此のブログで何度も書きましたが、私の父は観世流の能楽師でした。父と同門会の高弟の皆さまが千駄ヶ谷にある国立能楽堂で公演する際は私もよく一緒に連れて行って貰いました。
幻想的な能舞台の全景です。左から本舞台に通じる通路を橋掛かりと言いますが、此方から主人公のシテ方が出てきます。能楽協会さまのHPより
子供心に特急(新幹線は未開通)に乗ってお弁当食べて東京に行くのが楽しみだったのです。父の高弟の皆様にも大変可愛がって貰いました。
シテ方です。橋岡会さまのHPより
父の師でもあった重要無形文化財保持者の橋岡久馬先生にも何回かお会いさせて頂きました。橋岡先生の演じた新作能の『無明の井』は当時何も知らない小学生だった私にとって身体が震える程の迫力でした。
有りし日の橋岡久馬先生。よく我が家の近くに有った稲荷山温泉に来られておりました。食事は何時も橋岡先生オリジナル鍋を食べておられましたが、たまに母の打った更科蕎麦を召し上がっておられました。橋岡会さまのHPより
知識も何も無い小学生の私が、初めて見た先生の芸に戦慄を覚えた新作能『無明の井』のポスターです。子供の私は時々夢に出て来てうなされました。
此の面(おもて)は脳死の男の霊を演じたシテ方の橋岡先生がつけた面ですが、もの凄い存在感がごさいます。シテ方は赤頭の下に見える此の面を微妙に動かして表情を付けます。此の様に能面は能囃子と地謡をバックにしたシテ方の繊細な芸と相まって強烈な印象を見物人に及ぼすのです。今日のお話は此の能面についてとなります。
今回は女性の面に的を絞ります。女性の幽霊や老婆の面もございますが本日は品格の高い女性が嫉妬心により徐々に変化するさまをご覧下さい。
『増女』の面です。ゾウオンナと読みます。足利義満の同朋衆の1人だった増阿弥(ぞうあみ)が創作した面です。品格の高い女性を現しております。
『泥眼』の面です。此れは 嫉妬に苦しむ女性を現しております。目と歯に金泥を塗られております。髪の毛が少し乱れている事に注目です。人から妖に変化する途中の姿となりますが、もう人では有りません。
『橋姫』の面です。橋姫には伝説が存在してます。橋姫ある理由で嫉妬心が深まり、自ら鬼になりたいと祈りながら宇治川の水に沈み、生きながらにして鬼になった方だと言われております。まだ何処となく人の悲しみが感じられますね。其の橋姫は京都宇治橋の近くにある橋姫神社に祀られております。
『生成』の面です。頭の角はまだ皮に包まれてます。目の感じはとっても悲しげです。口の形や牙などは既に鬼になっております。有る意味一番強烈です。
『般若』の面です。女性の内に秘める怨念を打ち出した面と言われております。しかし目の上の形は未だ少しの悲しみを持った表現となっているところに注目です。つまり本当の鬼では無いのです。
『真蛇』の面です。般若から人の心を完全に無くし本当の蛇になったものを真蛇と言います。口が左右に大きく裂けております。そう言えば昔『口裂け女』と言う都市伝説が流行りましたね(笑)。表情も完全にぶっ飛んでおります。何れにしても此方が最終形となります。
能面の種類はマイナーなもの迄数えると、おおよそ250程も有るといいます。其の中でも室町時代より安土桃山時代に打ちあげられた面を本面と呼び大事に保管されてまいりました。
また、能とは歴史上の故実を元にしており、志半ばでこの世を去った者や、男女関係のもつれで鬼と化した者などの不幸な魂魄を能を通して演じる事で、時が流れて人々から忘れ去られた魂魄が心安らかに天に昇ると考えられたのではないかと父から聞きました。
また、能と狂言は源を同じとしており、狂言は人が普段垣間見せる人間味や滑稽な行動に対する笑いの面を受持っておりました。私が国立能楽堂に父と同伴した複数回の公演でも必ず狂言が行われておりました。狂言師の芸に見物の皆さんと笑ったのを昨日の様に覚えております。