昨年も今時分に象山神社のご紹介をさせて頂きました。今回は其の佐久間象山先生の遺物をご案内させて頂きます。
改めて象山先生の半生を簡略してお話し致します。世に出た頃の佐久間象山先生は松代藩士であり朱子学を治めた学者でした。朱子学とは世の中の理は全て『気』と『陰陽五行』から形成されると言う根本理念を持った儒教から生まれた学問です。
此方は有名な陰陽の図です。世の中は陰と陽の2つの要素で構成されているという考え方を現しております。
話は象山先生と大きく外れますが、驚くべき画像がございます。イタリアのローマ・ラ・サピエンツァ大学とカナダのオタワ大学の研究者達が量子もつれ状態の光子(注1)をリアルタイムに可視化する技術を使い具現化した図です。量子もつれとは、離れている2つの粒子が互いに強く関連し合い、1つの粒子の状態を測定すると、瞬時にもう一方の粒子の状態が決まる現象を指します。なんと可視化した図は陰陽の図と全く同じなのです。にわかには信じ難い事ですが、800年以上前の人間が提唱した天地自然の原理と最新の研究成果が全く同じなのです。
話を戻します。やがて主君である真田幸貫公が幕府から海防掛に任ぜられました。当然ですが象山先生も主君を助けるべく海防の研究に没頭したのです。
そんな最中にイギリスと清国の間でアヘン戦争が起こります。鉄の船と木の船の戦いであり、青龍刀とアームストロング砲の戦いでもありました。ご存知の様に結果は火を見るよりも明らかでした。
経緯として、イギリスが清国に対して麻薬を売りまくりました。其れに困った清国が麻薬を取り締まりました。ところがイギリスは我が国の財産であるアヘンを取り締まるとは何事だ〜と最新装備で戦争を仕掛けたのです。アジア人を人とは思わない外道極まる白人の手法は昔も今も殆ど変わり有りませんね。
象山先生は34歳の時に此れを知り、国家的危機を強く感じ、朱子学では国を守れない事を悟りました。そこで象山先生は急いでオランダ語を勉強して此れをモノにし、オランダ語で書かれている西洋の軍事書籍を読み漁ったのです。正に天才とは此の方の事を言うのだと思います。
やがて象山先生は江戸居住を許され、木挽町に「五月塾」を開設し、砲術、西洋学を講じました。其の門下は数百人に及んだと伝わります。塾生には吉田松陰、小林虎三郎、勝海舟、坂本龍馬、河井継之助など明治維新の立役者が顔を連ねておりました。
象山先生の教えは日本を一つにまとめる公武合体でした。吉田松陰等は熱心に此れを学んだのです。そんな最中にベリーが来航し、時代は大きく動き始めたのです。
象山先生は元治元年7月11日の夕刻に熊本藩士の河上彦斎と平戸脱藩浪士の松浦虎太朗の2人により惨殺されました。象山先生を切った河上彦斎は郷里の刀である同田貫宗廣の豪刀を使いました。私は愛刀家の思いっきり端くれですが、郷里の英雄を討った同田貫だけは持つまいと心に誓っております。
信州出身の彫刻家である寺瀬黙山の佐久間象山像です。寄贈者は松下幸之助さんです。象山記念館にて
では象山先生の遺品を数点ご案内致します。先週のキノコ取りの時の宿が松代であった事も有り、以前から気になっていた象山先生の佩刀の情報を探りに象山記念館に行ってまいりました。撮影禁止も有りましたので全てを撮影する事は叶いませんでしたが、数点ご紹介致します。
佐久間象山先生の大筆です。写真では分かり難いのですが間違いなく4尺以上の長さが有り、太さは木製バット程です。筆や紙及び墨には拘りがあったと伝わります。通常大筆は馬の立髪を使いますが、此の筆は植物系の繊維に感じます。
象山先生は電磁石を利用した日本で初めて電言通報の実験に成功しております。
象山先生が発明した迅発撃銃の設計図です。真っ白に見えますが、是非拡大してご覧下さい。旧式の先込め式の銃に比べて、装弾が3倍も早いので、3倍の兵力を得たことに相当するものです。
安政5年10月に象山先生は此れを幕府に献上しようとしましたが、蟄居中の身であるとして却下されました。戊辰戦争において幕軍諸藩は時代遅れのゲベール銃を使用しており、ご存知の結果となったのです。
真田家の御用鉄砲鍛冶であった片井京助と佐久間象山先生は後に1分で10発も撃てる迅発撃銃を製作しました。此の新式銃を幕府が採用していたら薩摩に勝ったかも知れませんね。
象山先生が馬上で使用さた鞭です。
鞭の穂には極めて細密な螺鈿細工が施され、握り部分は羅紗(らしゃ)が巻かれております。驚くほどの超高級品です。
結局、象山先生の佩刀の情報を見出す事は出来ませんでしたが、画家の池上秀畝が描いた象山先生の絵がありました。
大小の鞘は梅花皮鮫(かいらぎざめ)の研ぎ出し鞘の様です。実に手の込んだモノです。分厚い鮫(エイです)皮を鞘の下地に巻く分だけ下地を削り込み、鮫皮を巻いて行きます。此方も何回も濡らした鮫皮を巻き、時間をおいて伸びた余分を切っては巻き直す作業が伴います。黒漆を塗り研ぎ出す作業だけでも気が遠くなる程の時間を要するのです。下級の武士では決して手の届く物では有りません。
此れだけ手の込んだ鞘に治った大小の刀なら、恐らく名の通った刀鍛冶が精魂込めて打ち上げだ名刀が入っていたものだと思います。象山先生の刀については今後も調べて行きたいと考えております。今回も思うままに取り止めの無い話となりました。お許しください。