今週も引き続き修那羅大天武の話となります。大天武一代記とうい書籍には沢山の逸話が掲載されておりますが、先週の佐久間象山先生同様に、私が特に気になりました話を2話程ご案内させて頂きます。
大べしみ面です。
能の演目で天狗役を演じる折にシテ方が着ける面(おもて)ですが、私の中では位の高い行者さまの御尊顔を想像させます。実に厳つい面相ですが、厳しい修行は『衆生を救う』事を目的とされているのです。
今回は前回と同じ様に、まずは大天武一代記と言う書籍に掲載されている話をご案内させて頂きます。以下は其のままの抜粋となります。
※ 報恩のため銘剣を納む
翁晩年の時のこと、京都おかかえの刀鍛治師加賀守藤原祐虎という者がいた。加賀守の故郷は安坂村であった。翁が一日、安坂村の宮下庄右衛門の宅へ行った折、祐虎の妻が永らく病気で、今日にも命が危い程だということをきいて気の毒に思い、自ら訪問して病気の祈禱をしたところ、だんだんと快方に向った。そこで祐虎は大変恩に感じ、やがて京都へ立ち帰った折、自ら潔斎して鍛えた刀剣を遙々と奉納したと伝えられている。 抜粋終わり
此の話も大天武の御心と其の修法の凄さが伝わる話ですが、私が着目したのは刀鍛冶の加賀守藤原祐虎と言う名でした。祐虎こそは信濃が全国に誇る名工である山浦真雄の高弟なのです。(2023年5月20日.祖母から授かりし物 其の2 山浦真雄の長巻き直し刀参照)
山浦真雄です。
加賀守祐虎は本名宮坂清名と言います。文政9年に産まれ、刀鍛冶を目指し荒試しで名を馳せた松代藩工の山浦真雄の門に学びました。最初は兄弟で入門し、弟は義虎と言います。其の後、安政5年には京都の日本鍛冶総匠の三品家に学びました。恐らく大天武一代紀の話は此の頃の話となります。
祐虎の師匠である山浦真雄の刀です。祐虎の刀は未だ慧眼しておりません。
何処までも『実』を追求した真雄高弟の作品を大天武が所持された事は愛刀家の端くれとして実に感慨深いものがございます。
祐虎が大天武に恭呈した刀に槌を打ち付けた回数は恐らく万を遥かに越えております。言うまでも無く、其の一振り一振りに妻の病気を治してくれた大天武に対しての感謝の念を込めていたと思われます。
刀を一口打ち上げるには、原材料の和鋼は勿論ですが、約100Kgを超える松炭が必要になると聞きます。炭俵にして六俵相当を使う事になるのです。更に打ち上げた後には研師の手間賃が入り、其の刀身に着けるハバキを白金師に依頼し、更に鍔、切羽、縁頭、目貫などの金具一式を揃え、鞘師や塗師の仕事を経て、柄木に鮫皮を被せた上から柄糸を巻く柄巻師が仕事を致します。鞘の栗形に組紐師が組み上げた下緒を結び、貴重な正絹の反物から刀袋を誂え、房紐を贖って結ぶのです。刀を贈ると言う事は、此の様に決して簡単なものでは無いのです。思うに祐虎は心から大天武に感謝の誠を捧げたのだと思う次第です。
二つ目のご案内に入らせて頂きます。以下は其のままの抜粋となります。
※ 城中に女の怨霊
弘化二年のこと、松本城主松平丹波守の奥方が大病にかかった。有名な医者が手をつくして治療にあたったが、いずれも効果なく、ついに修那羅さまにご祈禱をお願いすることになった。修那羅さまは門人の若林大三郎・若林郡司等をしたがえ、刈屋原峠のふもとから籠で登した。
そして親しく奥御殿の家相などみたところが「女の怨霊がたたっているため、このような病気になるのだ。」といって、穢除の祈禱をした。果して平癒した。
丹波守はその護法の奇特なことをほめ、厚く礼をし、幣帛をたまわった。その後、安坂の地に石祠をたて、無二の信者となったと伝えられている。また松本城主の招きにより、その城下に滞在中、病気やなやみごとで天武をおとずれる者は少なくなかったが、なかでも麻野屋嘉平というものの娘は、足がわるく立つことのできない病気で悩んでいた。
懇請により老天武の三日の修法でふしぎにも歩行が自由となった。家人やこれをきき知ったひとびとは、これは人間業ではないと、その霊験に驚歎したと言う。
抜粋終わり
国宝松本城です。
本文に『松本城主松平丹波守』と有りますが、正確には戸田松平家だと推察致します。家康の異父妹である松姫を妻とした戸田康長を祖とした譜代の代名です。代々丹波守を名乗っていたと伝わります。
松本に湧く天下の名水『源智の井戸』です。長野県公式観光サイトさまより
徳川譜代の殿様から声が掛かる事は、其れだけ地域で大天武が神格化されていた事になりますね。特に世継ぎの母である奥方の事ですから話は余計に重くなります。恐らく殿さまなんて、一般の人は顔も見た事もない時代の話なのです。
美しい現在の城下町です。長野県公式観光サイトさまより
此の話は大名からの依頼ですが、他の話は一般の方々への修法が殆どと成ります。また、新潟の上越市にあった高田城主からの依頼につきましては、大天武の故郷が高田藩の所領であったにも関わらず、城主の民に対する悪い評判も有り、祈祷の依頼を断っております。
現在の高田城三重櫓です。上越観光 Naviさまより
安宮神社の御祭神でもある大天武は、あくまで民衆の為になる事のみ其の超自然的な験力を発動されておられてた事が此の一事で理解出来ると思います。
此の様に日本古来の修験道の行者さまは、決して個別の損得勘定では無く、更に『我だけ良し』の心は微塵も持ち合わせておりません。
大天武の歩みは、困っている人の為に生きる尊さを教えてくれております。また、神山に身を置き修行する事で、天地自然の内なる声を聞き、精霊の住まう我々の国土を護ろうとされている事も伺われますね。
此方は昨年夏に安宮神社で授かった御守りです。ボールペンでファンキーな猫ちゃんが描かれておりました。
御守り授与所前に日向ぼっこしていた猫ちゃんです。訪問させて頂く度に、必ず可愛らしい猫ちゃんが居ります。御守りの絵は此の子がモデルなのでしょうか。
御守りの裏には大天武像が焼印で押されております。実に有難い事です。
来週は石神.石仏の写真を集中してご案内させて頂きます。