みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

判じ物

先週日曜日の事でしたが、我が家の牡丹が満開となりました。江戸時代の絵師である喜多川歌麿が好んで描いた品種です。f:id:rcenci:20260418094205j:image

以前に御紹介させて頂いた我が家の掛け軸の牡丹も偶然に同じ色なのです。此の花を植えたのは、もう25年以上も前の話ですが、何やら縁を感じております。f:id:rcenci:20260418094218j:image

話を本題に戻します。今週は『判じ物』の話をさせて頂きます。簡単に申し上げますと、江戸時代の能トレの様なものですが、此れが以外と奥深いのです。『判じ物』と書きまして、『はんじもの』と読みます。

此方は更科の実家に有る昭和初期に制作された九谷焼の『判じ物』です。何を現しているか分かりますか?f:id:rcenci:20260418094237j:image

意匠は打出の小槌とポッチャリ白ネズミさん2匹です。打出の小槌でもう分かると思いますが、此れは古事記に出ている神話が元となっております。f:id:rcenci:20260418094250j:image

此の焼物は大国主命(最初の名はオオナムチ)を指しております。大国主命は兄である八十神(やそがみ)達の妬みを受けて2回も殺されましたが、神産巣日神(カミムスビノカミ)の手助けを受けて蘇生致しました。母である刺国若比売(サシクニワカヒメ)は、息子の苦難を避ける為、オオナムチに根の堅洲国(ねのかたすくに)の素盞嗚(スサノオ)の元に行く事を命じました。

素直なオオナムチ(大国主命)は、根の堅洲国に向かいました。其処で素盞嗚尊の末娘である須勢理毘売命(スセリビメノミコト)と直ぐに恋仲となりました。若い頃の大国主命は結構イケメンでした(此処だけ私の勝手な妄想です)。

持田大輔先生の須勢理毘売命です。手に持っている物は、生太刀(いくたち)、生弓矢(いくゆみや)、天詔琴(あめののりごと)と言う根の堅州国(黄泉の国)の御神宝です。f:id:rcenci:20260418094309j:image

生太刀と生弓矢は相手の命を奪うものでは無く、逆に切った者か生き返ります。また、生弓矢で放たれた矢に貫かれた者も同様に精気を取り戻す神器であると伝わります。ローマ神話の恋のキューピットの矢と同じです。さすが縁結びの神さまです!

オオナムチ(大国主命)は、素戔嗚尊の試練を何回も受けます。蛇の多く住む穴で寝たり、蜂の巣が多くある穴で寝たり、散々でした。しかし、その度に須勢理毘売命の助けで乗り切ったのです。

其処で素戔嗚尊はオオナムチ(大国主命)に最後の試練を科しました。草原に連れ出し、強弓から鳴鏑(なりかぶら)の矢を草原に向けて放ち、オオナムチに其の矢を持ち帰る様に命じたのです。

そして、オオナムチが草原に向かった後に枯れた草原に火を放ちました。文字通り地獄(黄泉の国)の業火のもとでオオナムチは絶対絶命の危機を迎えました。

持田大輔先生の大国主命です。後の大国主命は戦争では無く、婚姻などで縁戚になる事により国土をおさめました。此処が天津の神々と根本的に違うところです。f:id:rcenci:20260418094325j:image

業火が迫り来るなか、足元に白ネズミが現れました。そして『内はほらほら、外はすぶすぶ』と告げ、オオナムチは地下に空洞が有る事を知りました。オオナムチは急いで穴に潜り込み大難を逃れたのです。以来、白ネズミは大国主命の神使となりました。

では、古事記が民間に伝わったのは何時頃なのかと言いますと、一般的には本居宣長先生の『古事記伝』が出版されてからになります。具体的には江戸中期以降だと書籍にはございます。それ以来、当時の知識人の中で此の物語も広まったと考えます。

前々赴任地の三重県松阪市の駅前ロータリーには、松阪に居を構えた本居宣長先生の縁の地でも有り、駅前には巨大なモニュメントが有りました。此方は其の説明書きです。f:id:rcenci:20260418094333j:image

長々話しましたが、此の様な判じ物は江戸中期から後期に大いに隆盛を極めた様です。今回の打出の小槌と白ネズミは少し高尚な判じ物ですが、江戸期の歌川広重が書いた江戸名所の判じ物の絵は、もっと庶民的でユーモラスです。歌川広重の判じ絵を以下に三点ほど御案内させて頂きます。

此れは江戸の地名ですが、分かりますか? 答えは何と浅草です! 鼻をつまんでいる町民の方が苦笑いされておられるのが実に微笑ましいですね。f:id:rcenci:20260418094344j:image

此方は錠前が着物を着て本を読んでおります。答えは浅草から近い本所(ほんじょ)です。鬼平犯科帳の主人公である長谷川平蔵の若い頃の呼称が『本所の銕』と呼ばれておりましたが、其の本所となります。f:id:rcenci:20260418094641j:image

此方は歌舞伎役者風の男性が弓矢の矢を数本持っております。答えは四谷怪談の『四谷』になります。f:id:rcenci:20260418094649j:image

此の『判じ物』は、刀の鍔などの刀装具にもよく使われており、過去に一度資料を集めた事が有りました。現在ほどの情報社会では然程目立ちませんが、立派な先人達の文化の一つであると考えます。