みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

信濃に実在した仙人の話  5

先週は修那羅大天武の筆神楽の御案内をさせて頂きました。今回は其の筆神楽を用いて実際に大天武が解決された話を御紹介させて頂きます。尚、内容は大天武一代記などの資料にある表現を、内容は其のままに比較的分かり易いと思われる文脈にしてあります。f:id:rcenci:20260201153713j:image

大天武が安坂霊諍山に山籠りされ、自らを胎順坊と名乗っておられた頃の事ですが、祈祷の依頼が有り、安坂村の若林郡司さんと言う方の御宅を宿所とされておられました。f:id:rcenci:20260201153722j:image

そんな折に永井村の小川原増五郎の召使いで、16歳になる男が主人の秘蔵している道中差しと金子を少し盗んで逃げており、困った主人は秘蔵の道中差しを取り戻して欲しいと大天武を頼ってまいりました。

道中差しとは『脇差し』と言われている刀より短く、短刀より長い寸法を持つ刀剣です。『秘蔵』と有りますので、恐らくは名の有る刀工の作であり、拵えも相応な品なのだろうと推察致します。f:id:rcenci:20260201153732j:image

大天武は直ちに邏卒神(らそつがみ)に十手及び捕縄をお供えして祈祷されたと有ります。そして『方角は江戸の方面にして、恙(つつ)がなく、元の如く其の手に還るべし』と判じられたと有ります。

大天武一代記に描かれている邏卒神です。邏卒神は邏卒天とも言われており、地獄において罪人に刑罰を執行する役目を負っております。f:id:rcenci:20260201153743j:image

地獄の邏卒と致しましては、牛頭馬頭か有名ですね。コソ泥風情が彼等が相手では恐ろし過ぎて絶対に太刀打ち出来ませんね。f:id:rcenci:20260201153753j:image

道中差しと金子を持ち去った男は、中仙道にある鴻巣駅まで逃げており、近くの旅籠に泊まっておりましたが、枕元に置いた其の脇差しが勝手に動きだし、恐ろしくて其の夜は一睡もせず朝を迎えたと有ります。現在におきまして、信濃から鴻巣までは高速を使っても200kmを超える距離が有ります。

其処で男は翌朝早く脇差しを持って宿をたち、江戸に到着して直ぐに旅籠に入りまた。ところが其の夜布団に入りますと、手足を何者かに縛られた様に動かなくなり、盗んだ刀に自分が差し通された苦痛を覚えたと有ります。男は其の苦痛の余り、臥床のまま音声を発したと有ります。驚いた旅籠の主人が男のもとに駆けつけ、其の訳を問い正しました。

男は悶え苦しみながら、遂に逃亡した顛末を話したと有ります。主人は其れを聞き、男の不心得を諭したと有ります。男は大いに懺悔して主人に感謝し、盗んだ道中差しを持って信濃に引き返しました。

信濃に帰った男は仕えていた家の隣りに有る小川原善蔵宅を訪ね、盗んだ道中差しを差し出し、逐電した後の不思議な体験を伝え、隣の元主人に取り継いで返却して欲しいと願い出たと有ります。男が仕えていた家の主人が小川原増五郎で、隣が小川原善蔵と有りますので兄弟か血縁の家であると思われます。平民苗字必称義務令は明治8年ですので、江戸後期に『小川原』と言う姓を持っている家は名主か或いは元々は武家の家柄で有ったと思われます。実際に現在でも修那羅峠の近辺では小川原の姓が多く存在しております。

小川原増五郎は善蔵より、此の話を聞き驚きましたが、此れも大天武の法力による事と思い、快く道中差しを収め、其の罪を許しただけに留まらず、再び召し使う事としたと有ります。

此れは私の想像ですが、元々小川増五郎さんは大天武を頼るくらいなので、大天武の法力の力は充分にご理解されていたと思われます。また、同時に大天武が災難や病気などは、其れ自体が『家や身体に憑いた穢れ』であり、大天武は法力を持って其の『穢れを放逐する』事を旨としており、人には元々罪は無いと言うお考えであった事も知っておられたのではないかと、かつて一代記を読んだ時に感じた次第です。

しかし、此の話には続きがございます。増五郎さん秘蔵の道中差しは、其の後も何回か盗難に遭ったそうです。きっと余程の名刀だったのでしょう。盗難の度に大天武の祈祷によって戻って来たそうです。

其処で大天武は秘蔵の道中差しに『修那羅丸』と名付けました。そうしましたら、其れ以後は盗難に遭う事は無くなったそうです。此の事の後に誰言うとなく胎順坊を『修那羅翁』や『修那羅天狗』と尊称するように至ったと有ります。

此の『修那羅』の意味について大天武一代記の作者である南湖峯夫さまは、一文字ずつ意味を探究した考察を明記されております。

『修』は道筋を正して修め蔵う。『蔵う』と書いて『しまう』と読みます。『那』は語勢を助る為に添える助字。『羅』は綱で取るが如く全て残さず取るの意味と有ります。私は実に道理を得ている考察かと考えます。

私が大天武一代記を読んだ時期は大学生の頃でした。折しもアルバイトで貯めたお金でHONDAのシティーターボの中古を購入し、他県まで渓流釣りに行ったり、オフシーズンには近隣の史跡を巡っておりました。其の頃に安宮神社も訪問させて頂きました。其の頃は安宮神社の石神や石仏も現在の配置とは違っていたと記憶しております。f:id:rcenci:20260201154006j:imagef:id:rcenci:20260201154010j:image

大天武一代記と言う書籍を手に入れたのも其の時期で有って夢中で読み漁っておりましたが、何十回も読み直し、何年か後に理解した事も多く有りました。また、大天武の生まれ故郷や妙高信仰の関山神社や縁の土地などを訪ねたのも此の頃の事です。f:id:rcenci:20260201154016j:image


次回に続きます。