今週は前々週の続きとなりますが、『翁』について御案内させて頂きます。
思えば『千と千尋』に出て来た『よきかな』と声を発する川の神さまも翁の面そのものでした。流石は知識人の宮崎駿監督です。
我が娘達は小さい頃に『千と千尋』を見た時、『あ、神棚のお爺ちゃんだ』とはしゃいでおりました。『お爺ちゃんで無く神さまだよ』と諭していた事を懐かしく思い出します。
世阿弥が父である観阿弥と二代で作った能の曲目には必ず物語性が存在致します。此の親子の前は琵琶法師などによって平家物語などが伝えられていた様です。
琵琶法師とは僧侶でない格式の低い宗教者であったと言われております。『耳なし芳一』で有名な芳一も琵琶法師ですので想像し易いかと思います。
能の曲目も同様に無念の思いで散ってしまったり、何時の間にか歴史の彼方に忘れ去られた人物などを題材にした古典を現しております。
ところが、翁の曲目だけは、全く物語性が無いのです。其れは『天下太平. 国土安穏と五穀豊穣』を祈る荘厳な神事であるからだと言われております。
翁役のシテ方が舞台で発する謡の冒頭だけを御案内致します。
『とうとうたらりたらりら たらりあがりららりどう』 此の後に地謡(じうたい)や他の役の謡(うたい)が続く流れとなります。
決してタリラリランのコニャニャチワと、ふざけている訳では有りません!本当に此の様な始まりなのです。翁の謡は正に『神の歌』なのです。
意味と致しまして、現在まで色々な考察がなされておりますが、室町時代には既に内容が分からなくてなっていたそうです。
観世流の翁です。舞台で翁の面を付けた時からシテ方は『神』になります。
『翁』の神事は実際に観阿弥と世阿弥が活躍するずっと前から『翁』又は『式三番』として執り行われていたと伝わります。其の起源は古過ぎて、今でも謎だらけなのです。
向かって左が我が父です。
父の話や父の友人の能楽師、及び書籍で知った翁の起こりの話を順を追って御案内させて頂きます。
まず、奈良時代に大陸から散楽(さんがく)が日本に伝わりました。其の後、従来の日本の芸能と交わって猿楽へと発展致しました。其の猿楽を観阿弥.世阿弥親子により新しい境地へと導かれた流れとなります。
では主題の翁は何時からなのか....と言う話ですが、世阿弥の著書である風姿花伝に記載されている翁のくだりを交えて御案内を続けさせて頂きます。
風姿花伝です。
猿楽の祖とされる者は、有名な秦一族の統領である秦河勝の末裔である秦氏安が、第62代村上天皇の時代に執り行われた東大寺大仏開眼供養法会(752年)の折に、秦氏由来の散楽を六十六番も奉納し、天下泰平. 国土安穏を祈願した事が後が、翁の源流となったと言われております。そして、其の六十六番のうち、三番を選んで式三番(翁)としたと伝わっております。
大仏開眼供養の場面です。
しかし、秦氏は第十五代応神天皇の時代から、現在のカザフスタンと新疆ウイグル自治区の国境辺りに存在していた弓月国から継続して日本に帰化してまいりましたので、其れを鑑みますと古墳時代まで遡るのです。
日本史上最大規模の帰化人集団となった秦氏の話は私としても興味が尽きません。
現在の翁に登場しますのは、まず『千歳』、後に『翁』、次が『三番叟』となります。読み方は千歳が『せんざい』、翁は『おきな』のままであり、三番叟は『さんばそう』と読みます。
黒式尉の面を着けて、舞を奉る三番叟です。通常は狂言方が演じます。Wikiより
重要文化財の伝日光作の黒式尉面です。日に焼けた元気そうな神さまとなります。三番叟とは五穀豊穣を司る大地の神さまです。
なぜ三番叟が五穀豊穣を司り、面が『黒い』のかと言いますと、畑や田んぼで農作物を育てている事を思い起こして下さい。まず、豊穣の大地へ日中は太陽の光が降り注ぎ、夏なら夕立を伴い、やがて夜がやってまいります。高温多湿な日本では、生育が早い葉モノの野菜などは、一夜を超えただけで確実に育っております。
つまり『夜』には、農作物を育成する不思議な霊力が有ると当時の方々は考えておられたと言われております。三番叟の役者が黒い黒式尉の面を着ける事は、其の様な由来ではないかと識者の方が話されておりました。

翁の面は白いので白式尉(はくしきじょう)、対して三番叟の面は黒いので黒式尉(こくしきじょう)と呼称されております。『尉』とは能の世界で御老体の男性を指す言葉となります。
かく言う私もソロソロ『尉』に近づいてまいりました(笑)。最近は良く寝ないと疲れが取れなくなってまいりました。困ったものです。