家族皆で盆棚を飾り、ご先祖さまをお迎え致しました。
実家の目の前に菩提寺が有り、菩提寺の裏手に我が家のお墓がございます。住所は長野県千曲市(旧更埴市、其の前は更科郡)八幡志川(しがわ)となります。
千曲川源流 川上村のHPより
志川の漢字は宛字ですので意味は有りませんが、地名の由来としては千曲川、佐野川、更科川、宮川と言う四河川が合流する少し前の丘陵地帯である故の呼称だと更科郡史に有りました。
少し脱線致しますが、『更科』の様に全国の地名が漢字二文字となったのは、奈良時代の好字二字令(和銅6年)からです。対して、古くからの地形や行政の都合で一文字の地名も残ります。例えば三重県の『津』などは古来から重要な港なので『港』を表す『津』のままですね。
お盆に飾る山水画の銀屏風です。もう一方の金屏風は相応しい時に出すものだと父に教えられております。昨今では我が娘2人の成人式でした。
妻の位牌の横に有るのは我が家の過去帳になります。2冊重ねて置いてあります。手前にある物は新しい物です。まあ、新しいと言いましても寛永年間からのご先祖さまが記して有りますので、決して新しくは無いですね。後ろの過去帳は更に遡って記されておりますが、字の崩し方が現代とは違う草書体なので解読に苦労致しました。
先祖が残した二代歌川広重による浮世絵版画の一枚です。『東海道 鈴ヶ森』と言う題名です。
此れは、今回の大整理で出て来たものの一つですが、箱書きには曽祖父の名が有りました。何十枚もの作品の間に厚手の和紙を挟み、整然と積み重ねられており、杉材の木箱に納められておりました。更に木箱の上には油紙を何枚か重ね、其の上から和紙で幾重にも梱包され麻紐で十文字に縛ってありました。
父から同じシリーズの浮世絵版画を7枚ほど受け継ぎましたが、今回他の48枚が良い状態で見つかり、早速ご先祖さまに見て欲しく、其のうちの一枚を実家に有った空の額に入れた次第です。
此方は初代の歌川広重ですが、此の方の息子さんが二代広重です。二代広重が絵師として描きあげ、彫師が版木を造り、摺師が版木を使って仕上げます。
以前に広重を学ぶ為に作品集を買い求めて読みましたが、全ての連作作品を蒐集する事は難しいだろうと考えていただけに、素晴らしい遺品が見つかり、本当に嬉しく思いました。
此の浮世絵版画は、文久3年に江戸幕府14代将軍の家茂公の御上洛を描いたものです。『御上洛東海道』と呼ばれている連作で有り、『東海道五十三次』の一部です。二代広重配下の絵師16名が参加し、総数25軒の版元が競って参加して版行された一大連作の一枚なのです。全部で55作品のシリーズですが、此れで全て揃いました。思えば、此の様な数寄者の流れは、確りと私に受け継がれておりました(笑)。
お盆と、2日前に行った大整理を通し思った事ですが、ご先祖さまが残した遺品の其々には、確りと魂が宿っておりました。今回の浮世絵版画集もそうですが、作品に対する強い思いは、保管管理の状況を見ると直ぐに理解できます。
考えてみると、私の趣味は渓流釣り、刀剣類と其れに纏わる小道具類、他に陶器や日本画、更に歴史研究などキリが有りません。
例えば、私が自らの『知りたい』という我欲を満たす為のみに集めた一千冊を優に超える歴史や刀剣に関する書籍などは、我が子達が到底理解出来る代物とは思えないものです。何も無かったらブックオフでの無料引き取りとなり果てましょう。
刀剣類や鉄鍔なども、何年も手入れをしなければ錆が発生し、其のまま放置致しますと、貴重な文化財が朽ち果ててしまい、私が没した後に歴史的遺物を消滅させた大罪人の烙印を押されてしまいます。思えば思うほど、どうしたものかと考えてしまう次第です。
銘の有る正真の古い刀剣や同じく正真の書画などを『持つ』と言う事は、其れ等が歴史的文化財の側面を併せ持つ事を充分に理解し、独善的な心を捨てなければならず、たとえ家伝の資産とはいえ、継承を度外視しても後世に引き継ぐ必要があると痛感した次第です。