お正月で一話挟みましたが、引き続き信濃に実在された仙人である修那羅大天武のお話を御案内させて頂きます。お産まれは寛政七年(1975年)3月3日です。
時代は江戸幕府老中の田沼意次が失脚し、質素倹約で有名な松平定信による寛政の改革の真っ只中でした。此れは全くの偶然なのですが、私めの誕生日も3月3日で有り、尊崇する大天武と同じ誕生日なのです。
飯山辺りから見上げる春の妙高山は素晴らしい景色です。新潟文化物語さまより
生誕地は越国の大霊山である妙高山の麓の大鹿村と言う場所です。最初の名前は望月留次郎と言います。妙高山は仏門における須弥山と言う意味の梵語を日本名に訳したものと伝わり、古くから修験道の聖地として尊崇を集めてきた聖なる山です。
此方は一代記に出ております大天武の生涯年表になります。なかなか写真を真っ直ぐ撮影出来なく、とても見難いのですが、各地の巡った先などを御覧下さい。
大天武の人生は木喰を基本にし、正に修験道における荒行の連続でした。諸国を巡り始めたのは何と9歳からです。
信濃から相州及び加賀、遠江や四国、更に遠くは北部九州など、全国で名の知れた修験道における霊山を巡り、其の験力を高めて行きました。
江戸時代には家出した者を迎える山岳宗門は無かったと大天武一代記には出ております。理由として無頼の浪人が修験者を装って潜伏する事を恐れた故です。主な定めとして、まず身元不明な浪人の受け入れはダメ、受け入れには両親及び庄屋と村役人の連署印判が有って、必ず身元が確かで有る事が必要でした。
写真は大霊山戸隠の奥社へ通じる参道です。
幕府における宗教政策な柱石であった天海僧正が再興した戸隠山顕光寺の威光は強かったと伝わります。平安後期から江戸時代は高野山、比叡山と共に三千坊三山と言われておりました。此の時代の顕光寺は多くの宿坊を擁していた事が三千坊と言われる所以となります。因みに顕光寺は明治の廃仏毀釈により戸隠神社になっております。
戸隠奥社へ通じる参道約2kmの途中に立派な随神門がございます。
若い大天武か訪れた頃の戸隠顕光寺は先にも話した通り、天海僧正が再興した場所ても有って新しい修験者の受け入れは厳しかったと言われております。ところが北部九州の霊山である彦山(英彦山)出身の阿吸房即伝法印と言う修験者の教えが其の開き、入峰印証状を拝領したと大天武一代記に有ります。彦山では多の修験者をあたたかく迎え、様々な事を伝授し送り出す風習があったと言われております。阿吸房即伝法印と言う御方は彦山修験道の中興の祖とも称され、峰中儀礼や教義をまとめた文献を多く残した大人物です。此の事も有り、若き大天武は其の後に遠く九州彦山にまで修法の旅に出ております。阿吸房即伝法印の『法印』とは大和尚の事です。
彦山とは福岡と大分の県境に有る霊峰です。添田観光情報局さまのHPより

現代における修験者の衣装です。何故に白なのかと申しますと、俗界から霊山に入って天地自然との合一を図り、人間離れした修行を積む事によって俗界での自分は死に、自らの魂を新しく生まれ変わらせる為だと言われております。想像しただけでも壮絶ですね。
修験者の目的とは、厳しい霊山での修行を積む事により、天地自然の理や其の生命力を自らに取り入れ、結果的に験力(げんりき)を取得し、自らが悟りを開き、他者の救済を行う事を主眼としていたと伝わります。大天武の行ったと伝わる『筆神楽』などの占いも有ったとも考えますが、天地自然の理を知る事で験力を感得した事が根底に有った事だと思われます。
実を申しますと、父親から大天武の話を聞いた子供の頃の私は『罰当たり』な事を考えておりました。丁度イワナ釣りに熱狂し始めた頃と重なり、修験道における大成者の事を学ぶ事で天地自然の理を知り、結果的にイワナの大きいのが沢山釣れるだろうと思っていたのです(笑)。何と言う邪な考えだろうと、今思えば甚だ的外れで有り赤面の至りです。
話を戻します。大天武は28歳で信濃に入り、そして66歳の時に船窪山に入って安宮神社を創建されました。大天武は私の実家から近い長野県篠ノ井塩崎の堤源八郎宅で修法の為に滞在していた時に体調を悪くされて没されました。享年78歳だったと伝わります。
大天武一代記には堤家の写真が掲載されております。堤家は八百余坪の土地を有しており、江戸時代を通して庄屋を務めておられましたが、其の後は没落し、現在は塩崎に痕跡を留めていないそうです。
堤源八郎は老齢な大天武を気遣い、心ばかりの膳を提供されていたと言いますが、大天武は9歳で家を出てから死に至るまで修験道の修行の為に『木喰』を貫いておりました。庄屋であった堤家で火を通した膳(普通の料理)を食した為に体調を壊したとも言われております。
塩崎と言えば何と言っても地域屈指の古刹である金峰山長谷観音さまです。写真でお話されている御住職さまこそは、我が高校時代の大先輩です。母校の大先輩は槍投げの選手でした。日本遺産 月の都千曲さまのHPより
次回に続きます。