みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

家族で三島大社参詣

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本当に大きい御本殿、重要文化財です
 
 
鎌倉幕府を開いた源頼朝が公が崇敬した神社である三島大社は、近そうで中々行けてない神域でした。私の会社は研修所が三島に有り、入社以来27年間、三島の駅は本当に良く利用しておりましたが、用事やら何やらで行けなかったのです。
 

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拝殿も立派です。七五三と重なって、とても賑やかでした。
 
 
三島大社伊豆国の一宮であり東海随一の御神格です。平治の乱源頼朝公の父である義朝公は尾張国野間(愛知県知多郡)で味方の裏切りで殺されてしまいました。頼朝公も近江で捕られ六波羅へ送られ、死罪が当然でしたが、平清盛公の継母である池禅尼の嘆願により一命を助けられ、伊豆蛭ヶ小島へ流されました。流された頼朝公は三島神の御前で源氏再興を祈願していたとの事です。頼朝公が功成って鎌倉幕府を開くと、瞬く間に三島神の御真意が全国に伝わり、特に武家より深い崇敬を受けたとの事です。三島神とは三島大社の御祭神の事ですが、木花咲耶(富士山の神)と磐長姫(浅間山)の父神であり山神様の総本家である『大山祇命』とエビス様で有名な『事代主神』のニ神をさします。頼朝公は日本中にある山々の神と国土を作った大国主命の長男であ事代主神を味方にしたのですから最強です。対して平清盛公も厳島神社を深く崇敬し、アマテラスがスサノオの十拳の剣を噛み砕いて産んだ宗像三女神深く崇めたのですが、何処かで神意に背いてしまったのか? 尤も頼朝公も鎌倉幕府を興しましたが、血筋は三代で滅びましたので複雑ですね。
 

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境内の樹齢1200年の金木犀です。桓武天皇長岡京へ遷都して直ぐに芽を出した計算に成ります。1200年続いた香りは、さぞ素敵な香りであると想像致します。
 
 

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北条政子勧進したとされる厳島神社です。平清盛公が崇敬しておりましたのも厳島神社てすね! 偉大なるNo.2の北条氏も平家の流れを組む者ですからでしょうか?


三島大社の宝物館
武家から崇敬されていた大社だけに太刀の奉納も多かったとされています。越後の英雄である上杉謙信公も此の大社に太刀を奉納しております。現在は上野の国立博物館に収蔵され国宝指定を受けております。此の太刀には兵庫鎖太刀拵えが付随しております。福岡一文字派の作で、茎に『一』と銘が切られております。此の宝刀は元々関東管領上杉家に伝わったものを、謙信公が三島大社に奉納した事により、杉太刀と名付けられております。時代を経て明治天皇が巡幸のおりに大社に数度立ち寄り、杉太刀に深く関心されたので明治20年に大社が併せ持つ北条太刀と共に皇室に献上され、明治22年東京国立博物館に移管されました。明治天皇は先の事の返礼として、福岡一文字宗忠の太刀を三島大社に奉納され、現在は重要文化財指定を受けておりますが、残念ながら本日は公開されておりませんでした。本日の展示刀は素晴らしい拵えの付いた宇田国宗脇差地鉄が精美な伊勢守国輝もございました。他にも頼朝公に関する物が多く、興味が尽きませんでした。然し一番圧巻でしたのが下原廣重作の大太刀です! 

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地鉄は小板目と通常の板目がまじり、三品物のように少しザングリした感じです。刃文は互の目乱れですが形が其々違い小丁子も有れば尖り刃も有りました。沸が強く島刃が見られ地沸の入る様凄まじい大太刀です。同工の中でも傑作の感がございました。
 
 

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名物福太郎餅を頂きました。餡子がリーゼントに見えて楽しい名菓でした。