みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

更級の年の瀬

オミクロン株の事は心配でしたが、感染対策を万全にして娘2人と東京駅で待ち合わせして更級に帰郷致しました。松阪から近鉄特急で名古屋まで行き、名古屋から新幹線で東京駅に行って娘達と待ち合わせ致しました。娘2人と会うのも3ヶ月ぶりでした。そして新幹線で上田駅に行って信濃鉄道で屋代駅です。時計の針が31日になる頃に屋代駅に到着し、改札から出てみると更級は夜の雪景色でした。暫く見惚れておりましたが、刺すような冷気に我にかえりました。自宅まで先にタクシー待ちして居た隣町のお姉さんとタクシーを相乗りし、自宅に到着したのは31日の0時半。三重県松阪市より4回電車を乗り継ぎ、待ち時間も含めて合計6時間の長旅となったのです。

信州の住人にとって大晦日は大事な特別なの日なのです。『お歳取り』と言って家族がご馳走を囲んで年の瀬を迎えます。そして深夜0時に合わせて氏神様へ深夜の参詣を致します。この参詣を『二年参り』と言います。しかし参詣する人でごった返す事を思うと昨今の諸事情を考慮して31日の午前中に参拝して参りました。

我が氏神さまは武水分大神と八幡神をお祀りしている武水分神社八幡宮です。雪の本殿は荘厳な神気が満ちておりました。若い我が娘2人は雪でも元気です。
f:id:rcenci:20211231223900j:plain

摂社も雪の中です。
f:id:rcenci:20211231223917j:plain

この神社は木曽義仲公が横田河原の合戦の前に戦勝を祈願しました。そして勝利を得た後に神領を寄進した事で有名です。このお八幡さまは我が故郷更級の守り神さまなのです。
f:id:rcenci:20211231223938j:plain

あまり知られて無い事ですが八幡の地は川中島の戦いの初戦があった場所なのです。
f:id:rcenci:20211231223954j:plain

神功皇后三韓征伐の図が奉納されております。武内宿禰の御顔が特徴的でした。八幡神(応神天皇)と息長帯姫(おきながたらしひめ)はお母さんと息子なので何故か温かい印象を受けるのは私だけでしょうか? 
f:id:rcenci:20211231224013j:plain

そい言えば最近は神功皇后が実在して居ないと言っている某歴史学の先生がお見えですが、日本人が日本民族の歴史を否定するのは悲しい事です。最初のヤマトは『倭』と表現されてました。またヤマトタケル日本武尊の書くので『日本』もヤマトですね。


三韓征伐について少しだけ記述させて貰います。発端は神功皇后に神託があり、直ちに新羅に出兵するようにと言う内容でした。皇后はその事を夫である仲哀天皇に奏上したのですが、おりしも仲哀天皇熊襲討伐に出向く直前だったので御神託に背いて熊襲に出兵したのです。ところが途中で元気な仲哀天皇が突然病にかかり崩御してしまうのです。悲しみに暮れていた神功皇后は自分が新羅へ出兵する事を決断致しました。でも神功皇后は身重の体だったのです。皇后は冷やして出産を遅らせる様にお腹に石を結びつけて出兵し、新羅を瞬く間に制圧しました。その攻めが疾風のように見事だった為に戦ってない高句麗百済も日本に臣従しちゃったのです。百済は日本が大好きで自分達は日本人だと思うように成りました。高句麗は途中で朝貢をやめましたのが、倭国に頼らずに自分の力で国を護る道を選びました。少しして大陸に超大国の隋が誕生し、何度か高句麗に攻め込んだのです。ところが高句麗軍は見事に此れを防いだのです。隋も意地になって何度も侵攻しましが、その都度高句麗は隋の最強軍を追い払いました。そのおかげで結果的に隋は経済的に破綻し滅んでしまったのです。この三韓征伐のおかげで日本は今日までの長い期間を大陸の大軍に攻め込まれる事なく平和に過ごせたのです。半島が大陸の領土となった元の時代だけは元軍が日本に攻めてまいりました。攻めて来た元軍を最強鎌倉武士団が見事に打ち負かし、更に日本国土の神様が神風を起こして元の船団を海の藻屑としたのです。そして元は14世紀に大流行したペストで大打撃を受けて崩壊の道を辿りました。その後の半島には高麗王朝が発足しました。ついつい本題から外れましたが神功皇后は神のお告げを持って日本を守った偉い皇后なのです。日本に帰国した神功皇后男児を出産し、その男児応神天皇と成りました。


最後にもう一言だけお許し下さい。
私は趣味が渓流釣りですので、良い魚が釣れた時は川の神様に感謝し、良い魚を育んた自然に感謝します。最近特に思うのですが家族をはじめ周囲の人や周りの物に感謝する事の大切さを改めて実感しております。私の拙い文章をお読み頂き、有難うございました。令和4年が皆様にとって良い年になるように心からの祈念致します。