みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

研ぎ上がった大太刀

約1年10ヶ月の時を経過して研磨に出した大太刀が研ぎ上がってまいりました。受け渡しの時に研師の先生は『モノがモノなので下地では1日2時間の仕事が限度でした』と仰っておりました。白鞘も規格外ですので、一度仕上がった後に鞘内が狂ってしまったらしく、再度鞘師に修正を依頼したみたいです。

大太刀を納めていた半太刀拵えは全長が143cmも有りますので、狭い我が家では全体を撮影する事が難しく感じました。本来太刀とは写真の様な『太刀掛け』と言う置物に柄を下にし、刃を向こう側にして置きます。f:id:rcenci:20250329181644j:image

こうして自分が座っている左後ろ側に手の届く範囲で置く事で、イザという時は太刀を左手で握り、右手で柄を持って抜刀する流れとなります。しかし此の大太刀では長過ぎて其の姿勢での抜刀は出来ませんね(笑)。足金物が一つのみなので左腰に佩くのでは無く、外出時は恐らくは背負うのだろうと思われます。

叔母から受け取った時は、拵え(刀の外装)に刀身が入っていた状態で有り、刀身には所々錆が出ている状態でした。其処で研磨と合わせ、白鞘の新調と、拵え用のツナキの制作を依頼致しました。ツナキとは俗に言う竹光(タケミツ)ですが、素材は竹では無く白鞘と同様に朴の木となります。

今回は研磨料金として白鞘とツナギの制作料込みで48万円、特注の白鞘袋が3万円でして合わせると51万円でした。依頼から出来上がりまで料金の事は一切聞かない事が、職人に対するエチケットなので仕上がりの一報と共に金額を伺った次第です。高額に感じられると思いますが、本当は実に良心的な価格なのです。

流石に刀職の発表会で天下の『薫山賞』を受賞された藤代派の名人研師の仕事だと思える仕上がりでした。肌目が品良く浮き上がり、刃取りも控えめで好みの一口に仕上げて頂きました。f:id:rcenci:20250329181702j:image

登録証の種別が『太刀』なので、横置きの刀掛けならば、刃方を下向きに致します。半分より少し下でグッと反り、鋒(キッサキ)の方はほぼ真っ直ぐとなる独特の太刀姿が見て取れると思います。有る刀剣専門書には刀や脇差及び短刀も、全て太刀の姿の何れかの位置におさまる書いて有りましたが、手元で実際に見てみると頷ける話でした。f:id:rcenci:20250329181725j:image

刀剣の部位の名前は慣れないと分かり難いので、太刀の部位名称を載せておきます。其れでは順次刀身を案内させて頂きます。f:id:rcenci:20250329181738j:image

まず茎(ナカゴ)の画像です。叔父から譲られた時は茎を見て直ぐに火肌を疑いましたが、茎上部は割と確りしており、今では勝手に朽込みだと信じております。f:id:rcenci:20250329181814j:image

此の刃区と棟区の残り方と踏ん張りを見ると時代は若いと思ったのですが、研師の先生は室町時代は有ると仰っておりました。戦いで消耗される事なく、何処かの寺社に奉納されていたものでしょうか、色々妄想してしてしまいます。f:id:rcenci:20250329181826j:image

長寸にも関わらず地鉄は良く練られているように感じます。また、鍛え肌は上から下まで小板目肌と通常の板目が混じり、刃寄りに柾流れが見られます。此れは典型的な美濃伝の特徴となりますので、美濃地方で打たれたモノだと思います。f:id:rcenci:20250329181842j:image

刃文は沸出来の中直刃に、ほつれ、小足が入り、食い違い刃の所作が表裏とも見られます。専門用語で申し訳有りません。f:id:rcenci:20250329181855j:image

刃縁は相対的に冴えております。上から下まで良く沸え付いておりますが、ギリギリ荒沸ではなく、匂口に破綻も有りません。f:id:rcenci:20250329181954j:image

鋒(キッサキ)です。帽子(鋒の刃紋の事)は直ぐに入って小丸気味で返り、返りは浅くなっております。f:id:rcenci:20250329182005j:imagef:id:rcenci:20250329182015j:image

大きめのハバキは、肉厚な素銅(スアカ)の一重です。此の一文字の意匠は庄内ハバキと言います。f:id:rcenci:20250329182138j:image

写真の拵え袋は、恐らく叔父の前の所有者が作らせた物だと思いますが、よく見ると此れがセンス抜群なのです。高価な西陣織の黒地に金襴で花弁の多い花紋をあしらい、其の周囲には川の流れを思わせる優美な曲線を配した正絹羽二重仕上げの良い生地なのです。更に伝統的な和柄をキリッと引き締める橙色の房紐をあしらっております。此の辺りが愛刀家のセンスが出ていると思えるところなのです。f:id:rcenci:20250329182152j:image

錆の出た刀剣の研磨は自らのコレクションに入れる目的も多分に有りますが、もう一つの意義として文化財の復活がございます。我々の先人が多くの費用を掛けて大太刀を刀鍛冶に注文し、拵え下地を当時の鞘師が造って塗師が仕上げ、研師、白金師、柄巻師などが拵えの制作を分担し、ようやく出来上がった品なのです。

更に江戸時代中頃には武士が帯刀する刀には『定寸』と言う寸法が定められてました。刀剣は実用の時代ですので殆どの大太刀は下を短く切り詰められ刀として使用されていたのです。現在迄伝わる大太刀は高禄の武家から純粋な武用の為に注文されたモノか、其の後に合戦の無い平和な時代となり、家の守り刀として伝わったものなのか、または神仏に特別な祈願を行う為に奉納されたものなのかの何れかとなります。

幕府の力が弱まった黒船来航以後は長大な武用刀の需要が高まり、ほんの一時期では有りますが、武家の一部は大太刀を携行した時代も有ったそうです。私の大太刀の拵えの細部を検証致しましたら、どうも拵えとハバキは、此の時期に制作されたモノの様な気が致します。

こうして伝わったものを40年程前に我が伯父が手に入れたのですが、叔父の身に起こった仕方のない理由で手入れを行えなかった12〜15年間の間に刀身が錆びてしまったのです。其の証拠に私が中学生の頃に伯父が此の大太刀を目の前で手入れした時には錆が一点も有りませんでした。

時代を超えて伝わった刀剣類は日本人にとって貴重な文化財ですので、今回機会を頂き研磨の依頼を行えた事により、此の大太刀は再度世の中に出る事になり、私の独善的な考え方ですが、とても嬉しく思っている次第なのです。

話は変わりますが、我が郷里の氏神さまは何度かご案内させて頂いた武水別神社八幡宮と言います。安和年間(968年から970年)に山城国の岩清水八幡から八幡神勧進八幡宮となりましたが、其れまでは武水別神社でした。

此れは天津の神々がご来臨頂く前の話しとなりますが、大国主命と越国の首長である奴奈川姫との間に御産まれになったのが建御名方命(諏訪大明神)となります。更に建御名方命御子神の一柱である出早雄命と諏訪の土着神である洩矢神の娘の多满留姫との結婚により系譜は以後も続いて行きました。其の出早雄命から4代目こそが、我が郷里を開闢された武美名別命(タケミナワケノミコト)なのです。

其の武美名別命の御神名を謹んで拝受し、此の大太刀を『水別ノ大太刀』と号する事に致しました。私が老いて定期的な手入れが出来なくなったら武水別神社八幡宮に奉納するように娘達に伝えて置くつもりです。今回も取り留めの無い話で長くなりました。どうかお許し下さい。