信州更級の実家は、家から東に歩いて3分も進めば千曲川本流でした。自転車で山側に少し行くと天然イワナが釣れましたので子供の頃の遊びは全て『釣り』なのです。丁度釣りキチ三平も放映されており、子供達の間では釣りブームでした。ヤマメ、イワナ、ツケバ、ジンケン、カジカ、アキオ、鯉、ドイツ鯉など全てがターゲットでした。
そんな環境でも家族から『この時期だけは釣りはおろか、水辺にも行くな』と言われていたのが『お盆』です。『お盆は色んな魂が此の世に来て自分の家に行くけど、そうじゃ無い魂も有るからだよ』と祖母が言っておりました。
更級を流れる千曲川 長野県公式観光サイトより
迎え盆になると家主が名前入りの提灯に火を灯してお墓までお出迎えし、家の前で更に『迎え火』を焚いて御先祖さまに家に入って貰います。迎え盆はこうして子孫の家に帰って来た御先祖さまを家族で囲んでご馳走を頂きます。16日まで家でゆっくり休んで貰ったら今度は送り盆です。今度は御先祖様をお墓までお送りするのです。此の時も『送り火』を焚きますが、此れは御先祖様が帰る道のりを照らす照明の役割を致します。
迎え火 Wikiより
写真は信濃国の枕詞である『みすゞかる』の由来にも成った『まこも』を燃やしております。更級の迎え火と送り火にはダケガンバの皮を使います。此の時期は更級に有るスーパーやホームセンターに山積みされているのです。
ところが、何らかの理由でお盆に本家に出向かない分家で代を重ねてしまったり、家系自体が絶えてしまったり、無駄だと家主が判断して一連の行事を止めて風習が失伝していたりすると、御先祖は何処に帰れば良いのか分からないので家に帰って来ません。其のような迷える魂は水辺に行きます。彼等は基本的に乾いていると菩提寺の和尚さんが言っておりました。そして楽しそうにしている水辺で遊ぶ方々にチョッカイを出したり、釣り師の足を引っ張ったり、時には業の深い魂が複数でよってたかって生者の命を奪うのです。
此方は幕末から明治に活躍した日本画家である河鍋暁斎の『幽霊図』です。中学校の美術の授業で教科書に載っておりましたが、未だにトラウマです(笑)。
そんな訳で迎え盆を含む期間は毎年釣りに行きません。そうしましたら、長女が『お父さんに前に連れて行ってもらったアノ店に行きたい、明日はコノ店に行きたい』と言うので、2人で金曜と土曜に其々一店舗づつ行ってまいりました。
まず金曜日です。
此方は八王子ラーメンの名店である『みんみんラーメン本店』です。初めて行ったのが3年社員ですから、31年に渡って(西国行きの2年は抜かします)通っております。濃いめの鶏ガラスープの表面に薄くラードが張り、柔らかめのメンマとバラチャーシューが乗り、其処に玉ねぎの微塵切りが乗ります。
久しぶりのみんみんラーメンです。写真はバラチャーシューメンの特大にライスてす。娘も勇んで大盛りを注文しておりましたが、最終的には父親のヘルプが必要でした。
さて次は土曜日です。
此の店は私が新入社員の支店配属初日に支店長に連れて行って貰ったトンカツの名店『鈴本』さんです。『君たちの勝利を願ってトンカツを食べよう』と声高らかに仰った支店長の顔が毎回脳裏をかすめます。此方の店には何と34年(同様に2年抜かす)も通っております。
まずは低温のラードでじっくり揚げて、最後に高音の鍋に入れて香ばしく仕上げる職人の技です。キャベツもビューラーなんて絶対に使わず、目の前で有り得ないくらい細く千切りしております。お味噌汁は白髪ネギ入りの赤だしとなります。トンカツ皿は特注の赤志野であり、キャベツの薄緑とトンカツの色と雑妙のコントラストを現しております。鈴元さんでは磁器の器は使わず、全て土の温もりを感じる陶器を使っているみたいです。
此の特性ソースとの相性が抜群なのです。
飲食店がコロナ禍を乗り越えて長く店を開けるのは難しく、私の行きつけだった店も此処数年で廃業された店が多く有ります。今回は2年以上行かなかった為に挨拶も兼ねて久しぶりの味を楽しませて頂きました。金曜に伺った『みんみんラーメン』さんは二代目が引き継いでおりますが、全く変わらない素晴らしい味でした。相当な修行をされたのでは無いかと推測します。トンカツの『鈴元』さんは私が34年前に伺った時の親方が現役でも揚げ鍋の番をされておりました。話をしても滑舌良く、お元気そうです。恐らくは90歳近いと思います、私などがたったの53歳で『疲れた〜』なんで言っていたらバチが当たりますね。吉川英治が小説宮本武蔵で『我以外皆我師』と武蔵の生き方を述べてましたが、フッと思い出した次第です。