都をでた小笠原長秀は一族の大井光矩の元を訪れ、信濃統治の話し合いを行いました。また特別に有力国人である北信濃の村上満信には使者を送りました。そうして小笠原長秀は応永七年(1400年)の八月に信濃国府の後庁である善光寺に政務を行う為に入ったのです…
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