修那羅大天武の御案内も今回で6週目となります。現代におきまして、大天武の様な仙人が近くに居らしたら、少なからず一度は話を聞いてみたいと思いませんか? 
実は明治8年に没っされる直前まで活躍されておられた大天武と、恐らく知らない人は居ない程に有名な佐久間象山先生が出逢っておられました。
象山先生のお宅が有る松代町から安坂村迄は徒士で約半日ほどの距離となります。吉田松陰の師でもある象山先生と修那羅大天武の巡り合わせは、当時砲術などの西洋の技術を身に付けながら古今に通じておられた碩学の英傑と、役行者から弘法大師空海に引き継がれた日本古来の修法を受け継いだ日本最後の仙人である大天武の出逢いは何か特別な意味を感じます。
此方は我が家に残る象山先生の書です。
其のままの内容と致しまして、『宮殿のような楼閣は、虚空(大空)の中にそびえている。厚い雲が垂れこめているのに雨は降らず、太陽は赤く沈んでいく。雷の神は、天下を驚かせようという意志を持っているかの様である。そして長い年月を経て、ついに蛟(竜)が四方から立ち上がる』となります。
如何にも幕末の動乱を迎える前の心境をしたためた内容ですね。恐らく時節的にも其のような折での安坂村入りであったろうと思われます。
先の漢詩に有る様な想いに満ちた象山先生と大天武との出会いは一体どんなものだったのでしょうか。大天武一代記には短くこう有ります。以下は大天武一代記からの抜粋です。
『 当時松代藩士で一代の英傑と言われ、先見卓識の儒者であった佐久間象山先生がある年、公命をおびて安坂村に来て、市川宇七方に宿した事があった。象山先生たまたま修那羅翁の人となりを聞き、人を介して一夜宇七宅で会談した事があった。象山先生は難題を翁にきいた。ところが翁はすらすらと一問とて渋滞する事なく答え、しかも全部正答であるのに象山先生は感心し翁の人となりに敬服したと言う事である。それ以後象山先生は当惑する事がある度に翁に質したと言われている。』 抜粋終わり
『市川宇七』とは、江戸時代に藩の命により領内の街道沿いの運送全般及び宿場街を管理した出張役人です。つまり象山先生は其の役宅を宿所とされておられたみたいです。
私は佐久間象山先生の信奉者でありますが、思うに先生は当代一の英傑であると同時に『当代一の気難しさ』を合わせ持っておられたと伝わります。先生と大天武の話は上記のみの掲載ですが、神人とも思われる此の2人の出逢いは、安宮神社へ訪問の度に思い起こす事で有り、今もなお私の脳裏において妄想が尽きません。
安宮神社に鎮座する摂社の一つに、象山先生が献納された千手観音さまの石仏がございます。筑北村観光情報さまより
千手観音さまとは、千本の手と手の平に備わる眼の霊力で、全ての衆生を漏らさずに救う大慈悲の観音さまです。此れは多くの衆生を救ってきた大天武の成された事と同じで有り、象山先生の大天武に対する尊崇の念が強く伝わる石仏さまですね。
恐らくですが、象山先生は修験道の開祖である役小角から弘法大師空海を経て後世へと伝えられた稀人の系譜を修那羅大天武にみられたのではないかと思う次第です。
安宮神社鎮守の森の案内図です。地元に纏わる伝記に纏わる石神なども多く有り、実に興味深く、何度も足を運んでしまいます。

来週に続きます。
