みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

蝸牛の事

 

先週の日曜日は全国的に雨が降り、ご多分に漏れず単身赴任先の松阪市も終日雨が降っておりました。ベランダで春の雨を眺めながら煙草に火を付けると、目の前の手摺りに蝸牛さんが居りました。

雨が降ると何処からともなく出てくる可愛らしい風物詩です。
f:id:rcenci:20230401080840j:image

角をフリフリしてベランダの手摺を横切っておりましたが、急に踵を返して私の方に向かって来ました。ォォー!

実際にはノロノロなので方向転換にも大分時間がかかりました(笑)。
f:id:rcenci:20230401080849j:image

手摺の縁はオーバーハングしておりますので、このままでは落差1mの手摺から滑落してしまいます。そうなると背中の渦巻ハウスが木っ端微塵になってしまうので、やむ無く手に取って奥の草むらに静かに置きました。彼等は目立つと鳥やネズミに食べられてしまいますし、草むらには天敵のマイマイカブリが居ります。

此が蝸牛の天敵であるマイマイカブリです。此の子は日本固有種であります。蝸牛の殻に顔を突っ込んで食べると言われ、頭に殻を被った様に見えた事から来る名前だと思います。
f:id:rcenci:20230401080901j:image

草むらに置いた蝸牛を見ながら、『怖い虫に見つからない様に無事に天寿を全うしろよ』と言いながら紫煙をくゆらしておりました。

大丈夫かな〜と考えていると頭の中に昔の光景が浮かんでまいりました....ずっと前の事です。社会人になって最初の赴任地は東京都八王子の営業所でしたが、周辺の武蔵野台地には多くの不思議な形の井戸が有ったのです。

此れは『まいまいず井戸』と言われている井戸です。此れは東京都府中市の郷土の森博物館の敷地内のモノです。結婚前に妻と出かけて、なんじゃコレはと思った事を覚えております。
f:id:rcenci:20230401080916j:image

なんでこんな形をしているのかと言うと、多摩地区の武蔵野台地は砂礫の層が深くまで堆積し、井戸穴を垂直に掘り下げると周囲が崩れてしまうのです。その為に此の様に摺鉢状に掘り下げて井戸を掘ったと言われております。掘り下げた渦巻き状の道を其のまま通路に使った為にまいまい(蝸牛)の殻の様な通路が出来ました。恐らく『まいまいず井戸』の名前の由来は此の渦巻の道が蝸牛の殻を連想させたのだろうと思います。

他にも沢山のまいまいず井戸の遺構が地域の皆様のおかげで保存されております。
f:id:rcenci:20230401080928j:image

渦巻き状の殻を持つ蝸牛は昔から縁起物としても扱われており、『再生』『幸運』の象徴と言われております。そして蝸牛は其の高い繁殖能力から『子孫繁栄』の象徴でも有りました。小さい蝸牛がお母さん蝸牛と歩いている様子は実に微笑ましいですね。

渦潮の様な渦巻模様は古墳時代から壁画に描かれている文様です。縄文時代に再生の象徴とされていた蛇がとぐろを巻いている姿も渦巻きですね。再生の願いは『絶対生き抜く』と言う心構えにも通じたと仰る研究者の方もおみえです。

また蝸牛は後ろに決して進まない其の歩みから武家からも好まれておりました。掛け軸や扇子の扇面画にも多く見出す事が出来ます。また武家の象徴とされる刀の鍔にも蝸牛は使われております。

古い木瓜形の鉄鍔です。此方は表側ですが、井戸に付いている釣瓶の図です。釣瓶は木の桶を滑車で吊るすタイプと、図柄の様に弾力性の有る釣瓶竿に縄を結んで使うタイプと有ります。
f:id:rcenci:20230401080945j:image

コレが滑車が付いているタイプの釣瓶です。大体はこれだったと思いますので、鍔の意匠である釣瓶竿に紐を結んだタイプは簡易的な釣瓶なのです。 Wikiより
f:id:rcenci:20230401081000j:image

此方は裏側になりますが、此方には蝸牛が施されております。しかし此の鍔の意味深なところは他に有るのです。写真を広げると普通に拡大出来ますので鍔の縁の周囲を見て下さい。
f:id:rcenci:20230401081010j:image

鍔の表面にこんな模様が有ります。

此の模様こそは立涌文様(たちわくもよう)と言って奈良時代頃に造られた日本古来の伝統模様なのです。湯気や蒸気がゆらゆら立ち昇る様を現しており、運気が上がると言う格式高い模様として扱われております。
f:id:rcenci:20230401081024j:image

陶器に施された立涌文様です。
f:id:rcenci:20230401081035j:image

此方は模様の狭間に雲が立ち上がる様子を入れた立涌文様です。日本服飾史さまより
f:id:rcenci:20230401081045j:image

梅雨の雨上がりの晴れた朝に、朝餉に使う水を求めて井戸に向かうと、濡れた地面から湯気が立ち昇っており、雨に濡れた井戸枠に愛らしい蝸牛が動いている幸せな生活の一場面を描いていると思われます。蝸牛のゆっくりした歩みと周囲の立涌文様が臨場感を出してますね。恐らく此の無名の鉄鍔を造った名も無い金工職人は、雨上がりで気持ちが良い初夏の井戸端風景を蝸牛のゆっくりとした歩みを表現する事で現しているのです。また鍔の形が木瓜形です。前にもご紹介した様に木瓜形は鳥の巣を現しております。幸せいっぱいの御新造さんが井戸端に来て、桶を持ちながら蝸牛を優しく見つめている様な情景にも感じます。(注1 他の考察も有ります)

井戸の形状も蝸牛もそうですが、日本人の表現方法は何故にこんなに奥ゆかしいのでしょうか。これ見よがしに表現するので無く、余白が語ってくるような長谷川等伯日本画を観ても一つの情景に一つの小宇宙が有る様にも思えてまいります。恐らくは素戔嗚尊を初源とする和歌(やまとうた)が其の根源ではないでしょうか。自然を神として奉って来た日本ならではだと思う次第です。

これは部屋の棚に飾っている蝸牛の置物です。此れを見ると何故か和むのです。
f:id:rcenci:20230401081058j:image


追記
注1 鍔の意匠に対する追加考察を付け加えさせて頂きます。釣瓶は『釣瓶落とし』を連想させます。釣瓶の桶があっという間に井戸の水面に落ちる為に秋の日暮れの速さを表現する事は有名ですね。従って切れ味の鋭い刀を連想させたとも思われます。同じく歌舞伎の演目に出てくる『籠釣瓶』と言う刀は、籠で水を汲む様に「水も溜まらぬ切れ味」を意味し、良く切れる刀の呼称でした。この辺りの意味合いも意匠に含んでいると思います。剛の者の一面の裏には雨上がりの蝸牛を愛でる文化的な教養も兼ね備えた文武両道の武人になりたいと言う願いかも知れません。鉄鍔一つをアレコレ推測するのは楽しい事ですが、実際のところは作者で無いと分かりませんね!