私の住んでいる町田市は都心と比べて気温が低いのですが、春の訪れを告げる梅の花が可愛いつぼみを沢山こさえております。気の早いものは見事に開く花弁も観察出来る様になりました。母が一人で住んでいる更科では1ヶ月弱程後にこの様な状態になりますから今更ながら此方は暖かいのだと思います。
我が家では春に飾る梅と鶯の図です。
鶯さんの鋭い目つきが凄く一転を見据えております。
本日は祖母が残した品を紹介する事と子供の頃に私がやらかしたとんでも無い事について綴ってみようと思います。祖母は茶道の嗜みがあり、着物姿でオレンジ色の帛紗を付けてお茶を点てている姿が格好良く見えた事を今でも覚えております。やさしい祖母はお菓子を何時も初孫である私に一つ多く買ってきてくれました。後から母に聞いたのですが、更科から東京の大学に進学する時も経済的に多くの援助をしてくれたと後から知りました。ところが幼少の頃の事ですが、お馬鹿の私は祖母の趣味の道具を壊した事があったのです。お茶を棗から取り出す道具に茶杓と言われる物がごさいます。私には孫の手の小さな物にしか見えませんでした。祖母が畑に行っている時に私は祖母の部屋に入り遊んでおりました。そんな最中に背中の真ん中辺りが汗をかいて痒くなったので丁度よいと竹の筒から祖母の茶杓を取り出してボリボリ背中を掻きました。一番痒いところに届かなく力を入れた時に『メシッ』と音がしました。正直いま想像しても我が事ながら下品過ぎて冷や汗が出ます! お婆あちゃんに後で謝ると『よく正直に言ったね...でもお婆あちゃんの大事な友達の口に入る物に触れる物だから汚しちゃダメだよ!』と嗜められました。当たり前の事ですが、その後で10倍ほど母と父に叱られました。母が祖母に愚息の不始末を詫びておりました光景を見て、子供心に猛烈に反省した事を覚えております(ア〜下品!)。
祖母が社会人2年目の時に他界し、祖母の品々は父が受け継ぎ、父が他界した後は私が受け継ぎました。祖母の茶道具は沢山ありますが下の娘が短大の授業で茶道を行うとの事で棗と茶碗だけ此方の家に持って来ている次第です。
拭き漆梅花紋蒔絵棗
金と銀で梅の蕾と花をあしらっております。細い雄蕊まで高蒔絵で表現しているのが気に入っております。拭き漆地と梅の花が祖母が好みそうな図柄であると思います。
刀の鞘の塗りを行う塗師が角の蒔絵は難しいと言っておりました。
工芸師の技術だと思いますが、どうやってこの様に欅の木目を合わせるのでしょうか?
普段はこんな桐箱で補完しております。
鼠志野茶碗
裏です。
斜め上からです。
箱書きですが銘が無学な私には読めません。
此方もこんな箱で保管しております
鼠志野は志野焼の一種ですが雪溶けの更科の春を連想させます。雪が溶けて土がまだらに顔を出す光景そのものであり、祖母も其の辺りを気に入ったものだったかは今となっては計りかねますが、私も好みの焼き物です。雪が溶け始め、梅の花が咲き出す....季節的には正に今でしたので取り出して鑑賞しておりました。同時に昔の恥ずかしい思い出に浸って祖母を偲んでおりました次第です。