みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

亡き父の記憶

春は三寒四温と言いますが、其の通りの気候となっております。日中は半袖でも良いくらいの暖かい日が続いたかと思うと、一転して冷たい雨が降りますが『虫出しの雷』は未だ到来してません。正に啓蟄の時期ですね!

此の時期になりますと、我が家の手狭な庭にも次々と小さな新芽が出てまいります。残しますと、後が面倒なので今の内にと、むしっておりましたら、久しぶりに『お隣さん』と出会い、お話をさせて頂きました。

年末以来でしたので長話しとなりました。話の終わりがけに『奥さんに供えてあげて....』と、庭の薔薇を頂戴致しました。とても色鮮やか薔薇でして、丁重に御礼申し上げた次第です。

我が家の花々と合わせ、さっそく花器に生けようと、物置からアレコレ選んでおりましたら、奥の方から以前よく使った備前焼の花器が出てまいりました。f:id:rcenci:20260307123006j:image

華道を嗜む母から、花と花器は陰陽で選びなさいと言われておりましたので、土その物のような備前焼は派手な薔薇にピッタリです。『陰陽』を例えますと、黄色の花なら反対色の紺.青.紫とか、派手な花と地味な花器などの組み合わせなどを言います。逆に花器自体が派手ならば、花は白とか緑が多い葉ものを生けるそうです。

もっと言いますと、生ける花にも陰陽をつけるらしいのですが、粗暴な私めには到底無理であります。早速水切りして花器に生け、仏壇に供えさせて頂きました。花好きな妻も喜んでいたと思います。

思い起こしますと、子供の頃から馴染みの有る此の備前焼は我が父が最も好んだ焼物でした。

選んだ花器は此方になります。此の焼物には、桟切(さんぎり)と言う備前焼独特の『窯変』が出ております。窯変とは文字通り穴窯の中の状態によって変化する模様の事です。お土産用の品は電気窯やガス窯で焼かれたものです。f:id:rcenci:20260307123042j:image

花器の下方に黒い部分が見えると思います。桟切の『桟』とは窯の壁の事でありまして、其処に火力の強い赤松の割木を燃やした灰が降り積もります。灰が積もった部分には火が直接当たらず、周囲と比べて青黒く窯変し、趣味人に古雅を感じさせる良い景色となるのです。

他にも胡麻、緋襷、牡丹餅など様々な窯変が有り、二つと同じモノは無いのも備前焼の魅力です。父は此の土と火と赤松の割り木で造られた素朴な焼物を特に好んでおりました。今でも実家には父が蒐集した多くの作品が残されております。

私が前に百貨店の展示会で衝動買いした備前焼酒器揃いです。備前焼は表面を濡らすと一層良さが引き立ちますが、今回は敢えて其のままで撮影致しました。f:id:rcenci:20260307123055j:image

徳利には口の周辺や肩などに、降り注いだ灰が高熱で溶けて自然釉となった胡麻窯変が伺えます。ぐい呑の方は胡麻と桟切が入り混じった窯変が広範囲に出ており、本来の土肌が丸く2つほど可愛く伺えます。

実際に窯焚きの行程は10日〜長いと2週間ほどかけて行うそうです。其の壮絶な行程を思い描がくと、居住まいを正して酒を頂けると父は私に話しておりました。

対して母は北陸の石川県で焼かれた九谷焼の青手が好きなのです。九谷の青手とは、鮮やかな青や緑が発色している美しい磁器の焼物です。此の好みは祖父も祖母も同様でした。

石川県指定文化財の青手桜花散文平鉢です。県立美術館蔵f:id:rcenci:20260307123117j:image

しかし、我が父だけは派手な釉薬が使われたモノを余り好まなかったのです。また、陶石から造る磁器より、土の味が滲み出すような陶器の方を特に好みました。最近は其の気持ちが分かってまいりました。

其の様な偏屈者の座右の銘が、彫り込まれている品が実家の小座敷(三座敷の中で一番手前の間)の鴨居に掛けてあります。

其れは此方です。此の額は父のもとで能を学んでいた書家の方が、日頃から父が説いていた事を自ら揮毫し、知り合いの彫り師に頼んだものです。

書体は草書体の為、とても分かり難いと思いますが、『不如学』と書いて有り、読み方は『まなぶにしかず』となります。『不如学』とは論語の一節を集約したモノと父から教えて貰いました。お弟子さんから聞くまで父も知らなかったと話しておりました。f:id:rcenci:20260307124942j:image

原文は『子曰 吾嘗終日不食 終夜不寝 以思 無益 不如学也』となります。論語自体が孔子の教えを弟子たちが後に書いたモノですから、冒頭は子(し)曰(いわく)から始まっております。

内容を話しますと、浅慮の下で色々思いを巡らせ、アレコレ思い悩むより、いっその事、古の歴史に学び、偉人の教えや教訓を学んだ方が早いと言う意味になります。f:id:rcenci:20260307122654j:image

もっと噛み砕いて話しますと、『独りよがりは時として悪い方に傾いてしまう。一人思い悩んでいても何も解決しない。其の悩む時間を昔の偉人が選んだ道や、故人が命を賭して残した教訓などを学んだ方が結論的に早いし良いではないか』と言う内容です。

父から此の意味を教えて貰った時は、私が高校2年の高校総体を前に腰を酷く痛め、選考を断念するしか無く、クヨクヨしていた時期でした。父なりに息子には、監督に指導してもらった通り、来年に備えて今出来る事を確りとやりなさいと言ったつもりだったかも知れません。f:id:rcenci:20260307125154j:image

やっと其の事を理解したのは、15年以上後になってからの事でした。勝負に負けたり、挫折したりして、クヨクヨしていても仕方ないだろ!今の状態でも出来る事を確りと識者から学び、ひたすら前向きに挑戦しなさいと言う父の教えは、今の年齢に成りましても、私の根底に有る考え方となっております。

父は、刀剣商で剣術と槍術の免許皆伝であった祖父の影響も有り、小さい頃から剣に打ち込みました。三十歳を少し過ぎた頃、近くに有る中学校の剣道部の監督を請われて引き受けたのです。f:id:rcenci:20260307125202j:image

数年後、其の剣道部は全国大会で長年活躍する迄に至り、後に北信越地域でも屈指の錬士(段位が六段以上)を多く産み出したそうです。不思議だったのが、同時に郷土史研究家しての顔を持ち、更に観世流能楽師範として一門を率いていた事です。 

父が『不如学』を体現していたのは子の立場から見ても明らかでした。能楽には『謡曲十徳』と言う言葉が有ります。史実を基に世阿弥が残した楽曲を学ぶだけで様々な歴史的な素養が自然に身に付くと言う意味となります。f:id:rcenci:20260307125919j:image

後に我が子孫達に良いと捉えられるか、悪い捉えられるかは別と致しまして、以後も父の教えを確りと我が娘達に受け継いで行きたいと考えている次第です。取り止めも無い話で大変失礼致しました。