みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

綱廣の拵えの考察

幕末あたりの拵えや金具には土地柄や所有者の願いが込められている物が多く、色々読み解けば実に面白いものです。また、古い拵えに入った刀を登録地の観点から考察するのも興味深いものがあります。本日は其の様な一例を御案内させて頂きます。f:id:rcenci:20250524084231j:image

日本に有る全ての刀剣類には登録書が有り、地域の教育委員会に登録されている筈です。綱廣の刀は昭和33年に『静岡県』で登録されておりました。刀の登録制は昭和26年3月頃から実際に始まりましたので、開始から7年後の登録となります。

小田原で鍛刀していた綱廣から、一番近い静岡県の城下町は沼津市となります。小田原と沼津は伊豆半島の付け根を挟んで左右に有る為に両地域は歴史的にも色々なシーンに出てまいりました。

地図です。本当に付け根の左右なであって、往古から往来が多かったのは容易に想像出来ますね。f:id:rcenci:20250524084248j:image

私の読み通り此の綱廣が11代だと致しましたら、名鑑によれば10代綱廣が没したのが寛政3年で有り、11代綱廣が没したのが享和元年になります。何故に11代と思ったかと言うと、高名な刀剣学者である寒山先生の鞘書きの内容と昭和42年の認定証にも『新々刀』と明記して有ったからです。

其の時期の沼津藩は家康公から仕えていた譜代大名の水野家が治めておりました。対して小田原藩譜代大名である大久保忠真が藩主でした。仮に沼津でなくても駿河遠江、伊豆共に譜代や旗本が治めておりました。

故に小田原と静岡は幕府万歳のお国柄と言う事になります。仮に沼津だとしましたら、同じ東海道に位置しており、小田原宿→箱根宿→三島宿→沼津宿となります。因みに箱根と三島には城下町は有りません。静岡全般と小田原が同じ譜代である事は以後の鍔の意匠に関係してまいります。

此れが綱廣の鍔です。よく鍛えられた鉄地に真鍮象嵌を施しております。四方のハートマークは刀装具によく使われている『猪目透かし』と言われる意匠となります。此の透かしは猪の目を表現しております。日本では古来より猪の目には『魔除け』や『厄除け』の霊力が宿ると考えられておりました。つまり四方を魔除けの眼で睨んでいる凄いデザインなのです。f:id:rcenci:20250526214541j:image

実際には少し微妙ですね!f:id:rcenci:20250524084321j:image

此の鍔の鑑定書に明記されている呼び名は『葵唐草文真鍮象嵌鍔』となります。徳川家は「三つ葉葵」を使い、葵一葉紋は徳川家以外の関連する家々で使わる事が一般的です。其の葵一葉の一族が、まるで大地を覆い尽くす蔦の様に反映して欲しいと言う強い願いが込めらた鍔と言えますね。更に災いから一族を守る為に魔除けの眼で四方睨むと言う強い思念なのです。

さても綱廣を買った藩士はどのような御方だったのか....妄想すると果てしなく深い世界へ誘われてしまいます(笑)。

裏です。裏にも葵の蔦がびっしり巡っておりますね。f:id:rcenci:20250526214556j:image

此の鍔は、鉄地の土台に真鍮を嵌め込み、更に其の真鍮に彫金を施しております。イメージは写真の様な造りです。まず紙に図柄を書き現します。其の構図を基に鍔に鑽で彫り込みを入れます。その後、真鍮を叩いて寸法や長さを調整して嵌め込み、嵌め込んだら鉄地の左右から鉄地を叩いて寄せ確りと固定致します。後は嵌め込まれた材料にタガネで微細な紋様を掘るのです。f:id:rcenci:20250524084356j:image

キリがないので鍔の事は此の位にしておき、次は縁頭のご案内に入ります。縁頭とは柄の左右に位置する『縁』と『頭』の金具の双方を指す呼称となります。

此方は綱廣の柄ですが、左端が縁、右端が頭です。左の縁金物から刀の茎(なかご)を差し込み、煤竹の目釘で柄に固定致します。f:id:rcenci:20250524084420j:image

此方が縁金物の表側です。造りは常より腰が高い造りとなっております。縁起の良い事の象徴である松竹梅図を高彫りし、金の色絵で仕上げております。構図も品が良く、特に松の幹の質感が良く出ておりますね。徳川家は、元々愛知県の松平郷を領していたことから松平氏を名乗っておりましたが、『縁起物』と『松』をかけた作品と思われます。f:id:rcenci:20250524084433j:image

裏側です。是非拡大して見て下さい。電灯の無い時代にタガネ一本だけ使い、0.5mm程の細かい魚々子(ななこ)打ちを一分の乱れも無く規則的に同じ加減で打ち込む業前には驚嘆の声しか出ません。f:id:rcenci:20250524084442j:image

目貫(めぬき)は『みかん』ですが、神君家康公は『みかん』が大好きだったと言われております。まるで東照大権現さまに御供えを行っている様な感じで有り、刀剣が神器で有り、尚且つ武器でも有る事の現れの様な気がします。f:id:rcenci:20250524084449j:image

鎺(はばき)です。恐らくは銅の下地に銀の鍍金(ときん)だと思います。鍍金とはメッキの事を指します。f:id:rcenci:20250524084500j:image

つらつらと取り留めもない話で、大変失礼致しましたが、鍛えられた地域や刀鍛冶を思いながら刀身を鑑賞する事と、幕藩体制時に武士が帯びていたであろう拵えを、其の環境と共に考察しながら刀装具を鑑賞する事は私にとって双方とも楽しい時間です。彼方此方の書籍をひっくり返して答えを模索致しますが、其れもまた楽しがらずやなのです。