帰郷中の8月15日に長野市信州新町のジンギスカン街道沿いにある『むさしやジンギスカンに 』に家族で向かいました。信州では何処のスーパーにも袋入りの『むさしやジンギスカン』が売っております。味付ジンギスカングランプリと言う豪の羊肉生産者団体が主催した催しもので『むさしや』の『特製生タレ羊肉ロース』が70品を越す商品の中で総合3位、尚且つ『オージー.ラム賞』も受賞した凄い実績を持ちます。独特のタレは生姜、ニンニク、信州林檎などの摺ったものを醤油ベースに漬け込んだもので、どちらかというとクセのある羊肉と相まって素晴らしい味になっております。私は子供の頃から『むさしや』の袋入りジンギスカンを食べて育ちましたので、今風に表現するとソウルフードに該当すると思います。
味付け肉だけでは無く、生肉を焼いて特性タレに付けて食べるのも絶品です。むさしやさんのホームページより
信州人にはお馴染みの商品です。 味付ジンギスカングランプリのHPより
此処から本題に入りますが『むさしや』さんから長野市方面に国道19号を下り、右に折れて山の中に入ったところに山布施と呼ばれる風光明媚な集落が有ります。そして山布施には松代焼の窯元である『唐木田陶園』さんが有るのです。松代焼は真田藩の御用窯として焼かれておりましたが、瀬戸などの安価な焼物が出回ると、衰退していきました。そして閉窯と共に松代焼の技法は失伝してしまったのです。
時代を経て長野市の中学高で美術教師をされていた唐木田又三氏が残されていた松代焼の陶片より独自の研究を重ね、昭和38年に松代焼の技術復元に成功されました。20年も務めた美術教師の職を辞して未知の世界に飛び込むには相当な決断が必要だったと想像致します。松代焼の他にも青磁に高い技術力を見せ、晩年には独自の寂焼(さびやき)にも取り組まれました。時代超えて復元された松代焼は、現代に生きる私ごときにも、郷土の誇りを教えてくれている焼物なのです。
信州新街はこんな感じで犀川沿いに集落が連なる地域であり、何となくですが木曽に似ております。長野市地域おこし協力隊のHPより
そんな大自然の中にポツンっと工房を構えるのが『唐木田陶園』さんです。
私が訪問した当日は息子さんの伊三夫さんが対応してくれました。 唐木田陶んのHPより
中に入らせて頂くと、父上である又三さんの展覧会に出品した物凄い作品や再現した松代焼、当代である伊三夫さんのトルコブルー釉の作品などが展示され、何れも素晴らしい作品ばがりで見入ってしまいました。故又三氏の奥様にも対応頂き、色々教えて頂きました。
伊三夫氏のトルコブルー釉の作品です。多治見の人間国宝である加藤卓男先生の青釉にも少し似ておりますが、伊三夫氏の『青』は近くに流れる犀川の水面の様に器の表面を流れており、躍動感に溢れております。
目にも眩しい鮮やかな青です。銅を釉薬に混入すると仰っておりました。
此方は松代焼の作品です。唐木田窯の松代焼は山萩の花の様な鮮やかな紅色が出る事が特徴です。此の紅色は他の松代焼には見出す事が出来ません。
この花入は唐木田陶園のホームページに紹介されている物です。此の透き通る様な淡い青に黄色い無数の小さい落ち葉が流れている様な景色は信州の大河が流れ下る景色に良く見られる光景です。
コチラが今回購入した松代焼とトルコブルー釉の作品です。
トルコブルーの急須は、お茶好きな母親に買いました。
何とも言えない発色が魅力です。此の色を観た母はとっても驚いておりました。
コチラは自分用に買いました。お酒が4合以上入るとの事です。
此の大徳利の発色も実に見事な紅色が出ております。
茶碗も買ってしまいました。此の茶碗で頂く一服はどのような味わいでしょうか。
茶碗を横から写したモノです。
氷裂貫入が激しく入った作品です。
釉薬を重ねて厚く塗り、焼成した後に冷える速度の違いから貫入(ヒビ)が発生します。これが窯の中に器を置く位置によって温度がバラバラに成ると、ヒビが一箇所に集まったりしてしまうです。私の想像ですが、刀剣の焼入れと同じで火入れの温度管理がとても難しい作品だと考えます。重なる貫入が氷の様な紋様を描く事から氷裂貫入とも言います。
写真が下手なので伝わり難いのですが、何層も重なっているのが分かりますでしょうか?
共箱の蓋に又三氏が記した銘がございます。少し青みかかっているのは保管場所が悪くて湿気によって真田紐の色が共箱に移ってしまっている為です。
伊三夫氏には江戸時代から継続する松代焼の土を採取する場所や、其の土に混ぜる為の土を種類や採取場所の事など貴重な話を色々教えて貰いました。何れの事項も無学な私には驚くべき内容でした。
当代の伊三夫氏は、お子さんがおられず、弟子も居ないとの事でした。唐木田又三氏から引き継いだ優れた技術は継承されない事になります。一人のファンとしては大変寂しく思う次第です。伊三夫氏に是非自らが良いと強く感じた名品を次回に買わせて欲しい旨を伝えて唐木田陶園さんを後に致しました。
※ 陶芸家 故唐木田又三氏の来歴について
大正15年に生まれる
昭和26年 東京芸術大学工芸科を中退
昭和27年 長野市の中学にて美術教師をしながら
陶芸の道を目指す。
昭和38年 長野市松代町に開窯し、
途絶えていた松代焼を研究して
復元に成功する。
昭和42年 名古屋工業技術試験所窯業研修生。
昭和47年 教職を退いて長野市篠ノ井に
登窯を築窯し本格的な作陶に入る。
青磁造りにも非凡な才を見せる。
昭和55年〜平成7年
日本工芸会正会員。
著書 『無ソノフシギナシクミ』
や『石ころの笑い』などを出版
する。
寂焼と言う新境地に入る。
平成24年 没する。
又三氏が青磁の研究に取り組んでいる時に記した日記が有り、其処に苦悩の記録が残されていると言います。『厳正な形は力だ それは非常で非人間的だ 力や生命の根源をそこに感ずる』と言う記録があると以前に知りました。此の事については、名品を見る度に何となくですが感じておりました。此れは山野の美しい景色とは別であり、上野の国立博物館で古い太刀を見た時や国宝の井戸茶碗などを見た時に感じた事でした。
常に独自の哲学的思考の観点から作品の制作に取り組んできた郷土の偉大な陶芸家が残した焼物を、今回一人でも多くの人に知ってほしく思った次第です。