みすゞかる 信州の釣り人

体重0.14tの釣り師ですので目立つのが悩みです。 今までは写真を撮って釣行日誌としてましたが今後はブログとして趣味の歴史探索や刀剣も含めて綴ってみます。

朋あり遠方より来る

4年ぶりに他国の古き友に会いました。友人とは34年来の知己です。179cmの長身に筋骨逞しい出立は出逢った頃と変わりません。懐かしい話に花が咲き、酒盃の空く事数え切れず、夜遅くまでお互いに話し込みました。古き友には日本人の血が流れております。

私の大学は亜細亜からの留学生が多く在学しておりました。彼の祖国はチャイナの河南省です。自国における偏見的な歴史を学んだ彼は日本に来ると日本人の高潔な魂に触れて自国の歴史教育の矛盾に気が付きました。

ただ私が強く感じた箇所は其処では無く、彼が民族の誇りを強く持っていた事に他なりません。彼の故郷は古代文明発祥の地であり、仰韶文化が花開いた場所なのです。呉君のおかげて私も少し勉強させて貰いました。

彼はチャイナ伝統的武術である少林拳の修練を子供の頃より積んでおり、其の業前はかなりのモノでした。柔道4段、剣道2段、空手3段、書道初段(笑)で合わせて10段(笑)の私とは必然的に共通の話題が有り、よく大学の柔道場を借りて共に稽古を行ったのです。今から思えば、お互いに学ぶべき要素が多かったのです。彼の名は呉盟心と言いました。

下の列の左から3番目が私で、上の列右から3番目が少林拳の達人である呉君です。
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呉君曰くチャイナは戦乱の度に国が変わり、その度に過去の歴史的遺物を破却して来た経緯が有り、呉君は父上から『寂しい事』だと聞いていたと私に言っておりました。呉君の祖父は中国残留孤児で有り日本人なのです。終戦後も帰らず養父母に義理を果たした方だと聞きます。

呉君の祖父の話では一番変わった時は現共の産党政権が発足した文化大革命の時だったみたいです。この話は生々し過ぎて此の場のご案内は控えておきます。

呉君は私より3つ年上ですが、日本の天皇家が2650年(学生当時)も続いている事に尊崇の念を抱いておりました。私は珍しい支那人も居るもんだと驚いた事を昨日のように覚えております。

ある日、呉君と2人で蕎麦屋に入りました。呉君にとっては生まれて初めての蕎麦です。日本では1,300年前から食べられて来たと伝えたら彼はとても驚いておりました。

其の蕎麦屋は特盛がメニューに有り、安くて味が良いのです。呉君も以前から食べてみたいと言っておりましたので連れて行ったのです。

店に入り、早速もり蕎麦の特大を2つ注文し、私は失礼してトイレに行きました。トイレが少し長引いてしまい、席に戻る途中で何やら笑い声が聞こえてきたのです。席には何時もの特大が2つ並んでおりましたが、そのうち一つは蒸篭(せいろ)の下にに蕎麦つゆが流れ出てテーブルに広がっておりました。  

今も此の蒸篭蕎麦(せいろそば)を見ると後悔致します。
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私は、蕎麦猪口を手に持ち唖然としている呉君を見て事態を理解しました。蕎麦屋を知らない呉君は蕎麦猪口の中のお汁を蒸篭の蕎麦にかけてしまったのです。話しておくべきだったと咄嗟に後悔する事と同時に周囲で笑う人達に怒りが込み上げてまいりました。若い頃の私は忍耐が足らなかったのです。

『この無礼者! 此の人は日本人でないから知らないだけだ!其れを笑うとは何事だ!』と一喝してしまいました。当時体重110キロ、髪型はオールバック、襟の高い学ランに身を包んでいた私が大声をあげたものですから、呉君を笑った人達は一瞬で静まり、店の奥から親方が飛び出して来て、私や呉君に謝罪したのです。

此の時代の私は少々尖っておりました。恥ずかしい事この上ありません。
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我に帰った私も、場をわきまえずに大声をあげた事に対してお詫び申し上げました。親方は直ぐに新しい蕎麦を持ってまいりました。食べているあいだの呉君は終始無言でした。

2人で蕎麦を食べて店を出だ時に呉君が居住まいを正して私に言いました。『〇〇、今日の事は忘れない、有難うございました』私は騒ぎを起こして怒っているかと思ってましたので恐縮してしまいました。

その後呉君とは変わらずに交わり、やがて卒業して別の道に進んだのです。私は会社員になり、呉君は河南省にある父上の貿易会社に勤務したのです。その後は一年に2、3回ほど仕事で日本に来日する際に会うようにしているのです。

当時撮影した靖国での一枚です。
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今回は更科の実家で会いました。呉君は何回も更科に来ているので我が母を日本のお母さんと呼んでおり、来る度に珍しいお土産を持って来てくれます。母もそんな呉君を家族同様に可愛がっております。私も結婚式を含めて2度ほど呉君の家に泊めて貰いました。

私が歴史好きになった理由は、呉君の影響が多分に有ります。彼の聡明な頭脳は私の及ぶところでは有りません。私も学生時代に年長者の呉君の様に故郷の歴史を学ぼうと思った次第なのです。