みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

仕事場にある物

仕事場でも私生活でも自分に憤りを感じた時に、常に自分を第三者の目で冷静に視る事を心がけているのですが、不徳の致す処で全く思う様にはまいりません。そんな訳でお恥ずかしい話ですが、会社のデスク周辺には、私なりの道標となる物が置かれております。物に頼る様では半人前であると自覚しておりますが、手っ取り早く気持ちをリセットしたり、原点に帰ったり出来ます。私の父は観世龍能楽師範で多くのお弟子さんを持ち、日々奥座敷でお稽古をしておりました。奥座敷の鴨居には『増女』や『翁』などの能面が掛かられ、棚には『鼓』や『大皮』など能に関係した物が据えられておりました。お正月やお盆などの特別な日は座敷での食事となり、其々の所以などを聞きました。中でも京都十松の扇は父の師匠から頂き物であり、父は此れを『見る度に精進を誓ってる』と言っておりました。そんな父の話の中から一つ披露致します。今から遡る事600年前に世阿弥が書き残した『花鏡』という本に載っていて、誰もが知ってる有名な言葉に『初心忘るるべからず』という言葉がございます。結果が意に反した場合に『初心』を思い出し、始めたばかりの謙虚で真剣な心持ちを忘れてはならないと言う教えです。世阿弥が教えた『初心』とはその段階においての『初心』であり、年齢や立場で変化するものである事も父より教えて貰いました。正直申し上げると聞いた時は中学生位で特段何も感じておりませんでしたが、最近になって父の教えを都度に思い出しております。

面頬f:id:rcenci:20191224105635j:plain

私の仕事場においてパソコンの前に座る私を人の本性が出ると言われている左側の高い位置から見据えている面頬です。お陰様で常に凛とした空気の中で仕事が出来ます。仮に何か良からぬ思いが脳裏を少しでも横切るとすれば、全て見透かされている様な感覚です。戦国時代は主人の決断一つで一族が栄えたり、滅びたりする事が繰り返されました。それだけ思慮を尽くさねばならないとの自分への戒めです。しかし左上から見下ろされると何となく少し怖いのが玉に傷です。

『喫茶去』掛け軸  伴鉄牛老師f:id:rcenci:20191224105707j:plain

この掛け軸には思い出が沢山有るのです。私は幼少の頃より暴れん坊で親も手を焼いていたとの事でした。そんな中で信州佐久の小海線中込駅から車で10分程の場所にある貞祥寺(ていしょうじ)という古刹に伴鉄牛老師という高僧が来山し、座禅会を開催するの事で、私は父より二晩の泊まりがけで参加を命じられました。その頃の私は小学校低学年であり、禅とか聞いても難しい事は全く分かりませんでしたが冒険みたいで興味が湧いたので同意致しました。さて実際の座禅会ですが、全く考えていた内容と違う事に気付くまで時間は掛かりませんでした。明確に覚えているのが座禅の時に警策で肩を打たれ、反撃しようと立ち上がった事と、子供ながらに此処で反撃したら親の顔を潰すと思って耐えた事です。そんな私に周りの参加者の皆様はとても親切でした。参加者の中で一人の気の強い6年生の子供が父親と来ておりました。どんな場面か覚えておりませんが、その子と二人の時に4年生の私に突っ掛かって来たので私と喧嘩に成りました。喧嘩の原因は全く覚えておりませんが些細な事だったと思います。体の大きく力の強かった私は相手の腹を強かに蹴り、相手が蹲っていたので、少しやり過ぎたと思った事を覚えております。その子の父親が近くに来て、子供同士の事なので何も言うつもりはないが、此処は修行をする場所だよと諭されました。突っ立っている私と蹲って痛がっている息子に諭した後は、心配そうに子供に寄り添って居た事を鮮明に記憶しております。諭した喧嘩相手の父親は穏やかな表情で何処となく暖かさを感じました。今から思うと本当に悪い事をしたと思います。喧嘩相手の父親は立ち居振る舞いや言動から鑑みるに立派な方で有ったと思います。今思うと正に赤面の至、穴があったら入りたい様な出来事です。そんな中で伴鉄牛老師に呼ばれ、老師の居る部屋へ入りました。老師の名前は『鉄の牛』なので強そうな方かと思っておりましたが、小柄な老師が座っている姿は例えようも無く自然で、何か周囲の景色に溶け込んでいる様な不思議な感覚であり、壁から声が聞こえる様だった事を記憶しております。よく見ると和やかな御顔で話をされておりましたが、残念ながら話の内容は全く記憶に残っておりません。因みに貞詳寺は室町時代信濃國の前山城を本拠とした豪族の伴野貞詳(とものさだよし)が父親と祖父の為に建立した由緒正しい名刹で有り、敷地にある三重の塔は現在長野県宝に指定されてます。二泊三日の座禅会の最後に参加者を集めて老師の話があり、皆に老師直筆の書が手渡されました。その書を父が記念に表装した物です。

子供の頃は『喫茶去』の意味なんて全く興味も有りませんでしたが、大学生4年の時に茶道に通じた友人より話を聞き、初めて意味を知りました。『喫茶去』は禅語であり、簡単に言いますと『お茶でもどうぞ』です。発祥は中国における唐の時代まで遡ります。当時、趙州禅師(じょうしゅうぜんじ)と言う高名な禅の巨匠がおりました。ある日禅師の所に二人の若い僧が来山致しました。禅師は二人に以前に此処に来た事がありますか? と尋ねた処、一人は『有ります』と答えました。禅師は答えた僧に『喫茶去』つまり『お茶でもどうぞ』と言いました。もう一人の僧にも同じ事を聞くと『来た事は有りません』と答えました。趙州禅師は其の僧にも『喫茶去』と言いました。それを訝しげに見ていた院主(お寺を管理する立場の高僧)が、何故一度来た事がある僧と始めて来た僧に対して同じ様に『喫茶去』と言ったのか尋ねると禅師は院主にも『喫茶去』と言いました。つまり趙州禅師は初対面の人でも、そうでない人でも、高僧であっても分け隔てなく『お茶でもどうぞ』と言ったのです。地位や立場、損得や利害、または貴賎の差でなく、同じ様に接するという意味なのです。此れは今の私に取って本当に大事な道標と成る言葉です。今は亡き伴鉄牛老師と老師の書を高額なお金を支払って表装してくれた亡父に感謝しております。入社28年目の今でも此の書に諭される事が数多あるのです。皆様も自分の理想としている言葉や書物が有ると思いますが、そう言う物は近くに置く事で更に存在感が増しますね! 私も新しい『初心忘るるべからず』を探求してまいります。