みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

クリスマスリース造りと歳神様来訪の準備

私に取ってクリスマスは余り特別な日では有りません。更科に住んでいた頃、妹の幼稚園がカトリック系だったので、その頃は実家に於いて慣れないクリスマス料理を母が作ってくれました。今は見かけませんが赤玉パンチという甘いワインで鳥腿を煮込んでバターで仕上げる料理が出たり、近くの洋菓子屋さんで買ったクリスマスケーキが出たり致しましたので食いしん坊な私は、母の料理が楽しみでした。現在我が家では特別な事は致しませんが、亡妻の実家に家族3人で泊まりで行くのが結婚以来の慣しと成っております。年末には更科に帰郷致しますので一年の御礼も込めて訪問するのです。義弟夫妻や子供達も集まり、父と弟と好きな事を話しながら日本酒を心ゆくまで頂いて、挙げ句の果てにベロベロで布団に潜り込んで、気が付いたら何時も朝に成っております。妻が他界しても妻の両親は実の親みたいに接してくれて本当に有難い限りです。さて、お題のクリスマスリースですが、釣友の家族やご近所がが喜んでくれますので、秋に山から蔓を取って来て制作しております。 

11月初旬に取った蔓を巻いて乾燥させてます。切り口には木工用ボンドを付けて割れを防ぎます。f:id:rcenci:20191210231141j:plain

以前に山仕事を生業としていた叔父に聞いたのですが、蔓という植物は木に取っては天敵だとの事です。木に巻きつくと木の成長と共に蔓が木に食い込み、木は窒息の状態と成ったり、蔓に葉が茂ると木に当たる日光を遮断してしまう事で木の成長が止まったりして最悪は枯れる事があるとの事です。私は何気なく山野を眺めてましたが山野の木々も熾烈な生存競争を生き抜いている事を感じました。伯父から聞いた事ですが、蔓切りという作業が林業に有り、これから木が成長する春先に行わなければ駄目な必須作業で有るのと事でした。しかし蔓は生命力が強く春に切っても夏には再び巻き付くのと事です。リース造りは2m程に切った蔓を内側に巻き込みながら丸く仕上げ、少し陰干しを行い、硬く成ったモノから飾り付けに取り掛かります。飾りは100円均一で大体は揃いますが松ぼっくりは近くの公園などに落ちておりますので拾ってまいります。尚、松ぼっくりは2、3日バケツなどに入れて水を入れて置くと中にいる虫が居なくなります。好みに寄りますがラッカーなどで仕上げずに、そのまま使った方が味が有りますね! 小さなモノと大きなモノで遠近感を出すと面白い場合もございます。毎年5個程作るので色々なバージョンを試しております。リース自体の発祥は古代ギリシャまで遡る歴史を有し、五穀豊穣や魔除、永遠に継続するなどの意味合いなあると一昨年にテレビ番組で知りました(いい加減で、すいません)。

10日程前に仕上がったモノですが、もう依頼主の玄関に飾られている事だと思います。f:id:rcenci:20191210231218j:plain

対して此の時期に我々日本人はお正月の準備ですね! 玄関に飾る門松などは歳神様をお迎えする為の結界だと父から教えて貰いました。大掃除も歳神様をお迎えする為に穢れを払う事が本来の目的ですね。神棚には塩、酒、米などを供えて鏡餅を置いて歳神様が宿るのをお待ちするのです。我が家は往時に於いて千曲川を遡った鮭をお供えした名残でしょうか分かりませんが、大きな塩鮭の頭が神棚に供えられます。大晦日の夜に歳神様が家に来訪されるのを家族皆でお迎えし、様々な祈りの込められた料理を家族で囲み、歳神様を歓迎する宴を催すのです。年明けの鏡開きは歳神様が宿った餅を家族で頂いて歳神様の霊力を身に付け、一年の無病息災を願う為の行事です。日本は元々、各家に氏神様が来訪する精霊の国なのです。神様と一緒に歳を越す文化は日本独自だと思いますが、私の不勉強でしょうか?
信州には『お年取り』という独自の文化がございます。私も大学に出て東京に来てから其のことに気がつきました。歳神様が来訪する31日の大晦日に一年で一番のご馳走が出ます。出世魚のブリやお刺身など食卓の上は大変な状態になり、年の瀬を迎えます。信州人のブリに対する思いは強く、県内のスーパーには物凄く大振りな切り身が並びます。千国街道(別名ブリ街道)と言う街道が松本から糸魚川まて繋がっており、塩や他の物資を運ぶ大切な道だったと伝わっており、この街道を通りブリが信州にまいりました。因みに安曇野で有名な塩尻市は太平洋からと日本海からの塩を運ぶ其々の終点であったので塩尻という地名と成ったと言われております。大晦日のご馳走を食べた後は更に此処から『二年参り』と言う行事が待ってます。地域の方々が真夜中に氏神様へ赴き深夜0時と同時にお参りを致します。刺す様な冷気に酔いも一気に醒めるので妻が来た最初の年はとてもビックリしておりました。実際には参道に出来た物凄い行列と参拝者同士の挨拶でちっとも前に進まず、お参りは0時から過ぎる事が程どです。従って紅白の結果は家に帰らないと判りません。参拝を済ませて達磨を購入し、破魔矢やお札を授与して頂き、元旦の深夜2時頃にやっと床につきます。其処から少しの間をおいて元日となり、再度神棚の氏神様と歳神様に挨拶をしてから、新年の屠蘇とおせち料理を家族で頂くのです。従って信州では仕方が無い事を除いて年末に家族が集まります。若い頃は少しばかり窮屈でしたが、此の年になると改めて良い伝統と感じます。