みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

寒中の更級へ再び帰郷

他の地域の方々は不思議に思うかも知れませんが、信州には寒中休みと言う休みが小学校などに有ります。余りにも寒いので学校が休みになるのです。今回の帰郷はそんな懐かしい寒中の真只中となりました。

金曜日の夜半に更級に到着し、翌朝は雪かきを致しました。更級の寒中は道路がガリガリになっており、降雪量の割に物凄く寒いのです。なんと外気温はマイナス6°だったみたいです! 小学校の頃はこんな中でも薄氷張る千曲川に寒バヤや寒鯉を釣りに行ってたのが今では信じられません。
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今回の帰郷の目的は母親の誕生日のお祝いと亡き妻の七回忌の準備でした。母親は八十歳を迎えても今まで風邪一つ引いた事が無い頑健な女性ですが、最近になって膝が痛いらしく、酷くなる前に手術を行うと言っておりました。秋のキノコ取りや春の山菜取りではヒーヒー登る私を尻目に山をスタスタと登っておりましただけに少し物悲しくなります。

母は絵が好きなので実家から1時間程車を走らせた東御市の弥津(ネツ)にある丸山晩霞記念館に妹夫婦と出かけました。東御市とは旧小県郡東部町と旧北佐久郡北御牧村が合併したものです。浅間連山からの丘陵地帯から千曲川に至る実に風光明媚な土地柄です。そんな土地で生まれ育った丸山晩霞は故郷が誇る明治時代に活躍した水彩画家なのです。山岳や高山植物、または田園を題材に数々の秀作を生み出した日本水彩画の輝ける巨匠です。

話は少し変わりますが、我が故郷の千曲市には森と言う場所が有り『ひとめ10万本』と言われる一面のあんず畑が有ります。可愛い杏の花の見ごろは4月中頃です。その時は一面がピンクに染まった様に杏の花が実に見事な景色となるのです。また6月末からは杏の実の甘酸っぱい味が楽しめます。そんな『ひとめ10万本』の杏畑を丸山晩霞は描いているのです。

画題『杏の里』丸山晩霞
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見易く拡大しました。
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一面の杏の花が里人の心を癒してくれます。此の杏は元禄の頃に真田家に嫁いだ伊達家の姫が伊予宇和島の郷里から持ち込んだ苗木から増えたものです。真田家と伊達家の付き合いは大坂夏の陣まで遡りますが文面の都合で説明は省きます。

私はこの絵を中学校の美術の授業で見た時から丸山晩霞のファンになってしまいました。水彩で描かれた此の絵には油彩には無い清廉な雰囲気が有り、正に春の陽光が降り注いでいる杏の花そのものなのです。

東御市丸山晩霞記念館の入り口です。今回受付の方がフラッシュ撮影しなければ写真は大丈夫との事でしたので、少しだけ携帯のカメラで撮影させて貰いました。因みに入館料はたったの200円です。
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六曲一双の大作 『渓谷と山嶺之麗花』です。神山を背景に高山植物が咲き乱れます。もう見事としか言い様がございません。
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『渓谷と山嶺之麗花』の説明板です。
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右隻です。
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左隻です。
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此れは丸山晩霞先生のご実家がある弥津村の風景です。此の絵も大好きな絵の一つです。
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枯れ木の先端の細い枝は針の先程の太さで描かれております。重なる枝ごとに濃淡を駆使して立体感を出しておりますね。
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冬の雨なのか霙(みぞれ)なのか、または雪の降り始めか分かりませんが、蓑を着た方と大きなカラカサを差している方が畑と家の横を通る細い道を歩いております。これが晩秋か初冬の景色である事が実に哀愁を感じさせるのです。遠くの山や周囲が靄に煙り独特の風情があります。背景は桃山時代長谷川等伯を連想させる美しい絵だと思います。
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此方は弥津村の春の風景です。画題は『春の村』と有ります。
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拡大しました。満開の桜が咲き乱れる道を娘を連れた母親が楽しそうに歩いている様子が伝わってまいります。後ろからも往来の人が歩いて来ておりますね!桜に目が行きがちですが、右の小高い場所に連なる場所にも若草と野の花が咲いており、山里の春を実に見事に描いております。
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名画を見て周り母親もすっかりご機嫌に成りました。お昼ご飯の為に近くの展望の良いレストランで食事をした時にも会話が弾みました。母と同じで私も妹夫婦も日本画が好きなのです。母は耳が遠いので大きめな声で喋るのが恥ずかしくて苦笑いばかりしてました。でも家族で同じ価値観を持っている事を改めて嬉しく思いました。

夜は妹夫婦が用意してくれた四川料理の名店である杏園(中1)と言う店で母のお誕生日会を催しました。母親は本当に80歳なの?と思われるような食べっぷりです。私も辛めの料理が多いなかでお酒を飲みすぎてしまいました。後で齢81歳になった母親に少しは自重しなさいと叱られてしまった次第です。


注釈
(1)について
信州戸倉上山田温泉ホテル笹屋の中に『杏園』と言う地元でも有名な四川料理の名店があります。ホームページから以下の説明を抜粋させて頂きました。

以下抜粋
昭和42年、笹屋ホテル相談役坂井修一が、“長野県内に初めての本格約的な四川料理のを”との願いから、親交のあった“四川の神様”故・陳 建民氏にその熱い想いを語りました。同45年、建民氏は愛弟子であった臼田 武を笹屋ホテルに派遣。臼田は笹屋ホテルの館内レストラン「杏苑」の総料理長として、本格四川の伝統をふまえつつも地元信州に根差した独自の味を育て上げ、その技と味を現総料理長の寺沢 武利へと継承しています。当店に四川の灯をともした建民氏の意志はご子息の陳建一氏に受け継がれ、今でも笹屋ホテルが開催する四川三昧美食会にお越しいただくなど、両店の交流は世代を越えて続いています。
               抜粋終わり
               
店内は落ち着ける雰囲気です。
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私も色々食べ歩いておりますが、恐らく信州の四川料理では右に並ぶところは有りません。価格も驚く程ではなく、おおよそリーズナブルな設定となっておりますし、なんと言っても店員さんの接客が素晴らしいのです。旅行などで信州に来られた折りには是非お立ち寄りください。どれも美味しいのですが、特に乾焼蝦仁や白汁墨魚(いかの塩味炒め)などは他では味わえない群を抜いた絶品の味です。勿論本家本元の陳家の麻婆豆腐も本場の四川料理らしく、辛いのですが箸が止まらなくなります。ビールジョッキの中身が直ぐに無くなり、実に困ったものなのです。