みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

千曲川 イワナ釣り 春は三寒四温

本日は林道を利用して杣添川の大分上にある堰堤から釣り始める事に致しました。此処は入り易い分だけ魚はスレているのですが、何時もの入渓路と比べて非常に楽チンで川に立てます。本日も弁当と水筒持参で出会うのは山の小動物のみという単独釣行です。こんな世の中になる前は渓友と一台の車に同乗して『あ〜でも無い、こ〜でも無い』と話しながらの道中でしたので、現在の様な釣行はとても味気ないのですが、コレも仕方ない事だと諦めております。

今週は木曜日〜金曜日の2日間が温かい日でしたので期待して入渓致しました。薄暗いうちに身支度をしていると真っ黒なカモシカが姿を現しました! 久しぶりに見た天然記念物は私を見て『グェ』一声鳴いて直ぐに逃げていってしまいましたが、私は鹿を神様のお使いだと思っておりますので拝礼致しました。さて実釣の方ですが堰堤上に降りて釣り登りました。明らかに先週までとは釣れる場所が違います。先週まである程度深みが無いとアタリが出ませんでしたが、本日はそこ迄深くなくても沈み石があるポイントでは魚が食べてくれます。

本日のキープ1匹目は骨のあるヤツでした。
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此の綺麗な渓水の流れを見ていると時間が経過するのを忘れてしまいます。
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小動物が落としたでしょうか。
『宿木』が落ちてました。常緑樹である事は知ってましたが不思議な色でした。木の上に丸くなっているのは良く見ますが手に取るのは始めてです。
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前回程の魚影では有りませんが飽きない程に釣れてまいります。
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良い色合いです。
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途中で数年前にノカンゾウの良い物を取った場所に出ました。期待を裏切らないで今年もちゃんと出ておりました。同じ佐久でもノカンゾウと言ったりホウレン葉と言ったり呼称は様々ですが、味噌汁に入れたりサッと湯通しして鰹節と醤油で頂いたり美味しい春1番の山菜です。落ち葉が積っているので白い部分が多くて里の物とは少し違います。
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自己規制匹数までの最後の1匹が出ましたのて納竿致しました。
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今晩のお酒の肴と娘達の夕ご飯に成ります。今週も糧を頂いた事に関して山神様へ感謝致しました!(漁協さんにも感謝です)
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帰りに少し川上村を見て回った時に子供のカモシカが護岸の上に来ておりました。今回は鹿さんに縁の有る釣行でした。
小さい子供のカモシカです。
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鹿についての余談と諸々
鹿の話が出ましたが、何故鹿さんが神の使いと言われているのか少しだけ綴ります(ゴメンナサイ〜スコシデハアリマセン)。話は西暦768まで遡りますが称徳天皇の勅命により春日大社が建立されました。実質は当時最高の権力を有する藤原氏が大王(オオキミ)に働きかけたと言われております。藤原氏鎌足氏の故郷である鹿島.香取の両神宮から神様をお迎え致しました。鹿島の神は建御雷(タケミカヅチ)と言い天津神最強の軍神です。武御雷神の出生の話は強烈です。
Wikiより
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イザナミが神産みの大火傷が原因で死んでしまった事に対して火傷の原因を作った子供のカグツチ(火の神様)の首を怒ったイザナギが十拳の剣で切り落としました。其の時に飛んだ血飛沫から生まれた神であると古事記にごさいます。香取神宮の神は経津主神(フツヌシノカミ)と言われ、布都御魂(フツノミタマ)と言う武御雷神の佩く霊剣に宿る神とされています。『フツ』とは刃物で物を切る時に出る音とも言われております。つまり建御雷神が布都御魂剣を佩いている状態が鹿島香取の両神が揃った状態です。その天津神最強の軍神が常陸の国から大和国に来る時に乗った動物が『白い鹿』とされているのです。私は中学校の時に京都と奈良へ修学旅行に行き、案内の人から此の話を聞いた時、建御雷神は信州諏訪の建御名方神(タケミナカタノカミ)と相撲を取って勝った神様である事を聞いでおりましたので『お諏訪さんに勝った強い神様が此処にいるんだ』と思ったものです。布都御魂剣は神武天皇長髄彦(ナガスネヒコ)と戦い負戦寸前まで追い込まれ熊野の山中にて窮地に陥っていた時に天から授与され、布都御魂剣の霊力により戦闘に勝利したとも言われております。布都御魂剣はその後宮中に祀られておりましたが崇神天皇の時に石上神宮に移されて現在まで石上神社に伝わっております。最後に文中で触れた古事記についてですが、実は広く一般に古事記の内容が認知されたのは編纂されて1300年の月日が経過する中で最近の事なのです。古事記は西暦712年に太安万梠(オオノヤスマロ)が編纂してから江戸時代初頭まで一部の貴族したか其の内容を知らなかったと大学時代の教授に教えて貰いました。その後にやっと江戸時代に成って本居宣長が『古事記伝』と言う本を出しましたが此方も一部の知識人しか内容を把握しておらず、広く一般に古事記の内容が知れ渡ったのは明治期であり、明治期に政府が天皇制が復活した事も有り、子供向けの教育として古事記をわかり易くした書物を発行した事が広く知れ渡った要因なのです。