『薫風』とは山間を吹き抜け、生命の息吹である新緑の香気を含んで吹き降る心地よい風を讃えた美しい言葉ですが、今の木曽は正に其の薫風が吹き抜けております。
大型連休後半は諸事情に追われて釣りが出来ませんでした。そんな理由てございまして、場荒れは覚悟の上で木曽川に向かった次第です。
木曽の山々は山吹が咲き乱れて黄金色となり眩いばかりです。
大型連休には我が更科でも気温が30度を大きく超える夏日がございました。山菜の育ちも何故か大分早い気がしますので、きっと愛しの渓魚達も瀬に出ているだろうと思っての釣行でした。
思惑とは逆に気温3℃の寒い朝を迎え、夜明けと同時に八沢川の本流合流地点から釣り遡りました。写真は橋の上から撮影したモノです。中央に見える橋は行人橋と言って直下の荒瀬はアマゴの好ポイントです。携帯を車に忘れて近くから撮影出来ませんでしたが、今回も気持ち良く9寸イワナが釣れてくれました。
見え難いですが一番奥に川の真ん中に鎮座している大石が有ります。其の裏で本日一番の大物を痛恨のラインブレイクで逃してしまいました。
連休明けに此れだけ釣れれば良しと致しました。
魚の処理を終えた後に空腹を覚えたので道の駅木曽福島の朝ごはんバイキングに向かいました。とりわけ特筆した惣菜では有りませんが、職員の皆さまの親切さと心のこもった対応が魅力です。
ご飯大盛りで失礼しております。メニューは茹でウインナー、厚焼き卵、牛蒡サラダ、キャベツとレタスのサラダ、クラゲと昆布の佃煮、フルーツヨーグルトとりんごベースト、納豆、ご飯と味噌汁です。大満足でした。
此の時点で9時30分だったので、釣友が入った事が無いと言っていた山村代官屋敷跡にまいりました。山村家は江戸時代を通じて木曽谷の支配と福島関所の関守を行っていた一族です。木曽の領主であった木曾義昌は武田を裏切り織田側に寝返って領国を安堵されました。やがて徳川の時代となり、家康公から下総国の阿知戸(千葉県旭市)に1万石が与えられ転封となったのです。その代わりに『代わって治る官職』が代官となります。
此方は入り口です。
往時は広大な屋敷を構えていた事が分かる資料です。絵図面からも広大な屋敷が伺えます。
第9代木曽代官の山村良由公(蘇門)の座像写真です。立湧紋様の狩衣を纏っておられますね。立湧紋様とは水蒸気が立ち上がる様を表した紋様であり、雲気(水蒸気)が立ち上がる状態を見立てた高貴な文様です。此の像は行方不明になっているみたいです。
愛刀家の端くれを称する私が一番驚いたのは此方です。
名も知れない地方刀工は沢山居りますが、木曽にもいらっしゃった記録です。なぜ刀工に其処まで拘るのかと言うと、刀は其の土地の砂鉄で鍛えられ、其の土地の水で焼き入れをされるからなのです。愛刀家が郷土の刀剣に拘るのは其の様な意味がございます。刀工銘は橘久一と言います。名工であった尾崎助隆の門人にも橘久一と言う刀工がおりますが同一人物かどうかは分かりません。何れにしても嬉しい発見でした。
釣友達と宿に宿泊し、2日目の朝は簡単に長靴履きで支流での釣りです。此方も大型連休で場荒れしておりましたが、竿抜けポイント(一般の釣り師が釣らないポイント)を攻めるとボツボツと釣れてまいりました。
今回も木曽川の龍神さまからの授かり物を沢山頂きました。有り難い限りです。宿で朝食を済まし、木祖村の諏訪神社に参拝して帰る事と致しました。
鳥居が新しくなっておりました。見事な明神鳥居です。
村の有形文化財に指定されている本殿です。
参拝する場所の軒下には何と松ぼっくりで制作された大蛇(オロチ)が睨みを利かせております。見事な造り込みで迫力が有ります。
大蛇の全景です。
恐らくは氏子の方が奉納された物だとは思いますが、実に見事な造りなのです。
木祖の諏訪神社は、とても綺麗で荘厳な神社です。神域の手入れも時間をかけて丁寧に行われているのが良く分かります。今回も木曽の精霊に感謝して帰路に着いた次第です。