みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

武蔵御嶽神社参拝 社宝『宝寿丸』

妻と結婚する前に2人で此の神社に参拝し、近隣の宿に一泊したのを昨日の様に思い出されます。2人して荘厳な境内と清浄な空間に圧倒された事と初めて経眼した宝寿鍛冶の大太刀が印象深く脳裏に残っております。宝寿は奥州藤原三代を支えた舞草鍛冶に属した鍛冶集団で有り、頼朝公の奥州征伐の後で舞草鍛冶共々全国に散らばりました。此の大太刀の刀身には力強い倶利伽羅などの濃密な彫りが施され奉納者の強い気持ちが伝わってまいります。昨今はコロナ禍で外出を控えておりましたが思う処有って娘2人と足を運びました。

ケーブルカーを降りて鳥居までの歩きますが紅葉がとても綺麗です。
f:id:rcenci:20201114181614j:plain

大根が干してあります。美味しい沢庵になるのでしょう!
f:id:rcenci:20201114181706j:plain

鳥居の前はお土産さんが並び賑わってました。
f:id:rcenci:20201114181736j:plain

此処の野鳥は人懐っこくてカメラを構えても逃げません。ヤマガラをこんなに近くて見たのも始めてです。
f:id:rcenci:20201114181803j:plain

手水舎には赤い紅葉が沈んでおり綺麗な景色となっておりました。
f:id:rcenci:20201114181825j:plain

社伝によると創建は崇神天皇の時代だとされております。第8代孝元天皇の皇子である大彦命の子と伝わる建沼河別命(タケヌナカワケノミコト)が大己貴命少彦名命をお祀りしたのが由来であると説明書きにございました。また天平年間に有名な高僧である行基が東国鎮護を祈願して蔵王権現の像を安置したともございました。盗難避け、魔除、五穀豊穣の神様であると同時に武人からは御嶽蔵王権現として広く崇敬を集め、鎌倉時代の有名な武将である畠山重忠公も鎧や太刀などを奉納しており、宝物館には多くの武具や刀剣などが奉納されております。

大鳥居はとても立派です。
f:id:rcenci:20201114181926j:plain

此処も紅葉真っ盛りです。
f:id:rcenci:20201114181956j:plain

階段も上り坂も結構急で息も絶え絶えでした。階段に石屋さんが粋な細工をしておりました。冥界から鬼が顔を出しております!
f:id:rcenci:20201114182018j:plain

やっと拝殿に着きました! 大己貴命少彦名命と言えば日本の国土を創られた神様ですので日頃の御礼を伝えてまいりました。
f:id:rcenci:20201114182037j:plain

拝殿の前のお賽銭箱には菊の御紋章がございました。
f:id:rcenci:20201114182116j:plain

此処は狛犬ではなく狼です!
f:id:rcenci:20201114182140j:plain

結構色んな狼さんがおります!
f:id:rcenci:20201114182205j:plain

コレは大迫力。
f:id:rcenci:20201114182227j:plain

蔵王大権現です。
f:id:rcenci:20201114182247j:plain

家康公が江戸に転封し江戸幕府を開くに至ると西方における護りの要として重要性を見出され大久保長安により南向きだった社殿を東向きに改められたとありました。因みに武蔵の国の由来は日本武尊(ヤマトタケル)が自分の武具を鎮護の為に此の地に蔵した事から武蔵と地名が付いたとされております。更に此の地における日本武尊の遠征にはもう一つの話が存在します。軍を率いた日本武尊が邪神と戦いで御嶽山中にて道に迷った時に何処からか白狼が現れて正しい道へ導いたとされております。功あった白狼は日本武尊から此の地を守護する様に命じられたとの事です。此の故事は『おいぬ様』として神社に伝わっていると説明書きから知りました。歴史の古い神社だけに多くの言い伝えが存在して興味が尽きません!

拝殿の後ろは摂社が多くそれぞれに拝礼致しました。
f:id:rcenci:20201114182318j:plain

宝物伝の前には畠山重忠好評の石像がございます。個人的にかなり敬愛している武将のひとりです。
f:id:rcenci:20201114182349j:plain

見たかった宝寿丸黒漆鞘太刀と宝寿丸太刀です。ライトの加減で地鉄が良く見えません。
f:id:rcenci:20201114182439j:plain
25年前ぶりに拝見させて頂きました。刀剣類では他にも武州下原鍛冶の薙刀や太刀が複数展示されておりました。下原鍛冶特有の如輪杢が出た作品が目を引きます。ライトの加減で見えませんでしたが皆焼の様な所作の作品も並べられておりました。

鍍金長覆輪太刀です!(アットウサレマス)
f:id:rcenci:20201114182522j:plain

思わず唸る重要文化財の紫裾濃大鎧です。
f:id:rcenci:20201114182543j:plain
江戸期の当世具足は親しみがございますが大鎧と言うのはまた別格です!小札は皮らしいですが贅沢なものです。父親から聞いた事ですが例えば赤糸縅大鎧などの縅(オドシ)とは甲冑の部品である小さな鉄片や皮片で造られた小札(コザネ)の穴に緒を上下に通して結び合わせる事に由来した漢字であり.『緒を通す』から縅(オドシ)とされた言葉らしいです。因みに軽くて丈夫な皮で小札を作る場合は牛や馬の丈夫な膝の皮を使い、槌で叩き煮るという過程を何回か経て充分に乾燥させた後で漆で何層も塗り固め、雨などの水気から守ったと伝わります。人間の肘の皮をツネっても痛く無いと同様に牛や馬の膝の皮は丈夫な部位だったのだと思います。一頭から少ししか取れない丈夫な皮を使うなんて大変高価な物であった理由が何となく理解出来ます。帰りに鳥居の前の食道でお昼を頂き足が攣りそうになりながら帰路に着きました。