みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

千曲川 イワナ釣り 春は三寒四温

本日は林道を利用して杣添川の大分上にある堰堤から釣り始める事に致しました。此処は入り易い分だけ魚はスレているのですが、何時もの入渓路と比べて非常に楽チンで川に立てます。本日も弁当と水筒持参で出会うのは山の小動物のみという単独釣行です。こんな世の中になる前は渓友と一台の車に同乗して『あ〜でも無い、こ〜でも無い』と話しながらの道中でしたので、現在の様な釣行はとても味気ないのですが、コレも仕方ない事だと諦めております。

今週は木曜日〜金曜日の2日間が温かい日でしたので期待して入渓致しました。薄暗いうちに身支度をしていると真っ黒なカモシカが姿を現しました! 久しぶりに見た天然記念物は私を見て『グェ』一声鳴いて直ぐに逃げていってしまいましたが、私は鹿を神様のお使いだと思っておりますので拝礼致しました。さて実釣の方ですが堰堤上に降りて釣り登りました。明らかに先週までとは釣れる場所が違います。先週まである程度深みが無いとアタリが出ませんでしたが、本日はそこ迄深くなくても沈み石があるポイントでは魚が食べてくれます。

本日のキープ1匹目は骨のあるヤツでした。
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此の綺麗な渓水の流れを見ていると時間が経過するのを忘れてしまいます。
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小動物が落としたでしょうか。
『宿木』が落ちてました。常緑樹である事は知ってましたが不思議な色でした。木の上に丸くなっているのは良く見ますが手に取るのは始めてです。
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前回程の魚影では有りませんが飽きない程に釣れてまいります。
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良い色合いです。
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途中で数年前にノカンゾウの良い物を取った場所に出ました。期待を裏切らないで今年もちゃんと出ておりました。同じ佐久でもノカンゾウと言ったりホウレン葉と言ったり呼称は様々ですが、味噌汁に入れたりサッと湯通しして鰹節と醤油で頂いたり美味しい春1番の山菜です。落ち葉が積っているので白い部分が多くて里の物とは少し違います。
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自己規制匹数までの最後の1匹が出ましたのて納竿致しました。
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今晩のお酒の肴と娘達の夕ご飯に成ります。今週も糧を頂いた事に関して山神様へ感謝致しました!(漁協さんにも感謝です)
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帰りに少し川上村を見て回った時に子供のカモシカが護岸の上に来ておりました。今回は鹿さんに縁の有る釣行でした。
小さい子供のカモシカです。
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鹿についての余談と諸々
鹿の話が出ましたが、何故鹿さんが神の使いと言われているのか少しだけ綴ります(ゴメンナサイ〜スコシデハアリマセン)。話は西暦768まで遡りますが称徳天皇の勅命により春日大社が建立されました。実質は当時最高の権力を有する藤原氏が大王(オオキミ)に働きかけたと言われております。藤原氏鎌足氏の故郷である鹿島.香取の両神宮から神様をお迎え致しました。鹿島の神は建御雷(タケミカヅチ)と言い天津神最強の軍神です。武御雷神の出生の話は強烈です。
Wikiより
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イザナミが神産みの大火傷が原因で死んでしまった事に対して火傷の原因を作った子供のカグツチ(火の神様)の首を怒ったイザナギが十拳の剣で切り落としました。其の時に飛んだ血飛沫から生まれた神であると古事記にごさいます。香取神宮の神は経津主神(フツヌシノカミ)と言われ、布都御魂(フツノミタマ)と言う武御雷神の佩く霊剣に宿る神とされています。『フツ』とは刃物で物を切る時に出る音とも言われております。つまり建御雷神が布都御魂剣を佩いている状態が鹿島香取の両神が揃った状態です。その天津神最強の軍神が常陸の国から大和国に来る時に乗った動物が『白い鹿』とされているのです。私は中学校の時に京都と奈良へ修学旅行に行き、案内の人から此の話を聞いた時、建御雷神は信州諏訪の建御名方神(タケミナカタノカミ)と相撲を取って勝った神様である事を聞いでおりましたので『お諏訪さんに勝った強い神様が此処にいるんだ』と思ったものです。布都御魂剣は神武天皇長髄彦(ナガスネヒコ)と戦い負戦寸前まで追い込まれ熊野の山中にて窮地に陥っていた時に天から授与され、布都御魂剣の霊力により戦闘に勝利したとも言われております。布都御魂剣はその後宮中に祀られておりましたが崇神天皇の時に石上神宮に移されて現在まで石上神社に伝わっております。最後に文中で触れた古事記についてですが、実は広く一般に古事記の内容が認知されたのは編纂されて1300年の月日が経過する中で最近の事なのです。古事記は西暦712年に太安万梠(オオノヤスマロ)が編纂してから江戸時代初頭まで一部の貴族したか其の内容を知らなかったと大学時代の教授に教えて貰いました。その後にやっと江戸時代に成って本居宣長が『古事記伝』と言う本を出しましたが此方も一部の知識人しか内容を把握しておらず、広く一般に古事記の内容が知れ渡ったのは明治期であり、明治期に政府が天皇制が復活した事も有り、子供向けの教育として古事記をわかり易くした書物を発行した事が広く知れ渡った要因なのです。

千曲川 イワナ釣り 渇水の巻

本日の入渓地点は標高1200m程ございますが、残雪の量は先週とは比べ物にならないくらい減っている感じです。
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朝方の気温は0°でしたが入渓路の距離と起伏がキツイせいで汗ばみます。山の中で雪が溶けている場所の岩には苔が所々顔を出しており、モノトーンの世界でポツンと露出している緑は綺麗に感じます。

待ってたよーと声が聞こえてくる様です。
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拡大するとこんな感じです。
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本日は有給休暇強制消化の為に会社を休ませて頂きウィークデイの釣行となりました。まとまった春の雨が降ってないので渇水による食いの悪さが思いやられますが、釣れれば春一番の綺麗なイワナがタモに収まる時期です。目的の川は国道141号沿いの市場坂を降りた辺りで本流に流れ込んでいる杣添川です。来る時は真っ暗で見えませんが、此の時期の冠雪した八ヶ岳は本当に荘厳で神々しく綺麗です。八ヶ岳には面白い昔話がごさいますので最後に閑話休題として御紹介致します。

上がったり下がったりする入渓路と宿木(ヤドリキ)の林を走破して目的のポイントに着きました。先週はもう少し上に入渓致しましたので、本日は少し下に入りました。パッと見たところ水は少なく難かしい釣りになりそうでした。最初に竿を出した場所は落ち込みの下に大岩が配されたポイントです! 餌を投入すると意外と水深が有り、一投めから高速でひったくるアタリが出て美味しそうな天然イワナが竿を絞りタモに収まりました。まだ雪が残る標高の高い場所で隅っこの流れの無いところは薄氷もはっておりますが、水の中は既に活性化している事に毎年の事ながら驚かされます。

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先週あれ程釣れたシシャモサイズイワナ君達は今日は釣れないのが不思議でした。有り難い事に次から次へと良型が竿を絞ります。
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天然魚のお腹の色は鮮烈です。
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あっと言う間に自己規定匹数に達したので遡行距離感30〜40mですが納竿致しました。
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まだ釣れそうで後ろ髪引かれる思いでしたが、己が決めた事は決めた事ですので川から上がりました。改めて良型を釣らせて頂いて千曲川竜神様に手を合わせて御礼申し上げた次第です。明日は雨の予報でありますので、我が師匠の言葉を借りると『イワナ起こしの雨』と成ってくれれば有り難いなと考えながら険しい退渓路に向かいました。



閑話休題  地元に伝わる昔話
大昔の話ですが八ケ岳が活火山の頃のお話です。その頃は富士山も活火山で煙をはいておりました。富士山の神様は木花咲耶姫(このはなさくやひめ)と言い、八ケ岳の神様は磐長姫(いわながひめ)と言います。2人の神様は互いに一番背が高いと言っておりました。そんなある日の事ですが富士山の神様が八ケ岳の神様に向かい『わたしのほうがあなたより高いのよ』と言い八ケ岳の神様は『わたしのほうが高いわよ』と口論に成り、やがては喧嘩に成ってしまいました。 それを見かねていた如来様が喧嘩をいいかげんやめさせようと思い『水裁判をしてやろう』との事になり、八ケ岳の峰から富士山の峰まで長い樋を掛けて、そこに水を流したそうです。 すると、水は八ケ岳から富士山へと流れて八ケ岳のほうが高いという事に決まったのです。 ところがプライドの高い富士山の神様はこの結果にはどうしても承知ができなく、怒ってしまって思わず八ケ岳を蹴飛ばしてしまいました。 すると天地も揺らぐほどに大音響と共に八ケ岳は8つに裂けてしまいました。其の事で八ケ岳は現在の形となり、富士山よりも低くなってしまったのでした。
                     終わり

通説での木花咲耶姫と磐長姫
古事記には木花咲耶姫は磐長姫の妹であり姉思いだった印象があります。2人とも大山津見神(おおやまつみのかみ)の娘で天孫降臨で有名な瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に2人とも嫁入り致しました。瓊瓊杵尊は美しい木花咲耶姫のみを迎え、醜い磐長姫を大山積見神の元に帰したとされております。大山津見神は怒り、木花咲耶姫と一緒に磐長姫を差し上げたのは天孫が岩のように永遠のものとなる為である。木花咲耶姫を差し上げたのは天孫が花のように繁栄するようにと誓約(ウケイ)を立てたからであることを伝え、磐長姫を送り返したことで天孫の寿命が人間と同じで短くなるだろうと告げたとされております。現在磐長姫は日本の多くの山の守り神とされております。長野県で言うと天明3年に大噴火した浅間山もそうです。不思議な事にマタギの間で山神様は醜女とされておりますのも何かの繋がりがあるのでしょうか? 話は戻りますが木花咲耶姫は海幸彦と山幸彦を産み海幸彦と海神の娘である豊玉姫が結婚し、豊玉姫ウガヤフキアエズノミコトを産み、ウガヤフキアエズノミコトの子供が神武天皇です。因みに山幸彦は海幸彦を助けて隼人族の始祖となったと伝わります。

千曲川 イワナ釣り 今期初の尺物

本日は今年初めての杣添川中流部入渓てす。中流部と言っても千ヶ滝に近く雪がかなり残っております。先週の大石川上流部は凍える様な寒さでしたが今週は格段に温かく感じます。現在はボサが枯れて進み易く成りましたが此の川の中流部に入る道のりは距離も有るし段差も有るしで大変です。大学生の頃に合流店から千ヶ滝まで1日かけて釣り上がろうとしましたが雨が降って途中でメゲてしまいました。退渓の為に道路まで戻る過程で入渓点を見つけた事がキッカケで其れ以来利用している次第です。因みに合流点から最初の二連堰堤は国道から見ると大きなショベルカーが入っており絶賛工事中でしたが、中流部は現在も昔のままで石が生きており、有り難い事にシーズン中に何度か尺上も顔を出してくれます。同じく千曲川に注ぐ小規模河川が近くに2〜3本流れており以前と比べたら魚影は格段に薄く成りましたが確実に魚は自然繁殖しております。釣れる魚体も綺麗でヒレ丸の養殖魚嫌いな我々には有り難い釣り場です。

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シャーベット状態の残雪をシャリシャリ進むと先週より温かいとはいえ川はまだ冬の様相です。何気ない深みに仕掛けを投入して沈み岩の前で止めると押さえ込む様なアタリが出ました。今は食い込みが浅いので一呼吸おいて合わせると結構なトルクです。何回かの引き込みを凌ぎタモ入れしたのは今期初の尺イワナでした。

千曲川竜神様に手を合わせて御礼申し上げました。
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ワイルドな顔をつきです。
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次は食べ頃サイズが顔を出しました。
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尾鰭の赤い縁取りが綺麗です。
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此の後はしばらくシシャモサイズに御出迎えして貰いました。シシャモを10匹以上リリースをした後に深場に岩が沈んだ絶好ポイントが巡ってまいりました。此処でも沈み岩の前で止めてみるとグッと押さえ込むアタリです! すっぽ抜けない様に一呼吸置いて強めに合わせました。大暴れの末に本日2匹目の尺イワナがタモにおさまりました。千曲川竜神様には幸運を2度も運んで貰い、姿勢を正して謹んで拝礼した次第です。

暴れて楽しませてくれました。
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でも少し細いかな〜!
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自己制限引数には達しておりませんが、もう満足の釣果で退渓路に向かいました。

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沢山のシシャモサイズが川に居ると言う事は先々を思うと楽しみな事だと思います。今回少し発見がございました! 遡行の最中に尺物が釣れた場所に2匹めを狙って探っておりました。ところが恐らくですが水中の小枝か何かに仕掛けが絡み、其れを取ろうと近づいて靴でゴソゴソやっていたら針外しがビンオンリールごと水中に落下致しました。意を決して裾を肩くらいまで腕まくりして探りました。結論的に発見出来たのですが、なんと下の方は他より水が温く感じました。恐らく湧水だと思いますが尺物は此の場所で冬を過ごした物だと思われます。自然河川というのは本当に凄いと改めて実感しました。

2021年 千曲川解禁釣行 『個人的』

日曜日はのっ引きならない用事が有り、更科の母のところに向かいました。途中に当たり前ですけど千曲川が流れております.....。色々思う処ございましたが出会うのは狸と鹿だけなので本年度初めての釣行をする事と致しました。土曜日のうちにエサを仕入れて、朝ご飯と昼ご飯のお弁当と水筒を準備致しました。

現地に到着し用意した塩と御神酒を供えて山と川の神様にお詣り致しました。内容は『昨年は御世話になり大変有難うごさいました。今年もお邪魔致しますが何卒宜しくお願い致します。』です。車中でお弁当を頂き熱いお茶を飲んで出発致しました。昨年末は大きな台風が来ませんでしたので渓相もあんまり変わってはおりません。

車の温度計はなんとマイナス8度です!
標高1000m程の山間部は凍える様な寒さですが、雪は思った程多くはありませんでした。
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川には所々氷が張っております。
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水量は解禁特有の少なさです。
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ヘビー級おもりで沈めると小気味良い引き込みで今季初物が釣れてまいりました。
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落ち込みの下にフトコロがあるポイントの石前で良く食いました。
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コレもフトコロに沈み石があるポイントで食いました。
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なんて事ない落ち込みで骨の有るヤツが食いました。黄金色に輝いて美しいイワナでした。
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生意気そうな顔しております。
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自己制限引数の5匹に達したので納竿です。
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解禁特有の放射冷却はキツかったですが、本当に久しぶりに楽しませて貰いました。もうじき山でもフキノトウが出ますのでフキ味噌を焼いたイワナのお腹に入れ、其れを肴にして熱燗をキュッと煽る最高の瞬間が待ち遠しいです。千曲川龍神様、本日も楽しませて貰い有難うございました!

運命の一刀

先日の雨の時に撮影した梅の花です。
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今日は友人が昨年秋に購入した刀についての話です。刀は使用目的で使われていた時代においては拵(こしらえ)に入った状態で帯びるものでした。ただ刀は地球全体の3分1の重さを占める鉄で出来ておりますので何もしなかったら錆びてしまいます。錆は鉄が酸化した事を指しますが、元々地球上には酸化した状態で存在しておりますので元に戻ろうとしているだけなのです。だからと言って士族の刀身が錆びたら困るので錆びさせない為に刀身に油を塗布して保護致します。刀の鞘は木材で制作されており表面を漆で何層にも手間を掛けて塗り固めております。刀を錆びさせない為に塗る油が長い間に木の中に染み込み、せっかく職人さんが綺麗に塗った漆の皮膜を押し上げてしまうのです。それ故に家で保管する場合には漆塗りを施されていない朴の木のみで作られた無垢材の鞘に入れておきます。此の無垢在の鞘の事を『白鞘』または『休め鞘』と言います。お米で練った続飯(ソクイ)と言う糊で貼り合わされており、中が埃や油で汚れると割って中を掻き直す事が出来ます。しかし白鞘では強度が低すぎて打ち込むと柄が直ぐ割れてしまいますので使用時には拵えに入れて外出するのです。

前置きが長くなりましたが本題に入ります! 実は数日前に私の昔からの友人が来たのです。この友人の御先祖さまは大坂夏の陣で西軍に付いて武運拙く敗れ去り、その後は八丈島に流された有名な戦国大名なのです。私も其の事を友人から聞いた時は本当に驚きました! そして更に友人のお爺ちゃんは鎌倉初期から続く鬼王丸を祖とした出羽国月山鍛冶の流れをくむ名工である源貞弘さんなのです。昭和14年に月山貞勝刀匠に入門し、月山貞一刀匠と一緒に技を磨きました。師匠である貞勝刀匠の貞の字を賜って貞弘と名乗りました。昭和18年海軍省御用刀匠となり、多くの賞を受賞して昭和46年には奈良県無形文化財に認定された程の刀匠なのです。どんな伝法もこなしますが特に相州伝が得意で相州上工の写し物には名品が多いのです。友人から家にお爺ちゃんの刀が無いから欲しいと言われ、良い物が出るまでじっと待って昨年やっと出物が有って購入したのです。刀を購入して始めての冬なので白鞘が乾燥期にキュッと締まり、刀が抜けなくなる体験をしておらず、ご多分に漏れず刀が抜けなくなって困りはてて私に相談して来たのです。コツさえ分かれば抜けますので確りと教え、ついでに手入れの仕方や鑑賞の仕方も丁寧に伝えた次第です。

安卓貞宗(あたきさだむね)写し 源貞弘
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『写し物』とは昔の名物刀剣を現代の刀匠が写して造る刀剣の事です。刀身には棒樋に添樋を掻き、下には梵字、素剣の彫物が有ります。安宅貞宗の本歌(本物の事)は享保名物にも載る名品中の名品ですが、残念な事に明暦3年の大火で焼失してしまいました。

越前康継の安宅貞宗写し。
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表の茎に二つ胴落...と裁断銘が有りますので罪人の死体を二つ重ねて裁断したと言う稀有な切味を示した刀だと思われます。現在残っているものは幕府御用鍛冶を担った越前康継作刀の写し物か『本阿弥光柴押形』や『本阿弥光温刀譜』しか残されておりません。従って貞弘刀匠は写真と押型と口伝のみで写した事になります。更に此の刀は表裏で造り込みが違い、移すのは非常にに難しい一刀だと思われますが、これ程忠実に安卓貞宗を写した刀匠は今迄居ないのでは無いかと思われる品だと思います。

写真は表の刃区と棟区ですが、拡大して地鉄を見ると、小板目のよく錬れた地鉄である事が分かると思います。
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地沸が微塵に厚くついて、太い地景が入ります。刃文はのたれに互の目、互の目足入り、匂口は深く細かい沸がついております。写真ではお伝えし難いのですが刃中に太い金筋が入り、砂流しかかって刃縁は冴えております。

表の鋒です。
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表の刃文と地鐵です。
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裏は切刃造と成ってます。
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此方の彫物は二筋樋、下に梵字、蓮台、鍬形、素剣を重ねております。表裏の造り込みが違う(表裏で鉄の厚さが違う)刀をどの様に均一に赤めて焼き入れを施せるのか?など考えていると正直気が遠くなる様な作刀だったと思われます。

珍しい切刃造の鋒です。
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切刃造は見慣れて無いので新鮮です。
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茎の金象嵌
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彫物も立派。写真を撮り忘れておりましたが作者の銘は茎棟に切ってあります。
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キツく締まった白鞘を何とか抜き放ち、写真を撮影した後に手入れを行って鞘に納めて完了致しました。秀家公の系譜を持つ友人の祖父が鍛え上げた一刀を代を経て持ち主を変え今は孫が持つ....と言うの事は感慨深いものがございました。手入れを終えて白鞘袋の紐を閉めてから両手で仰ぎ、此の刀が友人の行く末を切り開き、武運をもたらす事を切に願った次第でございます。

枯れ木に花を咲かせた職人の知恵

梅が良い香気を発して綺麗に咲いております。もう少し季節が進むと桜の季節ですね。昨年のお花見は緊急事態宣言中で自粛しておりましたので車から眺めるだけでした。桜吹雪のもとでの桜酒は格別ですが、今年はどうなる事かまだ先が見えません。

そんな中で素敵な買い物を致しました。陶磁器の町岐阜県多治見市に在る『丸モ高木陶器店』さんが売り出している『冷感桜』と言う白平器です。多治見市は1300年以上も継続する美濃焼の一大産地です。この杯は友人から教えて貰い、商品説明を見て即一目惚れしてしまい購入致しました。

通常だと白地に枯木の絵が施されているだけです。大きめな杯でコレだけでも私はけっこう好きなデザインです。
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此処に冷たい冷酒を注ぐとアラ不思議!枯れ木に桜が満開になりました。
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正確には17°以下のお酒を注ぐと満開の淡いピンクの桜が咲く仕掛けです。どの様な釉薬を使っているのかは分かりませんが、何とも言えず雅な仕掛けです。満開の桜が咲く杯を飲み干すと暖房の効いた部屋では直ぐに桜が散り、再度杯に冷酒を注ぐと満開になります。買ったばかりの時は桜が浮き出るのが楽しくて飲み過ぎちゃいました。流石歴史の在る美濃焼の本場だと思います。

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刀の姿なども時代における戦の様式を反映して姿が変わって来た様に優れた日本の職人さんがコロナ禍の時代に合わせて生み出した逸品だと思います。この様に今までも時代に合わせて新しい物が生まれて来たと考えると実に感慨深いモノがごさいました。因みに今晩の晩酌もすすんでしまいました!

梅の花と悪戯の記憶

私の住んでいる町田市は都心と比べて気温が低いのですが、春の訪れを告げる梅の花が可愛いつぼみを沢山こさえております。気の早いものは見事に開く花弁も観察出来る様になりました。母が一人で住んでいる更科では1ヶ月弱程後にこの様な状態になりますから今更ながら此方は暖かいのだと思います。

我が家では春に飾る梅と鶯の図です。
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鶯さんの鋭い目つきが凄く一転を見据えております。
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本日は祖母が残した品を紹介する事と子供の頃に私がやらかしたとんでも無い事について綴ってみようと思います。祖母は茶道の嗜みがあり、着物姿でオレンジ色の帛紗を付けてお茶を点てている姿が格好良く見えた事を今でも覚えております。やさしい祖母はお菓子を何時も初孫である私に一つ多く買ってきてくれました。後から母に聞いたのですが、更科から東京の大学に進学する時も経済的に多くの援助をしてくれたと後から知りました。ところが幼少の頃の事ですが、お馬鹿の私は祖母の趣味の道具を壊した事があったのです。お茶を棗から取り出す道具に茶杓と言われる物がごさいます。私には孫の手の小さな物にしか見えませんでした。祖母が畑に行っている時に私は祖母の部屋に入り遊んでおりました。そんな最中に背中の真ん中辺りが汗をかいて痒くなったので丁度よいと竹の筒から祖母の茶杓を取り出してボリボリ背中を掻きました。一番痒いところに届かなく力を入れた時に『メシッ』と音がしました。正直いま想像しても我が事ながら下品過ぎて冷や汗が出ます! お婆あちゃんに後で謝ると『よく正直に言ったね...でもお婆あちゃんの大事な友達の口に入る物に触れる物だから汚しちゃダメだよ!』と嗜められました。当たり前の事ですが、その後で10倍ほど母と父に叱られました。母が祖母に愚息の不始末を詫びておりました光景を見て、子供心に猛烈に反省した事を覚えております(ア〜下品!)。

祖母が社会人2年目の時に他界し、祖母の品々は父が受け継ぎ、父が他界した後は私が受け継ぎました。祖母の茶道具は沢山ありますが下の娘が短大の授業で茶道を行うとの事で棗と茶碗だけ此方の家に持って来ている次第です。

拭き漆梅花紋蒔絵棗
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金と銀で梅の蕾と花をあしらっております。細い雄蕊まで高蒔絵で表現しているのが気に入っております。拭き漆地と梅の花が祖母が好みそうな図柄であると思います。
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刀の鞘の塗りを行う塗師が角の蒔絵は難しいと言っておりました。
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工芸師の技術だと思いますが、どうやってこの様に欅の木目を合わせるのでしょうか?
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普段はこんな桐箱で補完しております。
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鼠志野茶碗
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裏です。
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斜め上からです。
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箱書きですが銘が無学な私には読めません。
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此方もこんな箱で保管しております
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鼠志野は志野焼の一種ですが雪溶けの更科の春を連想させます。雪が溶けて土がまだらに顔を出す光景そのものであり、祖母も其の辺りを気に入ったものだったかは今となっては計りかねますが、私も好みの焼き物です。雪が溶け始め、梅の花が咲き出す....季節的には正に今でしたので取り出して鑑賞しておりました。同時に昔の恥ずかしい思い出に浸って祖母を偲んでおりました次第です。