母方の分家の叔父が数年前に他界し、叔母からは叔父が所持していた山浦真雄の長巻き直しを授かり、更に一つ下の兄弟である89歳の叔父からは大太刀を授かりました。今は二口とも研磨及び白鞘制作が終わり、我が家の刀箪笥に仕舞われております。
ところが、今回此の連休で身内が集まった折に、義兄から『前回の刀は叔父さんの物では無いと思う。叔父が買った刀は葵紋が入り、もう少し品格が高いものだったよ』との話が有りました。

実は今回の連休で母方の実家に呼んで貰い
ました。其の折、かねてから叔母と約束していた刀剣類の手入れを行ったのです。恐らく大小含めて20口以上はごさいました。まず柄から刀身を抜くのが大変です。木製の小槌で当で布をした鍔を叩きながらの大作業でした。刀の茎に付着した赤錆は当て布の上から木槌で静かに叩いて錆を浮かせて拭き取ります。この作業を3回程行ってから丁子油を塗り込んでは拭く作業を更に3回行い
今回其の作業を義兄を含め、義兄の嫡子夫妻と其の子供達などが見学しておりました。刀の一振毎に作者の特徴や、年紀の有る物については上杉謙信公が取手川の戦いで織田の大群を打ち破った歳だよ....など歴史背景の説明しながら手入れを行ってまいりました。
手入れを繰り返しているうちに、身内達が私の想像より、次第に刀剣や歴史背景に興味を持っていく事が如実に感じられました。日本人の美意識の頂点とも言える刀剣類に対し、身内の若い世代が理解を深めてくれる事に大きな喜びを感じたのです。
其の最中、有る一振の刀の手入れを行っている時、義兄から『多分、其れが本当の叔父さんの刀じゃないが?』と教えて貰いました。叔父の形見として既に大太刀を頂いているので『後ろめたさ』は有りましたが、分家の棟梁である義兄の言葉なので謹んで拝領したのです。
其の刀が此方です。新々刀ですが、小田原にて北条氏綱が治めていた時代から始まる綱廣(つなひろ)一門が居りますが、其の綱廣の銘を受け継ぐ幕末の綱廣です。
写真ではお伝え出来ませんが、重ね(厚み)が尋常のものより1.5倍は有ります。鎬の部分が常より高く、とても堅牢な造り込みです。刃長は72cm、反りは2cmも有ります。
登録書です。静岡県の登録です。刀の登録制は昭和26年3月頃(早いところは25年末)から始まりました。此の時期の交通事情を鑑みれば、此れが小田原から遠い地方の登録なら偽物を疑いますが、小田原と静岡県は指呼の間ですので安心でした。
拵えも実に立派です。写真は認定証となります。手の込んだ青貝微塵散し鞘に名工の手による金具が備わっておりました。また、時代を経て茶色くなってますが、卯の花色の柄巻が施されております。
丈の有る縁金物は赤銅魚子の下地に松竹梅の図柄が施されております。可能なら拡大して地の部分を見ると極めて細かい魚々子(ななこ)が見えるかと思いますが、此の魚々子打ちは当時の超絶技巧なのです。
頭の金具も松竹梅です。此の縁頭のセットだけで凄い価値です。
面白い意匠ですが、静岡県だけに目貫は表裏ともミカンでした。注文主が自らの生まれた土地に誇りを持っていた事が伺われますね。
銘は相模国鎌倉住人綱廣です。初代綱廣は東海道は島田宿周辺で鍛刀していた島田鍛冶の棟梁で有り、後北条家の誘いで小田原に赴き、北条氏綱から『綱』の一字を賜り綱廣としたと伝えられてます。
茎の錆色も間違いなく新々刀の錆色です。この錆はとても大事なのです。恐らく世界中探しても『錆』に時代を感じ、其の時代錆を愛でる文化は無いと思います。綱廣は代を重ねて21人居ります。不勉強ですが本作は、恐らく10代か11代ではないかと思います。両工とも水心子正秀の門人なのです。
日刀保の認定書です。此の時期の日本美術刀剣美術保存協会は、国立博物館内に有った時期なので厳正な鑑定がなされていた時と言われております。真雄と共に現在の審査に出して特保の鑑定書を狙う予定です。
姉と兄に、『この前の間違った刀は、どうしよう?』と尋ねましたら、『そんなもん良いわ』と言って貰いました。有難い限りで心からの謝意を持って御礼申し上げました。また、兄からは『貴重な文化財だから大事にしなちと生けない』との言葉も頂き、愛刀家の端くれとして心にグッと響いた次第です。
今後も身内の子供達には、日本人が1,000年間もの長きに渡り心の支えとしで来た刀剣類の素晴らしさを伝えると共に、叔父の遺品の刀剣類は訪問時に必ず私が手入れを行い、今以上の錆を起こさせ無い事を心に誓った次第です。