのです。手入れを終えて鞘に納めると、どんなに荒ぶって捻じ曲がった心境でも、手入れと鑑賞が終わった頃には落ち着いた物静かな気持ちになるのです。此の感覚だけは今だに不思議ですね。有る意味精神のリセットです。

我が家に伝わる十数口の刀剣のなかに一口だけ現代の刀剣がございます。作者は信州が誇る人間国宝故宮入行平刀匠です。九寸ニ分の大振りの短刀で相州伝の造り込み。重ねは尋常より幾分薄く、地鉄は大ぶりの板目に直刃調に互の目足が入った刃を焼いております。注文書の写しも残っておりますので、恐らくは祖父が誂えた一口だと思われます。

人間国宝故宮入行平刀匠は長野県埴科郡坂城町で祖父の代からの鍛冶屋に生まれ、その後に刀鍛冶に転身されました。戦後のGHQによる作刀禁止期を経験された後に修練を重ねて1963年に人間国宝に指定されました。刀匠としての初銘は昭平(アキヒラ)、その後に行平(ユキヒラ)と改銘されました。刀剣商の祖父は親しみを込めてミヤイリショウヘイと読んでいたと父から聞いております。現在は其の一門から多くの人間国宝や其れに準じている名工を輩出しており、刀匠界において中核を成す一派になっております。

父が残した蔵書に数冊の刀剣展覧会の図録が残されており、そのうちの一冊に珍しい故宮入行平刀匠の作刀写真が出ておりましたので、今回是非ご紹介させて頂こうと思いました。写真と一緒に各工程毎の説明も添えてまいります。

長野県教育委員会、日刀保長野県支部が主導し、テレビ局の信越放送等がスポンサーとなって昭和42年に開催された『歴史を語る日本名刀展ー武将とその愛刀』と題する展示会図録の表紙です。場所は長野県立信濃美術館(善光寺の裏手に在ります)で開催されたと有ります。実に私が生まれる3年前ですね。少し此の展示会についてもご案内させて頂きます。
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出品された名刀は個人所用も勿論ございますが、宮内庁管理の御物(ぎょぶつ)、東京国立博物館の収蔵品、日本美術刀剣保存協会の収蔵品など名品ばかりです。また巻頭には当時の信越放送社長である石原俊輝氏のコメントが有ります。

以下は一部抜粋。
長野県はかつて山浦真雄、清麿の両巨匠を生み、また現在、人間国宝として宮入昭平氏が活躍しておられるように、美術刀剣とは縁の深い国であります。この展覧会が広くて県民の皆様のご支援を得、学生生徒諸君に対しては美術教育の一環を担う事が出来れば甚だ幸いと存じます。            抜粋終わり

美術教育の一環を担う....なんと素晴らしいお考えでしょう。此の様な偉大な先人がお見えになった事を誇りに思います。日本の歴史を其のまま具現化したような国宝の刀剣を見る機会を郷里の皆様に提供された事になりますね。訪れた志有る有識者さま達は古の輝きから当時の持ち主の勇姿を想像されて楽しまれた事でしょう。当時の持ち主も源頼光公、北条早雲公、八幡太郎義家公の弟である新羅三郎義光公、頼朝公、義経公など超有名人のオンパレードなのです。

さて本題となる故宮入行平刀匠の珍しい作刀風景をご案内します。作刀場には神棚が祀られ〆縄が張られ、刀工も白装束に烏帽子姿で作刀をされている写真です。こうして改めて見ると神宿る神器を造っていると言う姿勢が強く伝わってまいります。

此方は日本刀の原料となる和鉄です。玉鋼や古鉄を卸鉄して使用します。卸鉄(おろしがね)とは古釘や古い刀の残欠を火床で加熱すして鉄塊としたモノです。卸鉄の製法は伝法により様々です。珍しいものでは隕鉄を混ぜた物も存在しております。玉鋼とは赤目砂鉄(あこめさてつ)から造る刀剣に適した和鉄であり、殆どの刀工が使用しており、製法はタタラ製鉄により生み出されます。まず最初に行われる工程は『玉つぶし』と言われる工程です。
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『玉つぶし』で薄く伸ばした材料を小割りにしたものの断面を観察し、其の鉄質の違いで皮鉄と心鉄に分けてから、予め用意した同素材のテコ棒の上に積み上げ、奉書紙で包んで水で湿らせ藁灰をまぶして泥水をかけて火床で沸かしていきます。此の工程を『積み沸し』と言います。写真は沸かす前の鉄の小片を積んでいる光景です。
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沸かした材料を取り出して、大鎚で押さえる様に軽く打ち、再び火床にいれて軽く叩き、徐々に積み上げた材料を接合して行きます。積んだ材料が崩れなくなったら切り餅の様な長方形に打ち上げ、真ん中に鑽で割り込みを入れてから折り返し、再び叩いて接合し、藁灰を付けて泥水をかけて火床で赤めて、再び折り返して行きます。この工程を『折り返し鍛錬』と言って作刀のなかで特に重要な工程になります。これは叩く事によって不純物を飛ばし、鉄をミルフィーユ状態にする事で炭素量(硬さ)均一にしながら粘りを出す役目が有ります。通常は15回ほど折り返すらしいのですが、あまりやり過ぎると炭素が抜け過ぎてダメになるそうです。
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此方は『拍子木鍛え』と呼ばれる工程です。太いキシメンの様に伸ばしてから切断し、テコ棒に積み上げて行きます。確り説明すると途方も無く長くなるので省きますが、鍛えにも『下鍛え』『上鍛え』等が有ります。鉄の小片の積み方、折り返し鍛錬における折り返し方の縦や横、拍子木鍛えなどを工夫する事で刀の地鉄に出る景色が違うそうです。また鍛えによって入る焼き入れも厳密には異なると聞きました。此の話は全て有る刀工から聞いた話ですが、思えば思うほどに難しい話です!
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『素延べ』の工程です。実はこの前に重要な工程が有ります。『造り込み』と言う工程で有り、表層の皮鉄(かわがね)で軟らかい心鉄(しんがね)を包み込む作業です。造り込みにも多くの技法が有り、甲伏せ、本三枚、四方詰めなど刀工によって異なります。素延べは前述の造り込んだ物を火床で赤めて大鎚で伸ばして行きます。カツサンドをご想像下さい、カツの部分が柔らかい心鉄でパンの部分が硬い皮鉄です。勿論ですが、カツはパンで包まれた状態で伸ばして行きます。此の工程で真ん中に入れる心鉄が左右どちらかにズレて鍛接してしまうと、研磨時に片方だけアンコ(心鉄)が出てしまう事も起こり得るみたいです。何れにせよ、此の工程で大凡の重ねと身幅が決まります。
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『火造り』の工程です。造り込みを行って素延べした物を刀の形に鎚一つで形造って行きます。刀の手持ちの部分で有る中心(なかご)、刃区や棟区、鎬、鋒を造る大事な工程です。当然ですが出来上がりの状態が頭に無ければ出来ません。焼き入れ後の反りも考慮してカタチ造って行くのです。此の工程に向こう鎚(大鎚)は参加せず、刀匠一人の鎚で火床で赤めながら仕上げて行きます。どの工程も凄いの一言に尽きますが、此の工程こそは刀工の形造る能力が顕著に出てしまう難しい工程だと思います。刀剣鑑賞で一番最初に確認する『姿』を決める工程なのです。

写真6 『銑すき』の工程です(せんすきと読みます)。現在はベルトグラインダーで行う刀工が殆どみたいです。此の時の刀身は焼き入れしていない生鉄なので焼き入れを施している硬い銑(せん)言う伝統の道具で側面の凸凹を削って修正していくのです。此方は鉄で鉄を削る難しい作業となります。
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『土置き』の工程です。真っ赤になった鉄は水に入れると鉄の表面の水が瞬間に気体となり沸騰し刀身の表面に膜を形成してしまいます。そこで刀身に特別に調合された焼き刃土を塗る事で水を滲みやすくする事と、薄く塗ったり、厚く塗ったりする事で仕上げたい刃文に近づける役目を持つ土なのです。土置きを行わずに焼き入れする『ズブ焼き』と言う技法も存在すると聞きます。私は以前に刀匠の指導のもとで小刀作成をさせて貰った事が有りますが、実際に焼き刃土を塗ろうとすると、なかなか上手に土を置く事が叶わず、其の難しさに驚きました。
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『焼き入れ』の工程です。今まで丹精込めて作刀した刀に命を宿す工程になります。知らない方もお見えだと思いますので御案内致しますが、この時点では刃の部分に結構な厚みが有ります。薄くしてしまうと焼き入れ時に刃切れと言う致命的な傷が出てしまい、失敗すると短く裁断して卸鉄として再利用するしか無くなってしまうのです。刀工は部屋の中を暗くして刀身の温度を色で見定めます。刀は手元の部分と先の部分では当然厚みが違いますが、70cm近くある刀の焼き刃に焼きムラが出ない様に慎重に刀身を火床に出し入れして調節するのです。刀の良し悪しは全て均一に焼き入れが施されているかどうかによって決まると言われておりますが、理由としては焼きにムラが出ると硬さと粘りに違いが生じて折れやすくなるからなのです。
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『鍛冶押し』の工程です。焼き入れが施された刀身を刀工自らが荒砥をかけます。此れによって刃文の確認や傷の確認を行うのです。手元から鋒まで丁寧に荒砥をかけて行きます。
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鑽(たがね)で銘を切ります。『彫る』のでは無く『切る』のです。その後は刀匠自らが県の教育委員会で登録申請を行って登録証を取り、発注者の手元に届く流れです。
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『日本刀』と言う言葉自体は新渡戸稲造の著書「武士道」で始めて世界に知らしめられました。其れ以前は太刀(たち)もしくわ単純に刀と呼ばれていたのです。これ程美しい武器は世界中何処にも存在しておりません。日本刀とは日本人の英知が築き上げた世界に誇る文化財なのです。

名工の写真を通して刀の出来る迄を簡単に御案内致しましたが、本当にご案内したかったのは故宮入刀匠の神々しいまでの鍛刀姿なのです。またご説明させて頂いた話は私が20年も前に作刀依頼をした宮入一派の刀工に聞いた話を元にしたものです。伝法による違いや私の拙い記憶の表現違いが有ると思います。其の点は御含み置き頂ければ幸いです。