今回は本当に実在した『仙人』と言われている修験者の話です。少し前に御案内させて頂いた麻績村立聖博物館から凡そ車で30分程の山頂に其の足跡が残されております。
此のお方は寛政七年(1795年)に産まれ、明治五年(1872年)に没っさた方なのです。数え切れない程の難事を解決に導いた神通力は現代にまで語り継がれているのです。私は其の多くの奇跡を父から聞いておりました。
其の名は修那羅仙人(以後 修那羅大天武)と言います。現在は青木村と筑北村の境にある『安宮神社』に祀られております。今迄に数回訪問しておりましたが、今年の夏に家族の健康を祈願するため参拝してまいりました。修那羅は『シュナラ』と読みます。
安宮神社は舟窪山という山の頂上付近にございます。駐車場から神社に向かう入り口には此の標識がございます。
此の安宮神社の境内には、石神、石仏などが千二百二十八社も奉祀されております。驚くべき事に、此れ等のものは、全て大天武を頼った皆さまの『満願成就』後に納められたものなのです。新しい物も有りますが、奉祀時より時が経過し、半分以上土中に埋没している物もございます。
古い明神鳥居をくぐると、其の向こうは、大天武が眠る清らかな神域となります。写真の人物は大手ゼネコンに勤務している我が義弟です。
しばらく山中の参道を歩きます。船窪山の名前の通り、船の様に真ん中が窪んでおり、其処は風の通り道となっているらしく、そよ風と木漏れ日が我等を迎えてくれました。
新しい石碑が建てられておりました。大天武が没っして150年以上経過しておりますが、崇敬される方々は現在も御健在で有る事が理解出来ます。
新しい石碑が幾つか続きます。
石神の中には有名な佐久間象山が奉納したものものざいます。天武への感謝を示す社が数多ございますが、写真に収めた石神さまや石仏を一部を後に御案内させて頂きます。また、同時に修那羅大天武が実際に導かれた幾つかの事例も御案内させて頂く予定でございます。
やがて、石段を登ると安宮神社の拝殿となります。
今回の話は私の考察と合わせ、此方の大天武一代記と言う書籍から引用させて頂きます。学生時代に大天武についての文献を手に入れる為、2冊購入したうちの一冊です。もう一冊は長年に渡り使用した為、本の装丁がボロボロで原型を留めておりません。現地に度々足を運んで研究していたのは、既に25年以上前の話なのです。
書籍が発行された日付と作者名です。昨今、地域に存在する神域の研究者は老齢化されておられるか、或いは没しておられ、若い郷土史家は極端に出てまいりません。実に寂しい限りなのです。
拝殿の横に小さな鳥居が有り、其の奥が石神、石仏群への入り口となっております。詳しくは次回から御案内させて頂きます。
周囲の簡単な地図です。真ん中で中心線より少し下に修那羅峠と有ります。此の名は大天武の御尊名から名付けられております。峠の上に安宮神社が有り、大天武の御霊が鎮座されております。
此処の石神と石仏は、普通我々が良く見るものとは明らかに一線を画す物も有ります。また、一部は十王思想(閻魔大王など十名の王)の影響を受けていると思われる物も見受けられます。十王思想とは古来からの民間信仰ですが、死後に受ける地獄の裁判の折に救済を受ける為、生きているうちに多くの功徳を積むと言う考え方です。
昭和生まれの方は見覚えが有りませんか。偕成社さまの書籍です。芥川龍之介の小説『蜘蛛の糸』です。
生前に悪い事ばかりして来た主人公の
唯一の善行が1匹の蜘蛛を助けた事でした。血の池地獄に居た主人公を助ける為に天国から蜘蛛の糸が降ろされ、主人公は其の糸に捕まりますが、他の亡者も登ってまいりました。主人公は蜘蛛の糸が切れる事を恐れ、其の亡者達を蹴落とすのです。しかし細い蜘蛛の糸は切れてしまうのです。
十王思想は此の物語が其のまま当てはまります。此の小説は『自分さえ良ければ他はお構いなし』と言う現在の支那の様な利己主義を完全否定しております。今でも一部の小学校の教科書にございます。此の事は日本人の根底に有る事だろうと考えております。
最後に一柱だけ石神さまを御案内致します。写真の石神は猿神さまです。猿神は昔から神の使いと言われておりました。一体どんな祈願が成就されたのでしょうか。考察するだけでもワクワクしてまいります。
筑北村の案内板です。
次回に続きます。