みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

改めて台風19号被害の事

令和元年10月12日の台風19号により、長年お世話になっている佐久穂町千曲川の東側にある大日向地区と余池地区が大きな被害を受けました。此処には抜井川という地元の渓流釣り師には有名な川が流れております。中規模河川で下はヤマメ、上は綺麗な天然イワナが出迎えてくれました。友人から『ふるさとチョイス災害支援』の佐久穂町のページより寄付が出来ると教えて貰ったので渓友会の先輩と手続きを進めました。釣れなくて畦町に座り込み、おにぎりを食べておりましたら、見かねた畑仕事をされている地元の方にポイントを教えて貰ったり致しました。それ以外でも此の地区の方々は本当に親切な方ばかりだったので甚だ無念です。改めて自然災害の無情と恐ろしさを感じます。

ふるさとチョイス災害支援の佐久穂町のページよりf:id:rcenci:20191204120523j:plain

抜井川上流には乙女の滝と言われる二筋の滝を擁する古谷渓谷が有り、苔むした岩に鮮烈な水流か降ります。イワナも野生味溢れて独特の岩と同じ体色でした。解禁後に雪代が流れると何時も沢山のイワナが竿を絞りました。

此の写真は今では反省材料としておりますが、当時はコレが午前中の部でした。f:id:rcenci:20191204120545j:plain

やり過ぎたのを自分で悟り、此処数年はメインの釣り場としては通っておりませんでしたが、あの台風の後でイワナ達もどうなったか地域同様に心配です。此の様な時は我々釣り師に出来る事は一体何があるか? 自問自答しております。

武蔵國 埼玉古墳群と金錯銘鉄剣

日本最大の円墳である丸墓山古墳です。

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冷たい雨が晴れて秋空が広がりました。

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以前からずっと行きたくて行けなかった行田市の埼玉古墳群へ友人達と出かけました。国の特別史跡に認定されており、9基の大型古墳を擁しており、造られたのは5世紀から7世紀だと伝わります。稲荷山古墳、丸墓山古墳、二子山古墳、将軍山古墳、瓦塚古墳、鉄砲山古墳、奥の山古墳、中の山古墳、愛宕山古墳が代表的なもので、それ以外も周辺に古墳が沢山有ります。大型の古墳をこれだけ築くには当時貴重だった鉄器を数多く使い、呆れる程の労働者の数と呆れる程の月日が掛り、当時の権力者の力が如何に強大であったかが忍ばれます。サキタマの呼び名は古く万葉集にも前玉(サキタマ)、佐吉多万(サキタマ)の地名の入った和歌が読まれているとの事です。
 
金錯名鉄剣説明分の表 

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 金錯銘鉄剣説明分の裏

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私が一番見たかった物は此れなんです。大雑把に言うと約1500年以上前の鉄剣の両鎬の部分に文字を金象嵌した鉄剣です。昔の話ですが、インディージョーンズ世代の私が大学に進学し、考古学の授業を履修致しました。教授の話に耳を傾けてましたが、恥ずかしながら内容は難解だった事を記憶しております。しかし授業中の余談の中で教授が、たまたま埼玉県熊谷市のご出身であるとの事で横の行田市にある埼玉古墳群の話をされました。その話の中で金の象嵌が施されている金錯名鉄剣の話をされました単純でお馬鹿な刀剣好きな私は鉄剣自体に強い関心を持ったのです。驚嘆に値する程の歴史の証としてでは無く、当時は単純に刀剣として興味を持った事に今更ながら赤面致します
 
国宝である金錯銘鉄剣です。 

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28年越しの思いなので実物を見ましたら本当に感動致しました。説明書きによると1968年に稲荷山古墳の発掘が行われ、他の埋蔵物と一緒に鉄剣が出土し、其処から10年も経過した後、保護処理のため錆を少し落としたところ金色の文字が出て来て、全体を調べる為にX線を当てましたら金象嵌された115文字の漢字が発見されたとの事です。時代は古墳時代後期のA.D.471年とありますので、なんと1548年前となります。現在に伝わる日本刀の反りのある姿は平安時代末期から出現したと伝わりますから最低でも約830年以上前です。其処から更に718年以上も前に遡るのですから、考えを悠久の彼方に馳せる事とてつも無く、鉄剣が残り得た事自体が実に驚くばかりです。(表現力に乏しい私には驚きの表現が難しいです)。銘文の内容は第8代孝元天皇の第一皇子とみられる大彦命を祖とする一族の歴代の長の名前が記され、鉄剣が造られた当時は8代目であるヲワケノオミという人物が百練の利刀に今迄杖刀人の首(武官の長という意味であろうか?)として仕えて来たという話です。ヲワケノオミ一族はヤマト王権の縁戚に当たる家系という事だと思います。鉄剣の銘文にヲワケノオミが仕えている主人を『獲加多支鹵大王』ワカタケル大王と言う表現で名前が切られており、この名前が21代雄略天皇とする説が有力との事です。この事が解析される事で大分県の江田舩山古墳出土の銀象嵌の施された銘文の朽ち込んだ部分もワカタケルであるとの解析が成され、いずれもワカタケル大王の支配下に有った事が実証されていると知り、年甲斐もなく興奮致しました。雄略天皇と言えば兄弟や親戚を殺して位につき、少しでも反抗する豪族を片っ端から滅ぼしてヤマト王権の勢力を大きくした方であると認識しておりました。しかし当時の武人の長てあるヲワケノオミは(鉄剣の銘文には杖刀人の首と表現)武人の拠りどころである剣に一族の出自と歴代の長の名前と、ヲワケノオミが当時においてワカタケル大王の臣である事を金象嵌を持って施して残したのですから、縁戚に当たるとはいえ、これ程の武人を配下に持つワカタケル大王は偉大な大王で有った事を改めて感じました。色々感じながら鉄剣を見つめていると私はしばらく鉄剣の前から動けませんでした。少し聞きたい事がございましたので近くの係員の女性に伺うと学芸員の先生を呼んで頂きました。学芸員の先生はとても親切に分かり易く教えて頂き、とても勉強になりました。
 
宮入法廣刀匠の写した金錯銘鉄剣を展示するイベントのパンフレットです。 

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話の終わりかけに学芸員の先生から良い事を伺いました。なんと此の鉄剣を写した現代刀匠が居て、写した剣を此の金錯銘鉄剣の横に展示するイベントを行うとの事。其の刀匠は郷里である更科の誇る人間国宝故宮入行平先生の甥である無鑑査刀匠宮入法廣さんであるとの事!ただでさえ上がってるテンションがハイトップにまで駆け上がりました!学芸員の先生からの話では打ち上がった写しの剣に象嵌を上から片面に数文字施したら反対側に曲がり、このまま下まで象嵌したら剣が破損するので、表と裏を少しずつ象嵌したとの事です。刀は応力が働いているので確かに文字数が多過ぎて剣自体が破損するのは刀剣好きなら理解出来ます。古の刀剣類は折り返し鍛錬も極端に少ないと何かの本で読んだ事を思い出しました。あの硬い鉄にアレだけの象嵌をする技術は今も当時も凄まじい技術であり、私なんぞには想像も出来ませんし、第一どうやってあの様に両方に均一な焼き入れを施せるのかも全く理解の外です。展示は来年2月16日までとの事なので再訪を友人と決めました。
 
古代の馬具を付け鎧を纏い環頭大刀を佩いた武人の像です。 

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話は変わりますが雄略天皇に焼き殺された兄に当たる人物に黒彦王がおります。黒彦王の足跡は我が郷里の更科に黒彦神社と黒彦団地という地名で残っております。当然ですが黒彦団地は後世に付けられた名前です。名前の由来は現在存在致しませんが、往時において千曲川の中洲に黒彦という水上都市が有った事に因んで付けられた名前です。日本書紀によると黒彦王は死んだとございますので、近親の者が信濃に流れて来たかと思われますが、地元では戦いに敗れた黒彦王が逃れてきたと伝わります。雄略天皇の事も黒彦王を通して調べました。私に取って今回の史跡訪問で雄略天皇のイメージが大分変わりましたので、黒彦王の事も折に触れて調べてみたいと考えでおります。次の楽しみが増えた処で頑張って師走を乗り切ろうと思いました。
 
古墳群を取り囲む公園は綺麗に整備がなされ立木の色づきは最終段階です。 

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刀装具 沢鷹図透かし鍔と柊図透かし鍔

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我が家に伝わる鍔の内の二つです。扇状に加工された朴の木製の鍔掛けに掛けられてます。二つ同時に描けるのは意味がございます。時代は江戸後期ではないかと思われます。鍔に限らず刀装具は高い精神性と武の両方の性格を併せ持つ刀身に装着する金具なので、造形も意匠も最高の技術が施されてます。常に生と死の狭間にに生きた武士だからこそ、刀や刀装具に高い美意識と高い精神性を求めたのであろうと推測致します。其処が日本人独特の感覚であり、日本人の死生感ですね。当時は知らぬ人が居ない後藤家の家彫りと一般職工の町彫りでは明らかな品格の差は有りますが、電気もドリルも無い当時に白金師が心血注いで制作した作品には、例え無名の物でも上品な気高さを感じます。大らかな意匠、細密な意匠、古事を模倣した意匠など様々です。写真の二つの鍔は現在の美術的価値は高い物では有りませんが気に入ってる品物です。
一般に鍔自体は非常に限られた大きさです。大きくても8cm前後で真ん中に茎穴(なかごあな)が有り、切羽台〜笄櫃と小柄櫃〜地〜耳となる構造であり、とても狭い限られた範囲で意匠を施します。意匠には正に千変万化の違いがあり、造り手の美意識と人間性が伝わってまいります。鍔の制作は白金師だけでは無く、刀匠が造る刀匠鍔、甲冑師が造る甲冑師鍔がございます。平安期には皮を膠(にかわ)や漆で固めた『練皮』という素材で造られた鍔もございます。此の練皮は甲冑にも使用されております。

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沢鷹図透かし鍔


写真の鍔ですが、沢鷹図透かし鍔と言います。沢鷹とはオモダカと読み、別名は勝戦草とも言われいる野草です。葉っぱの形が弓矢の矢の先につける鏃(やじり)の形をしております。左の葉と右の葉では表裏逆の意匠となっている処が造り手の見せ所ですね! 私は葉の立体感が好きです。沢鷹の由来の通り多くの武家が家紋と致しました。賤ヶ岳七本槍福島正則公も沢鷹紋を用いており、沢鷹は『攻』が連想されます。

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柊図透かし鍔


柊(ひいらぎ)は晩秋から冬に花が咲きますので『木』と『冬』で柊と読みます。言わずと知れた鬼も嫌う魔除の植物です。一部の地域では節分にイワシの頭と柊を付けた魔除を用います。此の鍔は柊の葉の葉脈も施され、立体感のある造りとなっております。鍔工の遊び心かは分かりませんが、刺々しい葉に虫食いの穴が存在し、思わずクスっと笑いが出る楽しい意匠です。魔除の他に『用心深い』や『保護する』などの意味もあり、『守り』が連想されます。
つまり二つの鍔を並べると『攻守』となります。『攻』の意味合いの鍔を装着した大刀を差し料とした武士は福島正則公の様な勇猛果敢な人物であろうか?拵えは目貫にも沢鷹紋か? など想像すると何となく人物が思い描けます。『守り』の意味合いの鍔を装着した武士の拵えは、ひょっとすると頭には鬼が施され、柊で追いやっている意匠か?.....など考えると興味が尽きません。 今は我が家の違い棚に飾られております。秋の夜長に妄想中になる事が良いか悪いかは別として楽しい時間であり、お酒も進みます。

釣り道具部屋の片付け

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私の家の釣具スペースです。


釣り道具室言っても私の家にそんな大きなスペースはございません。18年程前に家を建てる時に、なんとか工務店の人に頼んで、階段の下に小部屋を家を造ってもらったのです。
急に思い立ったのは、今年の春に木曽の正沢川下流域にボサの中を無理矢理入った時に野薔薇の刺で穴が開いて水が入り込んだウェーダーをオフシーズンに修理に出そうとしまっておいた物をガサガサ取り出していたら、埃が凄いので、いっそ掃除してしまおうと成った次第です。大昔に購入した熊除け用の爆竹や何十年も前に使っていた帽子やら何やら沢山出てまいりました。爆竹は音がしない様に土に埋めた空き缶の中で爆破させました。後の要らないものは燃えないゴミの袋に纏めました。
  
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10年程前に渓で思いっきり転んで破壊されたタモ枠で作ったミミズ倒しです。


使い古した嶋作の郡上ビクやタモなど埃と汚れを綺麗にしていると様々のシーンが脳裏に浮かび、改めて楽しませてくれた『釣り道具』に感謝致しました。そういえば、竹ビクなどを掃除する場合ですが、まずお湯に15分程浸します、内側や外側の汚れが浮いて参りますのでブラシなどで汚れを落とします。乾燥は必ず日陰に置かないと歪みが出易くなりますね。充分に乾燥出来たら油を薄く塗り竹の乾燥を防ぎます。此処で油造りについて秘伝の技法を紹介します。鍋に油を多目に入れて火を付ける前から鷹の爪をドッサリ入れて熱し、泡が少しでも出たら火を止めて油が冷めるまで放置します。冷めきった油を古い手拭いなのでこします。こした油は小瓶などに入れて保存致します。コレをボロ布に付けて薄く塗るのです。母の兄である叔父が元気な頃に骨董商を営んでおり、其の叔父に教えて貰った事です。古い木材の無垢物などに艶を出す為には此の油が一番良いとの事でした。但し無垢物に限り、漆などを塗った物には膨れの原因となるので使用厳禁です。無垢の欅の箪笥などは驚く程綺麗に杢目を浮かび上がらせます。叔父の話では此の油で手入れすると虫も付かないとの事でした。

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ヘンテコリンな大イワナの魚拓


此の写真は思い出の大イワナです。釣れた日の前の週に0.5号を千曲川支流杣添川の本流合流部の淵で見事に叩っ切られ、次の週に雨が降り、笹濁りのベストコンディションになったので1号を使って少し上流の深瀬の瀬脇のポイントで釣り上げた魚です。その時は釣行3回目の初心者と一緒に行きました。その初心者は前の週に沢山釣れたので魚のワタの処理を教えました。会社の後輩ですが機転の効く部下で、現在は課長職です。此の時も自分の釣ったイワナを上手に処理してました。滅多に出ないサイズを釣った私は、大物が釣れた今日の川の様子を写真に収める為にその場を去りました。釣れた時の流れや水量を目安にする為に写真を取ったのですが、撮影を終えて彼の元に帰ると、機転の効く部下が『◯◯さんの大きな魚も処理しておきました〜』との彼の言葉です。『え? まさか? お前?』 ....『あ! 』まさか私のトロフィーサイズまで捌いちゃってるとは夢にも思わず、此のサイズは釣り人生で二回目であり、剥製にでもしょうか?と考えていました。其処でビニール袋に真っ直ぐになる様にくるんでからクーラーの下に入れておいたのですが、後輩の手には見事に割腹されて血合の取れた大イワナが握られておりました。私はしばらく絶句して動けませんでしたが、説明していない私が悪いのです。『そうか! 有難うな....でもコレからは釣った人に捌くか否かを聞いた方が良いぞ』とアドバイスなのか怒声なのか分からない口調で話すと『はい、分かりました〜』と元気一杯です。家に帰って改めて取り出してみましたが、しょうがないから刺身にでもして食べるか?と思いました。しかし直ぐ食べちゃうのも勿体ないと考え、せっかくだからと魚拓を取ってみたのがコレです。糸で縫い合わせたのですが、やはり離れてしまいました。どうせ自分が楽しむだけだから良いや! とそのまま飾っておいたのです。此れも今となっては懐かしい思い出です。因みに其れ以降このサイズは釣り上げておりません!

家族で三島大社参詣

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本当に大きい御本殿、重要文化財です
 
 
鎌倉幕府を開いた源頼朝が公が崇敬した神社である三島大社は、近そうで中々行けてない神域でした。私の会社は研修所が三島に有り、入社以来27年間、三島の駅は本当に良く利用しておりましたが、用事やら何やらで行けなかったのです。
 

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拝殿も立派です。七五三と重なって、とても賑やかでした。
 
 
三島大社伊豆国の一宮であり東海随一の御神格です。平治の乱源頼朝公の父である義朝公は尾張国野間(愛知県知多郡)で味方の裏切りで殺されてしまいました。頼朝公も近江で捕られ六波羅へ送られ、死罪が当然でしたが、平清盛公の継母である池禅尼の嘆願により一命を助けられ、伊豆蛭ヶ小島へ流されました。流された頼朝公は三島神の御前で源氏再興を祈願していたとの事です。頼朝公が功成って鎌倉幕府を開くと、瞬く間に三島神の御真意が全国に伝わり、特に武家より深い崇敬を受けたとの事です。三島神とは三島大社の御祭神の事ですが、木花咲耶(富士山の神)と磐長姫(浅間山)の父神であり山神様の総本家である『大山祇命』とエビス様で有名な『事代主神』のニ神をさします。頼朝公は日本中にある山々の神と国土を作った大国主命の長男であ事代主神を味方にしたのですから最強です。対して平清盛公も厳島神社を深く崇敬し、アマテラスがスサノオの十拳の剣を噛み砕いて産んだ宗像三女神深く崇めたのですが、何処かで神意に背いてしまったのか? 尤も頼朝公も鎌倉幕府を興しましたが、血筋は三代で滅びましたので複雑ですね。
 

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境内の樹齢1200年の金木犀です。桓武天皇長岡京へ遷都して直ぐに芽を出した計算に成ります。1200年続いた香りは、さぞ素敵な香りであると想像致します。
 
 

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北条政子勧進したとされる厳島神社です。平清盛公が崇敬しておりましたのも厳島神社てすね! 偉大なるNo.2の北条氏も平家の流れを組む者ですからでしょうか?


三島大社の宝物館
武家から崇敬されていた大社だけに太刀の奉納も多かったとされています。越後の英雄である上杉謙信公も此の大社に太刀を奉納しております。現在は上野の国立博物館に収蔵され国宝指定を受けております。此の太刀には兵庫鎖太刀拵えが付随しております。福岡一文字派の作で、茎に『一』と銘が切られております。此の宝刀は元々関東管領上杉家に伝わったものを、謙信公が三島大社に奉納した事により、杉太刀と名付けられております。時代を経て明治天皇が巡幸のおりに大社に数度立ち寄り、杉太刀に深く関心されたので明治20年に大社が併せ持つ北条太刀と共に皇室に献上され、明治22年東京国立博物館に移管されました。明治天皇は先の事の返礼として、福岡一文字宗忠の太刀を三島大社に奉納され、現在は重要文化財指定を受けておりますが、残念ながら本日は公開されておりませんでした。本日の展示刀は素晴らしい拵えの付いた宇田国宗脇差地鉄が精美な伊勢守国輝もございました。他にも頼朝公に関する物が多く、興味が尽きませんでした。然し一番圧巻でしたのが下原廣重作の大太刀です! 

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地鉄は小板目と通常の板目がまじり、三品物のように少しザングリした感じです。刃文は互の目乱れですが形が其々違い小丁子も有れば尖り刃も有りました。沸が強く島刃が見られ地沸の入る様凄まじい大太刀です。同工の中でも傑作の感がございました。
 
 

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名物福太郎餅を頂きました。餡子がリーゼントに見えて楽しい名菓でした。

甲斐国 一ノ瀬 父と伯父さん達の凄さ (グロい写真がありますので閲覧注意です)

亡妻の父、私に取っては義理のお父さんと一緒に山梨の一ノ瀬にある別荘に参りました。父の兄である叔父さんと父の弟である叔父さんと合わせて4人ですが、皆さん山のプロ中のプロですので話す内容が私に取っては面白くて、何時もお酒が進みます。この別荘は元々父や伯父の家があった場所ですが、家が倒壊しましたので、伯父が跡地に建てたものです。今回は訳あって仕留めたばかりの鹿さんを長兄の叔父さんの友人から頂きました。

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立派な雄の鹿さんです。


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なんで菜食なのにこんなに大きいのでしょうか?


此れから解体して今日は鹿刺だ〜との事! 解体して....? 私は初めての経験です。イワナのお腹を処理するのと訳が違います。刃物好きの私なのでキノコが有ったら取ろうと考え、ナイフは数本車に積んでます。まず皮を剥いでその上で解体するとの事です。足首をグルっと一周切れ目を入れて其処から皮を剥がしました。綺麗に剥がれてビックリ致しました。此処からは少しグロいので説明を省略いたします。骨はシチューにレバーは野菜と煮込んで食べるそうです。内臓も綺麗に洗って煮込んで食べると絶品との事でした。大まかな解体が終わると、更に細かい部位に分けて行きます。私は慣れない格好で腰が痛くなり休憩です。

夕飯には背ロースの刺身、鹿肉のタタキ、ホップレートでの焼肉と盛り沢山です。全くクセが無く本当に美味しいのです。ニンニク醤油で頂く鹿刺は本当に絶品でした。叔父さんと云く、鹿さんは油分が少ないので簡単と事で皮下脂肪が多い猪や熊は更に大変であり、馬は大型なのでもっと大変だとの事です(え? 熊? 馬?) スーパーで売っている肉も今後は感謝しながら購入しないとダメだなと思いました。同時にお酒の量も程々を超えてしまい、お布団にはいると即寝てしまいました。

柴犬の能力

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寝ている処を起こした不機嫌なヤマト


我が家の留守居役であるヤマト君です。以前も此のブログで綴りましたが、寝る時に大イビキをかいて寝ます。たまたま偶然にも私の郷里である千曲市の生まれでした。小さな頃はコロコロして大丈夫かな?と思いましたが、現在は柴犬の中では大きな部類に入る程に成長しております。今回はそんなヤマトの留守居役としての能力をご紹介致します。実は此の子は家族が玄関まで歩いてくる音で家族であると気が付くのです。簡単に説明すると、どんなに大イビキで眠入っておりましても娘が玄関まであと10mくらいに近づくとムクっと起きて『キュン』と鳴きます。此れが身内では無く宅急便の配達の方だと『キュン』では無く『わ.わ.わ〜ん』に成るのです。どうやって気が付くのか分かりませんが、寝ていても直ぐ飛び起きます! 因みに下の写真が飛び起きた顔です。眠気も何も無い顔をしております。

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玄関を向くヤマト(長女バージョン)


良く気が付いたと褒めると思いっきり照れます。そんなに照れなくても.....と思いますが、照れてる写真が次の写真です。

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照れてます


小さな頃から褒めていたからか分かりませんが犬の能力は本当に素晴らしいですね! 私の大学時代の先生で民俗学の先生が、猿蟹合戦は本当は人間用の作物を外敵から守った犬と略奪を狙った猿の戦いであったと話されておりました。日本に於いては、縄文時代の遺跡から犬と人間が共に埋葬されているモノが見つかっているなど数万年前まで遡る事が出来ます。犬族と人間は太古から良きパートナーなんですね!