今回は修那羅大天武を祀る安宮神社鎮守の杜の石神.石仏郡の中から数柱を御案内させて頂きます。石神さまと石仏さまは、其々思いが封じ込められたものですので、作法に従った拝礼の後に撮影させて頂いております。安心して御覧下さい。
案内板です。
私は若い頃から大天武や修験道其のモノに強く惹かれておりますが、石神.石仏は何方かと言うと二の次でした。しかし、大天武は礼金を一切受け取らない為、御礼代わりに信者が収めたものが石神.石仏なのです。返礼金以外なら、御礼にニ碗の食事とか、珍しい話では餅を二斗も食い溜めされたとか様々な伝承もございます。
此処数年は逆に石神.石仏を仔細に見る事で、天武が成し得た修法の内容を朧げなから想像する事を年に一度の長期休暇期間の楽しみとしております。
尚、『大天武一代記』と『石の心修那羅の石仏』及び『修那羅の石神仏 庶民信仰の奇跡』を参照させて頂いておりますが、私の把握させて頂いているものは数少なく、後は経年による風化も有りますが、全く持って未だに不明なものばかりです。
此方は猫神大明神さまです。私にとって唐猫は馴染みの有る存在です。
大天武一代記での挿絵です。
修那羅峠を降った所に位置する坂城町に昔は鼠宿と言う宿場町が存在し、現在も鼠と言う名を冠した信号が残ります。更に坂城町から千曲川を長野市の入り口まで下ったところには、軻良根古神社(からねこじんじゃ)が鎮座しております。此の鼠と唐猫(軻良根古)は、土地に古くからある伝承の中に出てくる生き物です。
簡略に其の民話を話しますと、此の地域には、かつて千曲川が流れ込む岩山に囲まれた巨大な自然湖が有ったと言います。
此の地図で見ると半過(はんが)と言う地域に有る半過岩鼻(真ん中下)から、千曲川の向こうの和合城跡(左上の方)の右に有る塩尻岩鼻(地図には未記載)までは岩山で遮られていたと言います。千曲川の水量を思うと、伝説の自然湖は満々と水を湛えていた事だろうと思います。
※ 以下民話簡略版
昔々、地域に大きな白鼠が居り、一族を引き連れて畑を荒らすなどの悪さをしておりました。村人達は困り果て、唐の国から来ていた大猫を連れて来て退治させようと致しました。唐猫は直ぐに鼠を追い立て噛みつきました。唐猫に齧られた白鼠は苦し紛れに湖を囲っている岩山に齧り付き崩したのです。湖の水は勢い良く下流に流れ出しました。齧った鼠も唐猫も怒涛の様に溢れ出した水流に流されてしまいました。
半過岩鼻です。此の穴が白鼠が齧った跡だと伝わります。ホンマかいな?と思って居らっしゃる方も多いと思いますが、民話の話なのでお許し下さい。しかし民間伝承にこそ隠された真実が有る事も事実ですね。
塩尻岩鼻です。岩山の断面は本当に割れたようです。
唐猫は大分下流まで流されて死んでしまいました。そんな不憫な唐猫を祀った社が軻良根古神社(からねこじんじゃ)となります。往時の人々は白鼠も哀れに思ったのか、後世の地名に鼠の名を残しました。
此方の石仏は不動明王さまです。あらゆる煩悩や悪を滅ぼして正しい道に導く守護神ですね。不動明王は降三世明王と共に大日如来の脇に鎮座されている明王さまです。
後ろの炎は迦楼羅焔(かるらえん)と言いますが、実に精巧で見事な彫りに感じます。形は違えども不動明王の石仏は数基鎮座されております。不動明王は昔から人気ですね。
此方は何故か鉞(まさかり)を持っている石神さまです。向かって左には『ニ三歳 女末』とあります。意味は色々な推察が出来ますが、恐らく『女末』は『当て字』です。学生時代の講義で、昭和24年に『当用漢字字体表』が告示される迄『当て字』は当たり前に使われていたと聞いた記憶があります。
私には『私は23歳の女性だけど良い人を待ってるよ〜』との意味に感じます。23歳と言えば、今の社会人2年目と同じ年齢ですね。江戸時代の様々な書籍を読みますと、女性は18歳〜20歳迄が最も結婚適齢期とされており、23歳は『行き遅れ』となるそうです。ただ、ご理解頂きたいのは家格を重んじた江戸時代の婚姻とは、現在の様な簡単なモノでは無かったのです。
大天武一代記には、鉞(まさかり)を古い呼称で『ヨキ』と呼ぶとあります。従って『良き出会い』の事であろうと書いてあります。つまり此の石神さまは良縁の神さまではないかと考察されております。
素朴な疑問ですが、行き遅れた女性に対する祈祷は、どの様なモノなのか....貧乏神でも追い出すのでしょうか....興味は尽きません。しかし、親が娘を思う気持ちが良く伝わる石神さまだと思います。
此方は足体大神さまと一代記にあります。上まぶたと下まぶたが膨らんで彫られており、強く目を瞑って辛さを耐えている印象です。よく見ると両膝の辺りに瘤(こぶ)が有ります。髪の毛が長く、恐らくは女性だと推察致します。
一代記には膝に有る瘤の痛みが顔の歪みの原因だと考察されております。関節リウマチの症状が丁度此の様な状態になりますので、其の患者さんが大天武の祈祷により、全快されたのではないかと思います。また、現代の信者の方が其の瘤の上に5円玉を数枚紐で通したものを掛けており、明らかに病気癒ゆの願掛けをされておりますね。此の写真の撮影時には、名も知らぬ其の方の御回復を祈念致しました。
以下のモノは軽く解説致しますが、あくまで推察となります。どうか由来を御想像頂けると幸いです。
着物の袂が長い事が印象的な武神です。戦用の胴丸を付けております。長い剣をお持ちです。袂(たもと)が長いと、戦いには甚だ不向きだと思うのですが、もしかしましたら、昔から『袂を分かつ』と言う言葉が有りますが、袂を剣で分つ『縁切りの神』なのかも知れません。
此方は石仏さまだと思います。慈愛に満ちた御姿ですね。額の白毫が際立ちます。白毫を持つ時点で如来か菩薩です。帝釈天などの『天』や『軍荼利明王』などの『明王』には付きません。
一粒万倍神は間違いなく豊作の神さまですね。上部に尖った形を用いている理由は、其の神霊の霊格や強い神聖さを表していると言われています。 他所におきまして、同じ様な造りのモノをご覧になられた折は、不用意に近づかない方が無難です。
立派な眉毛で口をカッと開き、歯の並びまで確りと彫り込まれている石神さまです。一般的に言うところの憤怒の表情です。憤怒は怒りよりも一段崇高なモノを指します。
苗鹿大明神(のうかだいみょうじん)さまは、滋賀県大津市苗鹿の神さまです。五穀豊穣のご神徳がございます。
無知な私では解読不能の石神さまですが、『雨』の字が有りますので雨乞いに関する石神さまでしょうか。此方も先端が尖る造りですね。
向かって左にミヤク○アウワコ○○....全く分からない石神さまです。マントの様なモノが有りますので、お地蔵さんかも知れません。お地蔵さんは虚空菩薩の事で有り、小さい頃に亡くなった子供の御霊を救済する神様です。私の勉強が足りず真相は不明です。
人や家に憑く『穢れ』を祓い衆生を救済する大天武に対し、心からの報謝で収めた石神.石仏ですが、其の一つひとつが大天武との交わりの証であり、人々の真心の現れですね。
しかし、そんな大天武でも救済出来ない(穢れを祓えない)人間の特性が一代記にはハッキリと記されておりました。実に恐ろしい事ですが、其の事は次回のシリーズ最終回でご案内致します。
来週に続きます。