みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

去り行く時

今週は翁の続きを御案内させて頂こうと思っておりましたが、またしても特別な事が有りまして、割り込みさせて頂きます。

実を申しますと、今回人事異動が出まして、横浜から静岡市の営業所に赴任する事に相成りました。

 

思えば横浜の営業所に赴任したのは2年と10か月前でした。松阪から戻り、束の間の自宅通いとなったのですが、私の立場では凡そ2年〜3年の間隔で人事異動が有るのです。f:id:rcenci:20260404121649j:image

横浜に赴任させて頂いた時は、人員が24名でしたが、現在は40名を超えております。二回目の横浜でしたので、今回は常より思い入れがございました。

配下の管理職が日々着座していた座席です。此の空間て色んな議論が交わされ、思えば懐かしい過去となりました。f:id:rcenci:20260404121837j:image

心の支えでありました『一雨潤千山』の書です。此の意味を教えて頂いた偉大な経営者も身罷(みまか)られて十年以上の年月が経過し、社風も大幅に変わってまいりました。f:id:rcenci:20260404121912j:image

新たな赴任地である駿府は言わずと知れた家康公終焉の地です。其処には『望月さん』と『海野さん』が多いと聞きました。両方の姓は郷里の信州に縁(ゆかり)がございます。

信濃の名族である滋野一族は海野(うんの)家、望月家、禰津(ねず)家に別れておりました。其々は拝領した所領の地名を自らの姓としたのです。我が母の実家は望月と言う場所から近くであった関係で私にも馴染みのある土地なのです。

美しい望月地区の景色です。f:id:rcenci:20260404121921j:image

2024.9.22の『千曲川 イワナ釣りと望月の駒』の折、望月にまつわる伝承をご案内させて頂いた事もございますので、ご興味の有る方は是非ご覧下さい。

滋野一族は武田家に滅ぼされました。其の後に本家筋の海野氏は再興されました。有名な真田家は此の海野氏の一族となります。

有名な此方の旗印は、後世に六文銭と称されましたが、元々は海野氏の旗印であり、銭ではなく、天空の星となります。具体的には、枕草子にも登場する昴(すばる)を現しております。f:id:rcenci:20260404122025j:image

武田の領民となった望月や海野の皆様は、其の後に武田領を手に入れた徳川家の元でで其の系譜を継いだのです。

家康公が駿府に戻った折も多くの滋野一族が行動を共にしたそうです。やがて明治に至り、明治8年の平民苗字必称義務令により、一族の発祥の地となる望月や海野の姓を矜持と共に名乗ったのだろうと思われます。

其れを思えば、一見して縁遠い土地にも関わらず、母親の実家と縁の有る場所への赴任は、そこはかとなく天の采配と感じた次第です。しかし、家を空けての引越しは、56歳の私にとりまして、なかなかのモノがございます。埼玉の長女が月に一度か二度来てくれるとの事でして、幾らか安心致しました。

また、慌しい前任者との引き継ぎの最中に阿部川の橋を何回か渡りました。折しも大雨で増水しており、釣りキチの虫をなだめるのに苦労した次第です。

横浜と静岡を行き来の最中に、名物の安倍川餅を静岡駅で買いました。f:id:rcenci:20260404122057j:image

ボリューム満点な食べ応えでした。きな粉とコシ餡のコンビネーションは最強です。f:id:rcenci:20260404122117j:image

 


追記
今年ほど釣りに行けてない歳も珍しく、会社が定めた試験に対する試験勉強と、この度の転勤に伴う引越し(5月半ば)が有り、初釣行は当分難しい状況となっております。静岡から木曽までの距離は、町田市から木曽までと凡そ同じで助かりました。