みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

友人の一刀 大隅守広光

今週は友人が所有する幕末期に打たれた短刀をご紹介します。合戦などで甲冑や当世具足を纏って戦うのでは無く、素肌で切り合う事を想定されて刀が打たれた時代の短刀です。ご存知の通り応仁の乱以降約150余年にも及ぶ長い動乱の世が終焉し元和偃武となりました。平和な時代になると刀剣類も戦う為の刀剣から一転し煌びやかさを競うような刃文を焼いた物が出現し、刀剣類は美術品としての様相を呈して行きました。ところが安永年間になると出羽国出身の水心子正秀という刀鍛冶が煌びやかな刀剣類から鎌倉時代南北朝時代の実用に即した刀の復活を唱えたのです。正秀は太平の世の中で失伝した各地の伝法を継承する刀鍛冶を訪ねて技法を習得し、其の技法を書物に著して広く弟子に広めました。言葉で表現すると単純ですが、此れは門外不出の秘伝だらけの刀剣界では考えられない偉業なのです。私の愛読書の一つである『江戸の日本刀』を著した伊藤三平氏は正秀を『江戸の産業ルネサンスを担った一人』と表現されております。

伊藤三平氏の『江戸の日本刀)

今回ご案内する物は短刀です。作者は大隅守広光と言います。広光は大和郡山藩士でありますので正真正銘の士分持つ刀匠です。本名を川井幸七と言います。土方歳三の愛刀を打ち上げた会津十一代和泉守兼定の門人として名を馳せ、慶応年間に大隅守を受領しました。新撰組近藤勇が使用したり、薩摩藩士などの維新志士から作刀依頼を受けた文献が残る刀匠です。

全景

地鉄は板目に杢目が混じり肌がハッキリ確認出来ます。平地には地沸がビッシリ付き地景入り、刃縁に小沸が付いた直刃には小互の目が混じり葉が働きます。専門用語だらけでスミマセン!
 
平地には綺麗な杢目が多く出現してます。板目とは製材した板に現れる肌目に似ている事から板目と表現され、杢目は板に出る節の丸い目に似ている事から杢目と言われます。欅の板には更に沢山の杢目表現が有りますので興味のある方は是非調べてみて下さい。

鋒です


素銅に金着せハバキです。祐乗と言う種類のヤスリが掛けられております。

中心は丁寧な仕上げです。錆の状態も新々刀らしい錆が付き、鑢目は大筋違と言う種類の鑢が掛けられております。銘切りも巧みな鑽裁きで流暢です。銘切りにハミ出る箇所が見受けられず、広光の実直さが垣間見れる銘だと感じます。恐らくは自分の打ち上げた刀で世の中を変える気概を込めて銘切りしたのでしょう。

龍図で統一さられた拵えも見事です。親粒の大きい鮫を着せ、卯の花色の柄糸で巻き、縁頭と目貫と鍔と小柄を龍の揃い金具で統一してあります。派手に成りすぎない為に目貫を烏銅(カラスの濡れ羽色)を使うところに職人の美意識を感じます。

差表の鍔の縁に施されている龍図。龍は昇り龍と降り龍が存在し、自分の願いを天に届けるのが昇り龍、天の意志を自分に伝えてくれるのが降り龍と言われております。

縁金物に施されている龍図

縁の龍と鍔の竜の重なっている所作

短い短刀の柄にも関わらず鮫皮の親粒を2つも菱に入れ込む妙技に柄巻しの技量を垣間見れます。

小柄には剣巻き龍です。剣巻き龍は不動明王を表します。

目立ちませんが鞘の塗りは『闇蒔絵』と言われている技法が用いられております。金粉で目立つ蒔絵にはせずに黒く浮き上がらせる特別な蒔絵技法であり日本人らしい控えめな美しさですね。

1864年池田屋事件を思うと150年以上前に京都で打たれた短刀です。注文主から巡り巡って我が友人の手に落ち着いております。激動の時代を持ち主と共に歩んで来た一刀だと思うと特別な思いで鑑賞出来ました。話は違いますが広光を所有している友人には此の春に待望のお子さんを授かりました。恐らくは広光が守刀となってお子さんを守護してくれると思います。